私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

それもええじゃあね

2012-03-16 18:46:27 | Weblog
 筆敬さんから、案の定、メールが届きました。「それもええじゃあねえか」と言われるのです。
 確か、細谷川が何処にあったかという問題は、今に始まったことではないらしいのです。江戸の昔からそんな話はあったのだそうです。
 「ちなみに」と筆敬さん。彼が言うには、この前、この欄で取り上げた高尚先生の幼少時代に師であった小寺清先の長男に、清之がいますが、彼も父親の筋を受けたのでしょうか国学者になります。後に福山藩主から招かれ藩士の子弟の教育に携わったりもしますが、この人の著書「備中名勝考」の中には
  
 写真に見えるように有木神社の横にある谷川に「細谷川」と書かれており、彼は備前と備中の国堺にある谷川を細谷川だと思っていたのだそうです。でも、野之口隆正という有名な国学者が建てたと言われる吉備津神社横の石碑の傍を流れる谷川が、これこそが「細谷川」だとしている人達も大勢いたそうです。瀬山陽もその内の一人だそうです。
 
 「どちらが、本当の細谷川か知らんが、そねえなこたあどうでもええことじゃあねえか。こっちが本当だと思う方が細谷川でえんじゃなねえかいのう。おめえが言うように両国橋のそべえ、真新しい石碑をたちょうとそりゃあかまわんのじゃあねんかな。それもええんじゃあねえかな。そげんにおめえみてえに、目くじら立てておこらんでもええじゃあねえかな。そげん、どうでもええことで吉備の中山がなげきゃあへんど」

 と、考えてみたら、彼が言うように「そげえな気にもなる」ようにも思えます。流石、我が尊敬する筆敬さんです。でも、本当に、此の真新しい石碑は、貧弱で、あらずもがなという感じが私にはしてなりません。ここに碑を建てたと云うことは認めるとしても、もっとましな石碑は作れなかったのでしょうかね。造った人のこの碑に対する美的、文学的価値観のなさが伺われるように感じられます。

 

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