私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

長寿 6 日本武尊の母;播磨稲目大郎媛

2008-09-18 14:02:47 | Weblog
 まあ聞いてください。故水野晴朗(高梁市出身)ではないのですが、映画ではない「歴史って」本当に面白いですね。
 何時の頃かは定かではないのですが、昔々、吉備津のあたりに、この世のものとは思われないような非常に妖婉な女性が二人もいました。一人は姉の播磨稲目大郎媛であり、もう一人は妹の播磨稲目稚郎媛です。余りの美しさに、時の景行天皇に特に召されて、吉備津から都の後宮に入ります。
 その後、大郎媛は皇后に御立ちになられ、大碓命・小碓命など3人の皇子をお生みになられます。この小碓命こそ、後の日本武尊なのです。
 この2人の非常に妖婉な女性の父親こそ、わが吉備津彦命と一緒に吉備平定のために孝霊天皇が使わしたもう一人の皇子“若日子建吉備津彦命”なのです。
 
 それはさておき、記紀を読んでいますと、誠に珍奇な記事に出くわし、これって本当?と思うようなことにたくさんあります。
 その一つが、孝霊天皇の御子の若日子建吉備津彦命(兄吉備津彦命と伴に吉備地方に留まって、この地方を納めていました)の娘が、この天皇の五世の御孫景行天皇の皇后になるということです。
 ちなみに
   ⑦孝霊―在位年数  76年 -御歳128歳
   ⑧孝元― 〃    57年 -御歳117歳
   ⑨開化― 〃    60年 -御歳115歳
   ⑩崇神― 〃    68年 -御歳120歳
   ⑪垂仁― 〃    99年 -御歳140歳
   ⑫景行― 〃    60年 -御歳106歳

 ⑧代から⑪代まででも単純に計算しても、天皇在位年数は284年にもなります。すると、⑫代景行天皇に⑦代の孝霊天皇の孫娘、播磨稲目大郎媛(はりまのいなねのおおいらつめ)がお嫁に行くってことがあるでしょうか。もしそれが事実であるなら、大郎媛かお嫁に行った年齢は、当然300歳を優に超えていなくては計算が合わなくなります。
 吉備津彦命の姉;百襲姫命が大物主命にお嫁入りたと伝えられている年齢180歳を知り大いに驚いたのですが、この300歳と言う大郎媛の年齢には、更に、大驚きに驚かされます。 
 これも、又、「深く疑うべきに非ず」なことなのでしょうが。


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