これで不折の豪渓絵ハガキは終わりにしようと思ったのですが。案外、人気がいいもんで、残りの絵ハガキも順次ご紹介して行きたいと思います。
これが不折が描いた2枚目の豪渓の絵ハガキです。「鸚鵡石」と、題がつけられています。
現在は、こんな石が、豪渓のどこかにあるのかもしれませんが、私は、もう幾度となくこの地を訪ねたことがあるのですが、まだ、かって一度も、この石は見たことがありません。又、この石には、柴山前権中納言持豊の歌が刻まれているといわれるのですが、そんな歌が詠まれたということも知りませんでした。
どなたか、此の持豊と言う人物と一緒に、この場所をご存知の方がおられましたら、お教え願えればと思います。
その歌は、この絵ハガキの説明によりますと、
ことと走半爰よりとへよ安曳農
山彦ならぬこたへ遠そ勢舞
と書かれているというのです。
「こととはば ここより問へよ 安曳(あしひき)?の
山彦ならぬ 応へをぞせむ」
とぐらいに読むのでしょうか。「安曳」は、どうしても「あしひき」とは読めそうにありませんが、この言葉が、次の「山」に懸かる枕詞としたら「あしひき}でなければなりません。どうでしょうか? もしかして、誰かが、「足」を「安」と勘違いして書いたのかもしれませんね。
尚、お断りしておきますが、写真が少々ぼやけています。お許しください。
これが不折が描いた2枚目の豪渓の絵ハガキです。「鸚鵡石」と、題がつけられています。
現在は、こんな石が、豪渓のどこかにあるのかもしれませんが、私は、もう幾度となくこの地を訪ねたことがあるのですが、まだ、かって一度も、この石は見たことがありません。又、この石には、柴山前権中納言持豊の歌が刻まれているといわれるのですが、そんな歌が詠まれたということも知りませんでした。
どなたか、此の持豊と言う人物と一緒に、この場所をご存知の方がおられましたら、お教え願えればと思います。
その歌は、この絵ハガキの説明によりますと、
ことと走半爰よりとへよ安曳農
山彦ならぬこたへ遠そ勢舞
と書かれているというのです。
「こととはば ここより問へよ 安曳(あしひき)?の
山彦ならぬ 応へをぞせむ」
とぐらいに読むのでしょうか。「安曳」は、どうしても「あしひき」とは読めそうにありませんが、この言葉が、次の「山」に懸かる枕詞としたら「あしひき}でなければなりません。どうでしょうか? もしかして、誰かが、「足」を「安」と勘違いして書いたのかもしれませんね。
尚、お断りしておきますが、写真が少々ぼやけています。お許しください。
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