私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

お竈殿の響きが回廊を流れています

2010-05-02 13:37:20 | Weblog
 未だに冬服と別れられないひんやりとした今年の五月の朝です。
 今朝、我が町吉備津の各町内ごとに行われます夏の祈禱が吉備津神社で行われました。

 いつもの通り、拝殿でお払いを済ませた後に神殿に上がっての、町内の安寧を祈っていただく祈禱です。真っ赤に塗られた輝くばかりの漆塗りの朱の壇の前に、参加者全員が慇懃にひれ伏して祈祷を戴くのです。

 他のいかなる神社でも、例外なしに祈禱して頂くのは拝殿ですが、この吉備津神社だけは神殿にまで昇殿して、その「朱の壇」での祈禱をうけます。それだけ神の御前が近いので、有難さが倍増されます。
 この神殿での祈禱について、昔は拝殿が、今の朱の壇であって、拝殿はその後に作られたからだと、その理由を説明しているようです。
 それも含めて、この神社は他の神社とは、少しばかり造りが変わった、他所にない此処だけにしか見られないような神社でもあるのも確かです。
 北向きの社もそうです。正面に桟唐戸や蔀戸が見られたり、天井を張らない化粧屋根裏が見えたりするのも、その理由になっているようです。

 まあ、そんな他にはない国宝「吉備津神社」だけの造りを見せる神社での御祈祷です。有難さがいっぱいに頂けるような思いが朝から身を包んでくれます。

 「たかが神だ。そんなものがおるもんか。おったとしても、それがどうしたんなら」という科学的で合理的な考えが、世の中を席巻しているように思えますが、それだからこそ、5月の朝早く清幽な神殿に首を垂れて、己を何もない「無」の世界の中に没入させているのも、善い悪いは別にしても、また、それなりの意味があるように私には思えます。
 でも、まだ、我が町内でも多くの人が、
 「町内祈祷?なんだ。そんなん古臭えやー。阿呆らしうてつきあいきれんは。この忙しいのに。係のもんがいきゃあえんじゃが、どうすりゃあ、そげえなものを」
 と、お考えでしょうか????お参りにならない人も多くおられるのが現状です。

 その神殿での祈禱が済むと、それから、長い回廊を通ってお竈殿にまで移動します。そこで、あの「温羅」のしゃれこうべからのお告げを受けるのです。この夏も、一際、大きな唸り声が釜の中から響いてきて、
 「お前の町にもきっ福を」
 と、お告げを頂きました。その声は、高く低く回廊までを通り越して、吉備の御山にまで達しておりました。

 幸先よい夏への第一歩でした。心は豊かになったように感じられました。

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