私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

おせん 29

2008-05-14 10:59:31 | Weblog
 今朝は「おや、やっと秋か?」と感じさせる涼しい風が、ようやく秋色を見せだしたおにぎり山から吹き下ろしきます。
 大旦那様は、早くから起きられ、部屋の隅に置かれている文台に向かわれて、何かお書きものをなさっておられます。ここ立見屋はおにぎり山の山裾にあり、日の出はいつも遅く、まだ、山の端には朝日は顔を覗けてはいません。平蔵は、昨夜のお酒の勢なのかもしれませんが、珍しく朝寝坊をしてしまいました。
 「どうも失礼をいたしました」
 と、飛び起きます。
 「つい、時刻を忘れて、こんな時まで寝ているなんて、本当に失礼しました」
 「まあまあ、よう寝ておったようだったさかいな。・・そう気にせんでええ。今日は占いの日じゃ。お天道はんも、ご機嫌がええらしゅうてな、ええ占いになること間違いなしや」
 お日奈さんが用意してくれ朝ご飯を済ませた所へ、立見屋のご主人が入ってこられます。昨夜の内に、お園さんと平蔵とのことで、お宮さんまで参られて打ち合わせをしてこられたという。今朝は、特別に藤井神主が、わざわざ自ら、祝詞を奏上して、お園さんへの神のお告げを、吉兆を占ってくれるということです。
 しばらくして、舟木屋茲三郎、平蔵、立見屋吉兵衛夫婦とお園の五人はお竈殿に座ります。
 二つある竈には、既に、火が赤々燃えています。正面の煤けた板壁には大きなしゃもじが3つ並んで掛けてありました。「阿曾女」と、呼ばれている巫女が2人、神事の前の準備でしょうか、あちらこちらと、こ忙しくお竈の周りを立ち動いております。
 二つあるお釜の一つには、甑が設えてあり、湯気がもこもこと、しきりに菰の上から立ち上っています。
 やがて、竈の火が一人の阿曽女によって焚き口に引き出されます。それを合図のように、しゃもじの横にある入り口から、有紋の冠を被り纓がゆらゆらと肩にまで垂れ、従五位長門守を表す官位の浅緋の袍を身に纏った神主が威儀を正してお出ましです。
 まず、お竈に向かって座に着くと、勺を顔面に押し抱き、深く二礼二泊の神々しい拝礼を済ますと、太く低く人の魂を抉り出すように「高間の原に神留す・・・」と、祝詞が奏上されます。
 それよりもやや早く、もう一人の阿曾女が、お釜の側に設えられた白布で覆われた台上より、お釜上に掛けてあった菰を打ち取り、お釜の中に身を投げ入れるようにして、お米の入った檜物の器を前後左右に小さく激しく振り立てます。
 巫女の打ち振る曲げ物の中のお米の音と深淵で荘厳な神主の声が、殿中の静寂をより一層引き立てておりました。
 と、どうでしょう。突然に、それこそ地底に住む鬼か何かの得体の知れない恐ろしげな唸り声のようでもでもあり、また、毬を追って消えていった女の子の泣き叫ぶ怨み声のようでもある、摩訶不思議としか言いようのない声が、後から後から、お釜の中から湧き出てきます。神主の祝詞の声はそのお釜から出る音に全く打ち消され、お竈殿の中は、激しく唸る音だけが行ったり来たりするばかりです。その余り声は、格子窓の間から飛び出して、比翼のお屋根を伝わるようにして、あのおにぎり山へと響き渡っています。


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