又、例の筆敬氏からメールです。有難いことです。
彼は曰く
「おめえがけえた半田というのはなあ、おめえもしとるとはおもうのじゃが、秦の始皇帝の子孫が日本へにげてきたんじゃけんな。そうじゃにある秦にいったことがあるけえ。あそけえいってみんされえな、でえれえ、おもしれもんがいけえあるでなあ。たてえのいぜきはええつらが拵えたんじゃと言い伝えられておるんじゃと。いっぺん見に行ってみたら どげえなもんじゃろうかとおもうてメールをしとるんで」
と。
毎度、誠に親切なメールを今回も頂きました。
総社市秦のどの辺りにどのような古代日本の遺跡が残されているのか一度探ってみたいという気になりました。どなたかご案内してくださるお方はいないでしょうかね。メール氏が案内してくださるといいのですが、彼もあまりよくは知らないのだという事でしいた。
この吉備の国には書紀にも、「葉田の足守」に立ち返った妖艶なる女性「兄媛」を訪ねて、はるばると行幸された応神天皇の記事も見えます。が、葉田と秦・半田、これらの言葉の響きの中からは、日本の遠い遠い、文字もなかったようなほのぼのとした昔を語る面影でしょうか、何となく、イヌも歩けばではないのですが、そこら辺りからがぶつかりそうな気分になります。何かタイムマシーンの中にいるような、匂いが立ち込めているのではないかと云うような響きが聞こえてきそうです。
本当に歴史って面白いですね。吉備の国って知れば知るほど本当に、スルメみたいに味が深くなります。
帰って来ます。
連絡したいのですが・・・・。
真庭のときおより