私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

わたしのブログ閲覧数が2505位に

2012-02-01 10:02:33 | Weblog
 ちょと身辺が小忙しかったものですから2日間ほどお暇を頂きました。その間に29日の日曜日の、何と私のブログの閲覧数が2504位になっておりました。それこそ「祓戸の大神たち」を「オオカミ」と感じ取った孫の顔をみて驚いたばかじいさんの顔ではないのですが、大変に嬉しがるやら驚くやらでした。6000位ぐらいにまで達したら、それこそ祝杯もんだと決めていたのですが、それも大きく超えて、なんと2500位なんて想像もしていなかったことです。

 そんな事があったからではないのですが、早速、その祠の写真を写してきましたのでご覧ください。

 

 手前が坂樹神社(句々迺馳神)で、向こう側が祓神社(祓戸神)です。前にも書いたのですが、階段を上がって子安神社があり、其の右手側にこのような全く同じ7社の祠が座しておられます。

   

 一番近くに座ましている祠が倭迹迹姫をお祭りした下宮です。次が伊勢宮で、天照大神を、3番目が幸神社で、猿田彦命をお祭してあります。どうしてこんな順番になったのかは、神社でも分からないのだそうです。

 普通なら天照大神のいらっしゃる伊勢宮が一番最初にある筈なのにです????。この倭迹迹姫を祭ったお社が最初にあるのか不明です。

 だって、この姫神は吉備津彦命の父親である孝霊天皇の、次の天皇、孝元天皇の第三皇女なのですから。その皇女が何故、縁もゆかりもない備前の一宮に座しましていらっしゃるのか、その存在の意味が分かりません????誰か教えてくれませんか。


 私の推理ですが、これは、此のお宮を建設した人が、もしかしたらですが、備中の吉備津神社の本宮にお祭している吉備津彦命の姉である古事記の中に記されている「夜麻登登母母曾毘売命(やまととももそひめのみこと)」と混同し、早とちりしてたのではあるまいかともおまいます。何せ孝元天皇の皇女と吉備の国とは、聊かの関係もありませんもの?????

     ご批判ください。お願いします。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿