私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

城戸千楯

2011-05-25 09:43:36 | Weblog

 城戸千楯についてご紹介します。昨日も書いたのですが、江戸後期の京都のお人で、吾が藤井高尚と一緒に本居宣長の弟子として、国学を勉強した人です。

 さて、今朝の新聞でも報道されていたのですが、3・11の地震は大変大きな災害として日本を襲った天災です。そして、また、原発も、その影響を受けて大きな被害を受けました。これも、その天災の一部であると思っていたのですが、日に日にその状況が判明していくに従って、天災と云うよりも、その後の処理の判断ミスによる人災の部分が大きいのではないか報道されています。
 熊本の原田正純医師のお話も今日の朝刊に載っていましたが、それらを読むと、いままでは、それが正論であるかのように報じられていた事が、どうもそれすら誤っていた論理だという事を知らされ、何も知らない国民としてはとってもやりきれない気分です。又、それを、得々と、一方的に、「これこそ正義である」と報じた新聞にも大きな責任があるのではにかと思われます。権威主義に陥っている日本社会独特の弱点であろうと思われます。学校では、少数者の意見を大切にするのが民主主義の根本だという事を、重々教えられているのにも関わらずですが。

 5月16日の朝刊の朝日歌壇の欄に、名古屋市の諏訪兼位氏の投稿短歌が載っていました。

            ・ 三月に 安全唱えし 識者らは
                       いずこに消えしか 泡(あぶく)のごとく

 どうでしょうかね。この歌、最近の最高傑作のひとつではないでしょうか。私はそのように考えていますが。

 まあ、そんな思いがしないでもない今朝ですが、この地震に付いて、江戸期には、どのように書かれてきたのか知りたいと、地震発生以来、捜していたのですがなかなか見つかりませんでした。なお、鎌倉期の鴨長明の方丈記には「また、おんなじころかとよ、おびただしく大ないふる事はべりき」とその様を詳しく伝えています。
 それが、筆敬氏的に書きますと、「ひょんなげなことからのう、わかったんじゃが」ですが、城戸千楯の書いた本「紙魚室雑記」に書かれていました。

 ちょっと長いのですが、その時の状況が詳しく書かれていますので、3,4回に分けて、ご紹介させていただきます。


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