私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

渡辺数馬報讐始末の事 10

2010-10-19 17:44:45 | Weblog
 桜井半兵衛は従者の持つ己の槍をなかなか受け取れないので、まず、馬から降りようとします。そこに、又衛門の弟子武右衛門が一太刀切りつけたのですが、浅さ手でおり立ちます。数馬の従者孫右衛門も、これがこの世の最後の如くに戦います。そこへ荒木又衛門は敵方の者を押しのける様にして駆け来て、半兵衛と相対いします。暫らく、此の二人は渡りあったのですが、終に、又衛門が半兵衛を斬り伏せたのです。此の時の戦いで、又衛門の刀は折れます。その刀は伊賀守金道が鍛えた技物だったそうです。
 
 何処からこのような資料を集めたかは分からないのですが、相当広い範囲から、当時の資料を細かく調べなければ分からはずです。 何処から探したかわ分かりませんが、よくも捜したものだと、感心します。その元になった物が、どこかにあったのだろうと思われます。伊賀上野に資料館でもあって、現在、そこにそんな資料でも並べてあれば見に行こうと思うのですが、どなたかご存じのお方はおられないでしょうか。知っているなら教えていただきたいと思います。

 さて、数馬は又衛門が打ち合わせた通りに、又五郎と渡り合っています。又衛門は、甚左衛門と半兵衛を打倒してから、此の二人の戦いの場に駆け付けます。そして、二人の戦いの周りにいた又五郎を助太刀しようと集まっていた従者を、その場から追い払います。と、云うより、甚左衛門などが切り倒されたのを見て、てんでに逃げ散ったと言うのが正しいように思われます。映画などからはそんなシーンが映し出されています。
 そして、又衛門は、戦っている数馬に声かけをします

 「数馬、よく戦え。助太刀はしないぞ。若し、どうしても又五郎が、お前の手に負えないようであれば、変わってやるが、どうじゃ」
 と。
 その声をどう受け止めたのかは分かりませんが、受けた数馬は、果敢に飛び込んで、弟源太夫の仇又五郎を討ち果たします。
 
 此の時、この常山は書いてはないのですが、二人が戦った時間は、本当がどうかは知りませんが。4時間にも及んだと言い伝えられているそうです。講談なんかからも、よく聞こえてきます。あの50歳近い「伊達君子」が戦ったテニスでさえ、それくらいな時間が必要だと言う事を聞き、1対1の戦いです。4時間と云う時間は、そんなにも生死を分けた決闘の時間とすれば、むしろ普通だったのかもしれません。それぐらいは必要だったのかもしれません。
 でも、此の二人に取っては、ものすごい緊張の連続だったはずです。その緊張を、一瞬に、打ち破るような味方の声援を、数馬は受けます。勇気百倍になる事請け合いです。一方又五郎にすれば、既に、自分を守ってくれるはずの叔父たちも又衛門に切り殺されています。その時の数馬の気力は、自分の持つ力を幾倍にも増すはずです。が、又五郎の方と云えば、どうしようもない程気力は消沈していたことは否めなめません。ここで勝敗は決まったも同然です。此の二人の気力の相違が歴然としています。
 そんな状況下の数馬の勝利ではなかったかと思われます。どちらは強かったかと云うのではなく、心の相違が勝敗を分けたのだと思われます。

 そんなことを常山は訴えていたのではないでしょうか。又五郎に対しても少々の同情を持ってこの物語を見ていたのではないでしょうか。ご批判を頂ければ。