私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

旧山陽道 板倉宿

2006-08-21 21:26:41 | Weblog

   

  再び板倉宿について 

 この宿場が出来たのは16世紀の終わり頃だということです。 それまでは、一宮の辛川市場に宿場があり、そこが、この辺りの中心の宿場であったようです、が、天正7年に毛利方の焼き打ちにあって以降衰退したと言う事です。 
 その後、天正20年、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に、花房道悦と言う人が休憩所として茶屋を作ったのが、この板倉宿の始まりだと言われています。 昔から、この板倉から辛川にかけては、多くの戦いが繰り広げられました。それだけ交通の要所(要の地)でもあったと言う事です。妹尾兼康等の武将の戦いが多く言い伝えられています。 

 板倉宿の仕組みについてですが、それを語る本陣跡等の施設は何も残ってはいません。わずかに、昔を語るのは文献だけがあります。 
 それによりますと、本陣と脇本陣、馬継の宿、目代所があり、そこで御役百姓(162人が交代で)とよばれた人たちによって運営されたそうです。
 旅籠70軒茶屋(料亭)も相当の数に上ったと言う事です。飯盛女といわれたうかれ女も一軒当たり10人程度置く事が許されていたそうでした。
 また。相当数のやくざと呼ばれた渡世人もいて、この宿場を取り仕切っていたようでした。 
 この板倉宿は、隣の宮内の遊興街と並んで山陽道随一の花街であったようです。

 岡田屋熊治郎らがこの界隈で活躍した話しも随所に後を留めています。
 なお、この岡田屋さんは宮内の人です。それは又何時かに。