ここが、旧山陽道の旧真金本陣跡だという立て札だけが、現在のコミュニテイーハウスの片隅に、夏の陽射しの中にぽつんとわびしく立っています。昔の面影を伝えるものは何一つ残ってはいません。
ただ、近くの真金十字路にある道標だけが、往時の姿を偲ばせてくれているだけです。
花びらが幾重にも重なり合って流れる板倉川の春に、日照りにふと足を留めて漱ぎした太閤井戸の夏に、吉備の中山のもみじの秋に、鼓山から吹き降ろす木枯らしの冬に、多くの旅人が悲喜こもごもの旅愁を胸に秘めながら、通り過ぎただろう板倉の宿は、今は何もない、ただ静かな通りとなって、何も語ってはくれません。
これが、かっての街道一の宿場だったなんて誰も信じるものはないと思います。
ただ、近くの真金十字路にある道標だけが、往時の姿を偲ばせてくれているだけです。
花びらが幾重にも重なり合って流れる板倉川の春に、日照りにふと足を留めて漱ぎした太閤井戸の夏に、吉備の中山のもみじの秋に、鼓山から吹き降ろす木枯らしの冬に、多くの旅人が悲喜こもごもの旅愁を胸に秘めながら、通り過ぎただろう板倉の宿は、今は何もない、ただ静かな通りとなって、何も語ってはくれません。
これが、かっての街道一の宿場だったなんて誰も信じるものはないと思います。