ビオラのつれづれ記

大好きなお花のこと、
日常のちょっとしたことなどを書き留めています。

エジプト紀行Ⅵ

2010-12-10 21:35:04 | エジプト旅行

王家の谷

ルクソールのナイル川西海岸にある岩山の奥まった地にファラオ(王)たちが眠る墓が62もあり

それらを称して「王家の谷」と呼ばれています

前の時代盛んに作られたピラミッドはすべて盗掘の被害を受け王達の安住の場所ではなくなってしまたことにより

18王朝のトトメス1世はここルクソール西岸のピラミッドに似た山、エル=クルーンの山裾の谷を墓地に選び岩窟墓を造りました

谷の入口は狭く、人が侵入しにくく墓泥棒による盗掘を恐れてここに墓造りを始めたと考えられます

でも結果的にはピラミッド同様、ほとんどすべての墓は盗掘されてしまったのですが・・・ 

 

ここでは残念ながら写真は禁止で中の様子を撮ることはできませんでしたが

墓内は入り口から極彩色のレリーフがびっしりと施され死後の世界への王達の思いが窺い知れるものでした

墓は没する以前から造られるので途中で亡くなった王の墓は仕上げが間に合わず彫刻のみで色がつけられていないものもありました

 

↓は墓の壁面や天井一面に施された今でも当時のままで残る素晴らしい色彩のレリーフです(絵ハガキから)

古代エジプト人は死んだ後も現世とまったく同じ生活ができると信じていました

そのため肉体が失われないようミイラを作ったり死後の生活に必要な物を埋葬したりしたと言われています

そんな意味でもお墓の中の壁画によって当時の生活の様子や考え方がよくわかって来たのだということです

 

 

 

 

 

ツタンカーメンの墓

ツタンカーメンの墓は唯一、墓泥棒から逃れたお墓でその2000点を超える煌びやかな副葬品がそのまま見つかったことで

それまで無名だった名は今は最も有名なファラオとなりました。

それらの財宝は今はエジプト考古学博物館に移されていますが

玄室にはミイラが今もなお眠っていました

保存状態が悪くあまりはっきりとはわかりませんでしたが3000年の安らかな眠りのように見えました

では何故、ツタンカーメンの墓だけが盗掘されなかったのでしょうか?

18歳と若くして亡くなったツタンカーメンはたいした業績もなく、後世彼の記録は徐々に消されていきました。

そのため後に彼の墓の上にラムセス6世がお墓を造りりっぱなラムセス6世の墓は盗掘されましたが

その下にあるツタンカーメンの墓は泥棒から免れたというわけです

それほどの権力もなかった若いツタンカーメンの墓でさえあれほどの素晴らしい副葬品だったのですから

大きな権力のあった王達の墓にはどれほどの財宝があったのか想像できますよね

でもそれらは今どこにあるのでしょうねぇ

 

ハトシェプスト女王葬祭殿

王家の谷からバスで少し移動すると広い断崖を背に3階建の葬祭殿が広がっています

ハトシェプスト葬祭殿は古代エジプト建築の最高傑作ともいわれ直線的で均整のとれたモダンな姿が美しいです

各階が広いテラスを持ちスロープで結ばれていて

2階はアヌビス神とハトホル神の二つの礼拝堂があり

そして3階には女王の墓に続くとも言われる至聖所があります

第2第3テラス

 

 

ここは1997年日本人観光客も犠牲になった武装テロ事件があったことでも有名です

今は悲惨な事件があったことなど忘れたかのように観光客を迎えている葬祭殿ですが

この同じ空間で逃げ惑ったであろう人たちの事を考えると胸が痛みました

 

   

    ハトホル柱              牝牛のレリーフ             至聖所                柱と天井画

 

この葬祭殿はBC1500年ごろエジプトで最初に女王となったハトシェプスト女王のための葬祭殿です

ハトシェプストは男装し髭まで付けていたと言われています

当時は女性が王位 につくとうことには抵抗感も大きかった事でしょう

そんな中で威厳を保ち自分を認めさせるための姿だったんだろうななどと想像しちゃいました。

                         

                         ずらり並んだハトシェプストの像

 

葬祭殿のテラスから眺めるルクソールの風景です、その高さも分かるでしょうか

白い岩肌とはるか向こうに広がる緑と空の青の対比がきれい

 

    

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26 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんにちは (muca)
2010-12-11 09:04:59
大きなお墓を近くに造るわけにはいかず、辺境の地に造ったので、却って盗掘されやすいのですね。
しかも財宝がいっぱいだから、なおのこと狙われてしまう。
参考になりましたので言い置きしておきたいと思います。
ルクソールの広大な風景がすばらしいです。
返信する
ルクソール (naoママ)
2010-12-11 10:25:52
ビオラさんのエジプト紀行は快調に進んでいますね。
このルクソールは見どころ満載の街でしたね。
眩しいまでの青空と太陽が印象的でした。
テロのあった「ハトシェプスト女王葬祭殿」のテラスに立ったときは感慨深いものがありました。
これでは逃げる場所がありませんものね。

私もやっと「コム・オンボ神殿」をUPしました。
グダグダと回り道のお話しが多くて中々進みません

返信する
Unknown (kazuyoo60)
2010-12-11 11:15:58
死は避けられなくても死後も同じように、これは中国の皇帝たちも一緒ですね。アフリカで減人類の祖先が生まれて分化したのですから、同じ考えをしても不思議ではないですね。
巨大建造物群でしょう。盗掘者達が掘りだした宝物、どこにあるのでしょうね。
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Unknown (まめめ)
2010-12-11 14:03:10
王家の谷、ツタンカーメン、ハトシェプスト葬祭殿、どれもこれもとても内容が濃くて興味深く、大変参考になりました。
ありがとうございます。
至聖所には何処となく、厳かな雰囲気を感じました。

ルクソールの風景写真、素晴らしく美しいですね~! 青と緑のコントラスト、もう最高!!
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すばらしい! (オッキィ)
2010-12-11 20:05:36
素晴らしい写真にうっとりと見入るばかりです。
解説もよくわかり、なるほど納得よ!
空の青さ!何と素晴らしいのでしょう。
遠い昔の事とは思えない遺跡群の数々ですね。
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★mucaさま (ビオラ)
2010-12-11 22:23:06
人目に着かない良い場所を見つけたと思ったらだからこそ盗みやすい?
皮肉なものですね
王家の谷の近くには墓泥棒で豊かになったと言われる村もありました
泥棒達が莫大な財宝を今も持っているのでもなく
一体どこへどう流れてしまったのでしょうね?
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★naoママさま (ビオラ)
2010-12-11 22:25:41
私はあれもこれも書きたい気持ちはあっても
なかなかまとまりがつきません
なのでほんのさわりを…です。
くわしくはnaoママさんのところでお願いします(笑)
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★kazuyoo60さま (ビオラ)
2010-12-11 22:36:59
死後の世界や宇宙への思いなどは昔も今も、
どの民族も根本は同じような気がしますね。
王達はその多くの財宝のおかげで安らかな眠りが
妨げられてしまった事をどう思ったのでしょうね
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★まめめさま (ビオラ)
2010-12-11 22:44:05
カイロの街は埃っぽく雑然としていましたが
ここルクソールはリゾート地としてよく整備されほっとする街で
見どころもたくさんあってとても印象的なところでした
木一本生えていない岩山とナイル川沿いの豊富な緑のコントラストが
エジプトらしいと言えるのかもしれません
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★オッキィさま (ビオラ)
2010-12-11 22:53:14
葬祭殿の外観は今の建築物といっても
おかしくないモダンなものでした
ただ一歩中に入るとそこは古代があふれていて
やっぱり遺跡なんだと実感なのでした
白い岩山と青い空の下に死後の安住を求めた
ファラオたちでしたがその財宝故に乱されてしまったのは皮肉ですね
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