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ビオラのつれづれ記

大好きなお花のこと、
日常のちょっとしたことなどを書き留めています。

中欧への旅(ウィーン)

2012-08-27 14:05:53 | 中欧の旅

 シェーンブルン宮殿

             正面から見た宮殿

        写真でみる宮殿の前にはきれいな庭園があったはずなのに

        その疑問は宮殿に入って向う側の外をみて謎が解けました

       

宮殿の裏に写真で見る素晴らしいフランス式庭園が広がっていました~~~

宮殿に向かい合いあう正面の丘にはグロリエッテという戦いの記念碑があり

そちらから見た写真がよく目にする宮殿の姿なんだと納得でした 

 

最初は狩猟のための別荘だったものが歴代の王によって増築されマリアテレジアの時代に完成されました

1441もの部屋を持つ豪華な宮殿はパリのベルサイユを模して造られたのだそう

残念ながら内部はカメラ禁止でしたがためいきがでるような豪華絢爛な部屋は

ハプスブルグ家の栄華を物語っていました

 

6歳のモーツアルトが御前演奏をしたという鏡の間

「会議は踊る」で有名なウィーン会議の開かれた大広間等々

公開されている部屋は45部屋ほどでしたがなんと公開されている2階以外の部屋は

賃貸住宅として一般に貸し出されているのだそう

多少のリフォームは許可されているとのことですが今の時代に住むのにはいろいろと不都合な面もありそう?

でも自分の住所が宮殿なんてロマンチックだわぁ

 

 

美術史美術館

ハプスブルグ家がその帝国内のイタリア、オランダ、スペイン、ドイツなどから収集した

ブリューゲル、デューラー、ルーベンス、ベラスケスなどの数多くの作品が展示されています

今上野で人気のフェルメールの「絵画芸術」という作品も見ることができました

作品はカメラOKでしたが省きます

     建物のすぐ前にはマリア・テレジアの像

         

内部は先ほど見てきた宮殿のような豪華さ

クリムトが描いた壁画もありました

 

 

ウィーンを代表する画家 クリムトは今年生誕150周年ということで数々の特別展示がされているそうでした

そのクリムト作品を多く所蔵するオーストリア絵画館=ベルベデーレ宮殿に行きました

19世紀末、古典主義の型にはまった芸術と決別し自由で新しい流れを求めたクリムト

その代表作品の一つである「接吻」は金箔を使った独自のスタイルが見る者をひきつけました

当時の人々の驚きが伝わってくるような絵でした

                       

                                                       

 絵画館となっているのが↓のベルベデール宮殿の上宮

ベルベデールとは美しい景色という意味だそうですがホント、美しい~~~                        

  絵画館を出て外を見ると下宮に続くグリーンの幾何学模様を配したバロック式の庭園がこれまたきれい!            

               

 

 

と、以上がツアーでのコースでこの後はフリータイムとなり

シュテファン寺院を中心とする旧市街の目ぬき通りを散策しました 

シュテファン寺院は工事中で防護幕が残念だったけれど

モザイク模様のきれいな屋根が印象的でした

 

 

ウィーン一の繁華街は歩行者天国で車を気にすることなくあちこちキョロキョロしながらでも大丈夫

あっちのお店を覗いたりこちらのお店にはいったり・・・・

カフェで美味しいスイーツも経験しました

  

さすがウィーン街ではモーツアルト?ヨハン・シュトラウス?がチラシ配りを・・・・

ここにもペスト記念塔がありました「(中央) 

ウィーンがスイーツ天国になったのはこれもハプスブルグ帝国の存在によるものだとか

その昔は甘いお菓子やチョコなどは一般庶民には縁遠いものでした

王室御用達の店によって砂糖などをふんだんに使う贅沢なスイーツが作られ

酪農が盛んで生クリームやチーズなども手に入りやすかったこととあいまって王室のためのお菓子作りが精錬され

それが一般庶民にも広まって今日に至っているらしい

でも毎日毎日美味しいスイーツを食べていたら?

美味しいことはいいことだ

でも怖い  

 

最後の夜は音楽の都でのミニコンサートへ

 

ミニではあったけれど中身は濃く本場で味わう素敵なコンサートを経験できました

 

これで中欧への旅は終了

短大時代の友人と旅行をし始めたのは15年ほど前が最初

それ以後年に一度の旅を楽しんで来ましたが海外へは今回が初めて

二人とも旦那に留守を任せて出かけられる幸せに感謝し、また次への夢が膨らみました~

候補地は次から次と出て来ていくつまで出かけられるかしら?

そのためにも「元気でいなくてはね」が合言葉です

K子さん、またよろしくね

 

 おまけ

     ダイエットに励んだエリザベートも好んで食べたといわれるスミレの砂糖漬け

      

     直径6㎝ほどの小さな小箱入りで10€(1000円)と結構な値段

     シシィにあやかれるように自分土産に買い、おひとり様のお茶タイムに少しずついただいています

     上品な甘さがなんともいえない逸品です


中欧への旅(ブダペスト)

2012-08-23 10:35:05 | 中欧の旅

次女が二人の孫を連れてお盆を挟んだ2週間ほど滞在

その間長女家族も合流などしていつもは二人と1匹で静かな我が家もてんやわんやの毎日で

ブログどころかPCタイムもままならずすっかりご無沙汰してしまいました

 

 

中欧の旅、今回はブタペストの街です

「ドナウの真珠」と呼ばれる美しい街はその夜景の美しさがひときわ印象的でした

その夜景を見るためブタペストへは夕方入り食事を済ませてドナウ河クルーズの船上からライトアップを楽しみました

日が落ち始めた頃(といっても夜の9時を過ぎた頃)川の両岸がライトアップの光で浮かび上がりました

わぁ~~きれい!

黄金色に光り輝く橋や建物のきれいなこと・・・

幻想的な光景に酔いしれながら夢中でシャッターを押しましたが動く船上に加えてコンデジでの夜景ゆえ

お粗末な写真ばかりでアップに耐えうる写真を探すのに一苦労でしたが・・・

 

ドナウ川に架かるくさり橋

この橋は正式な名前があるらしいがライトアップの照明がくさりのようにみえることから

くさり橋と呼ばれてブタペストのシンボル的存在となっています

 

くさり橋とブダ王宮

 

ライトアップされた建物のなかでもひときわ目を引く国会議事堂のドーム

 

建物の名前は不明ですが廻りが黄金色に輝く中で白 く浮かび上がった姿が美しい

 

 

 

ブダペストの街は中心を南北に流れるドナウ川を挟んで西岸を「ブダ」、東岸を「ペスト」と呼び

合わせてブダペストと言うのだと聞き、「へぇ~そうなんだ」でした

ここでの現地ガイドさんは僕の日本名は「薔薇樹」ですから始まって日本で今流行のギャグまで上手に操る

バラージュさんというとても楽しいおじ様でした

撮影会で~すと、まめに皆をカメラの前に立たせてシャッターを押してくれるサービス精神も旺盛

写真は嘘つかないからとモデルになりたがらない友人とのマーチャーシュ教会を背にした貴重な一枚

 

      このマーチャーシュ教会は

      13世紀半ばに建てられ16世紀オスマントルコの侵略時代にはモスクに改装され

      フレスコ画などが削り取られるという受難の時代があったという事で

      その内部の柱に残る幾何学模様などがその名残を残していました

      19世紀にはこの教会でハプスブルグ帝国皇帝のフランツ・ヨーゼフと皇妃エリザベートの

      ハンガリー国王としての戴冠式が行われたこと。

      ハプスブルグ家に反感の思いがあったハンガリーの人々でしたが美しいエリザベートが

      ハンガリーの民族衣装を身に着けて戴冠式に臨んだのを見て好感に変わったのだとか・・・       

      エリザベートもハンガリーをこよなく愛し幾度となく訪れていたのは有名です

 

ドナウ川を見下ろす丘に建つ王宮、ここも幾たびかの打撃を受けて崩壊、再建を繰り返したお城ですが

今は博物館や美術館として公開されています

          

        マーチャーシュ教会の裏手にある漁夫の砦、

         

        中世に魚市場があった場所に建てられたそうで

        ドナウの漁師がこの辺りを守っていたともいわれていたことからその名がついたらしい

        この砦からの眺めがこれまた最高!

        ドナウ川に沿って広がるペスト地区の街が一望できます

        夜の輝きとはまた違う落ち着いた雰囲気の街が眼下に広がる景色は

        「真珠」の名にふさわしい景色でした~~~       

      

聖イシュトヴァーン大聖堂

ハンガリー王国を築いたイシュトヴァーンが聖人とされ祀られています

イシュトヴァーンの右手のミイラが聖なる手として展示されていました

手だけのミイラは珍しい?    

 

 

英雄広場

建国1000年を記念して造られた広場、

中央の記念碑を取り囲むように建国からの14人の英雄像が並びます

 西暦1000年にローマ法王からイシュトヴァーン王に王冠が授けられ統一国家が成立して以来

 1000年の間に幾多の戦争を経験し領土を失ったり、

 20世紀後半にはハンガリー動乱や東欧革命など激動を乗り越えてきたハンガリーです。

 ハンガリーのために戦ってきた英雄達はこうして今も国民に称えられているのでしょう。


中欧への旅(スロバキア・ブラスチラバ)

2012-08-08 13:30:15 | 中欧の旅

旅の4日目はプラハからバスで5時間半、スロバキアの首都ブラチスラバに入りました

ブラチスラバは首都と言っても人口は50万に満たない小さな街で地味な雰囲気

でも観光客で混雑することもなく静かに中世の街を堪能するのにはうれしい街といえるかも

 

その昔ブラチスラバの街は他の欧州の都市と同様、城壁に囲まれていて

ブラスチラバに入るための3つの門があったといい、そのひとつが今でも残るミハエル門で
街のシンボル的建物になっています

ここは火薬庫でもあったところで現在は武器博物館になっています

              

街の様子は大通りも細い路地も人通りは少なかった

 

市民の憩いの場となっている中央広場には各国の大使館も・・・

左側のグリーンの建物は日本大使館が入っています 日の丸の旗が翻っていましたが風でよじれて見えません

 

6歳のモーツアルトがここで演奏したという建物は今はオーストリアの大使館だそう

 

 

ドナウ川に沿った高台にあるブラチスラバ城は今まで見てきたお城とは雰囲気が異なりシンプルな感じ

 

 

四角い建物の四隅に短い脚のような塔が建つ姿から「ひっくり返したテーブル」と呼ばれているそうです

17世紀オスマントルコの襲撃を防ぐために改築されて要塞のような形になったとのこと

この城が一番栄えたのは18世紀マリア・テレジアの時代で彼女が居住したこともあり

宮殿の壁の色は彼女の好んだテレジアンイエローでした

 

この城の高台から眺めるとドナウ川を挟んでウィーンの森が遠くに見えオーストリアとは近距離にあることを実感です

眼下のドナウ川には大きなクルーズ船も見え橋の向こう側は現代的なビルが並ぶ新しい街が広がっていました

  添乗員さんの話では2~3年前と比べるとビルの数は驚くほど増えているそうで

  民主化以来小さな都にも近代化の波は押し寄せているのでしょう

  でも旧市街では改装されず壁が剥げ落ちたままのビルが目立ったり

  郊外ではペンキの色がちぐはぐな建物もあちこちで見受けられました

  共産圏時代には物資の不足で同じ色を手に入れるのは難しく

  その時々に手に入ったペンキで塗ったからなのだそう

  民主化されて二十年余、人々は自由を手に入れ生活も向上したでしょうが経済的にはまだまだ課題は多そうでした  

 

 

聖マルティン教会

  マリアテレジアをはじめハンガー王国の戴冠式が行われたことで有名だそうですが

  さほど大きな教会ではありませんでしたがロマネスク建築の姿が美しかったです


中欧への旅(プラハその2)

2012-08-05 13:31:32 | 中欧の旅

 

カレル橋を渡って次に向かったのはプラハの中心ともいえる旧市街広場です。

ここには有名な旧市庁舎の時計塔があって多くの人がそれを見ようと集まっていました

 

    

 この時計塔は15世紀頃に作られたもので上から仕掛け人形、天動説に基づく天文時計、カレンダー時計の3つから成っていて

毎正時に一番上の2つの扉が開いてキリストの弟子の人形12体が姿を現す仕掛けになっています

からくりが終了すると左の写真に見える時計塔のてっぺんで中世の役人風の人がラッパを吹いて終了を知らせ旗を振って観光客を喜ばせていました

         

                 扉が開いて人形が姿を現しました

                 時計の右側には死神のガイコツがいて紐を引くと扉があく仕掛けというのも面白い

                

 

  ホテルやレストランなどが並ぶ一角                二つの尖塔に挟まれて純金のマリア像が光るティーン教会

      

装飾が美しいアール・ヌーヴォー建築の市民会館        火薬庫として使用されていたことから火薬塔と呼ばれているゴシックの塔

   

 

からくりを見た後ツアー旅行のお決まりで時計塔の向かいにあるお土産店へ誘導されました

そのお店は高級感あふれるボヘミアングラスとボヘミア地方特産のアメジストのお店で

ちょっとした手軽なお土産屋さんではありませんでした

高級感と金額は正比例で私たちには縁遠く、即パスでした~

   ケースの中に飾られたグラスは日本でいう人間国宝のような作家さんの作品で安くてもン十万円だとか

それでも何人かの方はあれこれ買い求めていましたので添乗員さんは面目が立ったでしょうか 

 

昼食の後はフリータイムです

このツアーを選んだ理由の一つが自由散策もあるけれどそれをフォローしてくれるというのに惹かれました

添乗員さんがお勧めを一緒に歩いてくれて適当に抜けてもよしというのが自由歩きに自信のない身にはうれしかったです

 

マリオネットのお店の入り口には魔女が・・・

魔女の人形を数多く見かけましたがあの怖い顔を部屋に飾る勇気はありませんでした

   

               チェコで操り人形劇が盛んになったのは他国に支配され言語も自国の言葉を制限された中で

               劇中ではチェコ語を使ってもよいとされた故だとか

               何だか悲しい時代を想像させられてしまいました 

 

小さなお土産物屋さんがずらりと並ぶ街角の市場にはこんなにおいしそうな果物も…  買いたかった~~~

 

 

ミュシャの美術館を目指して通りを歩いていると急な雨

雨を避けて近くの建物に入ると外観は中世の面影いっぱい,

でも一歩中に入るとそこは都会で見る現代的でおしゃれなお店がずらり

その落差?にはちょっと驚かされましたが現代的なものを取り入れていても昔の面影は崩さない努力、頑張っているんでしょうね。

 

チェコを代表する画家ミュシャの美術館

 

   ミュシャはパリで絵画を勉強中に描いたパリの女優サラ・ベルナールのポスターが評判となって一躍名声を得ました

  彼の代表的作品である繊細な曲線や美しい装飾で描かれた女性たちのポスター画の数々をはじめ

  趣の事なる油彩画、下絵やスケッチなどが公開されていました

  ミサ中で見られなかったヴィート大聖堂のステンドグラスの下絵もあり、

  これにきれいな色がついたのかと思うとステンドグラスが見られなかったのがまたまた残念な思いです

  美術館の一角にナチスドイツに拘留されたとの記載がありました

  彼が帰国後愛国心を喚起させるような絵・「スラブ叙情詩」の制作や国家的行事のポスターを数多く手掛けたことが拘留の理由だったとの事

  厳しい尋問を受けて釈放された後まもなくその生涯を閉じたらしい

  こんなところにも他国支配の影が落とされていてチェコという国の歩んだ苦悩を感じました

 

  お ま け

 ところでミュシャ美術館へは個人入場なのでチケットは自分で

     180コルナ(約720円)の入場料を払う際のあるおばさま

     ユーロの硬貨とチェココルナを混ぜてしまっていたようで受付で「ノー」と言われて

     本人は訳が分からず添乗員さんがあわててコインを選別して払うという一コマも・・・

    でも実際ユーロとコルナのコインはよく似ていてわかりにくいのですがなんとまあ、世話のかかる事ねぇ

    添乗員さんもご苦労さまな事です 

 

街歩きの締めはスーパーマーケットでのお買い物

  日本のスーパーと同じく豊富な商品が並んでいましたがレジの違いに戸惑いました

  チョコやクッキードライフルーツなどを買ってお会計でしたがカゴから商品を出せと言われました

  台に並べた品物をチェッカーし終えるとバーのようなもので品物を押しやって一段下の棚に落す仕組み

  カゴからカゴに移し替えてくれる日本方式の方が効率よく便利だと思うのですが・・・

  何か理由があるのかしら

  そしてそれ以上に困ったのが袋を持っていなかったのでレジの袋をもらったのですが

  その袋の薄い事 重いものや角張ったものを入れたのですぐに破れて袋の体をなさないのです

  買い物はマイバック持参が常識になっているのかもしれませんが・・・

  日本のサービスは過剰とも言われますがそれに慣れた者にはなんとも理解しがたいスーパーのレジでした

  

    

     


中欧への旅(プラハその1)

2012-07-31 15:44:07 | 中欧の旅

2度の大戦からの被害を免れ、ゴシック、ルネサンス、、バロックなど中世の建築が美しく残るプラハは

「百塔の街」「建築博物館の都」などと呼ばれ世界で最も美しい街の一つと言われています

そのプラハの街歩きが今日の観光コース、

バスでの長時間移動がないので朝もゆっくり、リラックスした朝食を楽しみました

こうしてみると朝から結構な量を食べてます

  

 

  たくさんの本が並んでいますがここはどこ?

答えはホテルのレストランなんですよ、レストランに本棚なんて珍しい

食後にゆっくり読書?あくまでインテリア?

ちなみに私たちはこのホテルに2泊しましたが本を読む人は誰も見かけませんでしたが

 

プラハ城

ボヘミア王国の黄金時代である14世紀、カレル4世の時代にほぼ現存の形となり

その後歴代の支配者によって増築を重ねさまざまな様式が見られる複合建築となって今に至っているのだそうです 

 

聖ヴィート大聖堂

 96.6mの尖塔が空を突き刺すようにそびえる様は圧巻です

この大聖堂も14世紀のロマネスク様式の教会を元に時代を経て何回も増改築され

1929年までかかって今のゴシック様式に完成したのだそう

中にはチェコを代表する画家ミューシャのステンドグラスなどもあって素晴らしいとのことですが

私たちが訪れた時間帯はちょうどミサが行われていて中に入ることができず残念

 

聖イジー教会

    プラハ城内最古の教会、

    本来はロマネスク様式ですが17世紀にバロック様式のファサード(正面の外観)が加えられ

    現在は音楽ホールとしても使われているそう

    赤いレンガの外観が目を引きます

              

 

中世の建築を語る時登場する〇〇様式・・・・・

     その作られた時代や建物の特徴はなんとなく知っているかな?で正確には答えられません

    それでちょっと調べていたらこちらが分かりやすかったのでページをお借りしました 

    興味ある方はどうぞ

 

 

プラハ城の門を出てすぐ市街地を望む絶好のポイントがありました~~

             街の中心を流れるモルダウ川

             それを挟む赤い屋根の家並みが何とも美しい景色です

 

 

カレル橋

  プラハ市内を流れるモルダウ川に架かる数多い橋の中で最も古いのがカレル橋

14世紀末~15世紀にかけて60年もの歳月をついやして作られたという石橋は今は観光名所としてにぎわっています

そしてここはスリの名所でもあるそうでガイドさんからくれぐれも注意するようにとのお達しがありました~ 

 

橋の入り口にある塔の上に上がらないと橋の全景は見ることができません

私たちは橋の上を歩いただけなので↓の写真はプラハを紹介するHPからお借りしました

振り返ると先ほど行ってきたプラハ城がそびえています

橋の上には路上パフォーマーが何組も・・・

似顔絵かきやお土産を売る露店もあちこちに並んでいてついつい見とれてしまいます

こうした時にひったくりやスリが?

でも幸い私たちが行ったときはそれほどの混雑はなくてやれやれでした

 

長さ約520mの橋の欄干には30体の聖像が並んでいるのも有名

中でも有名なのがボヘミヤの守護聖人といわれる聖ヤン・ネポムツキーの像です

 

この像の台座のネポムツキーのレリーフに触ると幸運が訪れるという言い伝えがあるとか、それならばと私たちも・・・

どれだけの人の手が触れたのでしょう?黒ずんだ像のここだけはピカピカでした 

 

橋のたもとの橋塔の前には中世の衣装を着けた番人?が・・・

その昔は街の東西を結ぶ橋はこのカレル橋だけで王室の行事などが行われる重要な橋だったとのこと

そのための橋を守る番人だということでしょうか、暑い中ご苦労様です

  

 

 

 

 


中欧への旅≪チェコ・チェスキークルムロフ≫

2012-07-23 15:46:36 | 中欧の旅

春江一也の「プラハの春」を読んで以来プラハの街にとても興味がありました

そして中世の街並みが今もなおそのまま残るというチェコをはじめとする中欧の国々に行ってみたい!

そんな願いが叶った旅でした

  * * 小説は1968年に起こったチェコスロヴァキアの 民主化運動を ソビエト軍が軍事介入した事件をもとに

       当時日本大使館に勤務していた筆者が外交官の目でその歴史的背景や自由を奪われた人々の

       苦悩や緊張を反体制活動家の女性と外交官のラブロマンスに絡めたお話ですが

       今回その舞台になったプラハの地に立ってみるとそのような暗い時代を感じさせるものはなく

       手に入れた自由を満喫している市民の笑顔が印象的でした

         

       

 

今回のルート

オーストリア航空で夕方ウィーンに入り1泊

その後

ウィーン ⇒ チェスキークルムロフ(チェコ) ⇒ プラハ(2泊)

プラハ ⇒ ブラチスラバ(スロバキア) ⇒ ブタペスト(ハンガリー)(1泊)

ブタペスト ⇒ ウィーン(2泊)

 

★チェスキークルムロフ★

ドナウ川の支流モルダウ川が大きく湾曲した地形に

中世の雰囲気をそのまま残す赤茶色の屋根が連なる景色が素晴らしい街です

街全体が世界遺産になっているというのもうなずけます

スメタナの美しいメロディを生んだモルダウ川ではラフティングやボートを楽しむ人でにぎわっていました

地形が自然の要塞となって繁栄を極めたのでしょう

旧市街を見下ろす崖の上に建つチェスキークルムロフ城は長きにわたって増改築され

ゴシック、ルネサンス、バロック建築が混じる複合建築となっています                                                                         

 上の写真は頑張ってお城のシンボルの塔に上って写しました

狭い階段をフウフウ言いながらを一生懸命上った甲斐があった景色です

 

お城の橋の窓から覗く景色はおとぎの国のよう          凹凸があるように見える建物は実はだまし絵

    

 

↓はパステルカラーの壁がとてもきれいな建物が囲むスヴォルノスティ広場

この日はちょうど結婚式があっておしゃれした人達が大勢集まっていました

でも日本では考えられないのが白いドレスの花嫁さんがタバコをスパスパ

その後にぎやかな踊りの輪が広がっていましたが人垣で見えず残念

広場の中心にあるのがてっぺんにマリア様をいただくマリア記念塔

こうした記念塔は今回訪れた各地でも見られましたが17世紀までヨーロッパで蔓延したペスト終結を

感謝して建てられた記念柱なのだそうです

ペストは中世の時代、人口の3分の1までもの命を奪った所もあったと聞きます

それほどに恐ろしい病気だったということがうかがえる塔でもあります。

 

写真左のピンクの建物が昼食のレストラン

 食事はオーストリア航空の機内食に始まってどこも割と美味しくてうれしかったです

でも味付けが少々濃いめだったり量が多すぎるのが難点といえば難点だったかも

こちらでは私たちに比べ背も幅も倍以上もある人が多く、そんな人達にはちょうど良いのかも


中欧への旅 「プロローグ」

2012-07-22 23:07:38 | 中欧の旅

「中世の街並みをじっくり堪能 中欧4ヶ国ゆったり紀行」

ツアーの名とは裏腹に駆け足でしたがチェコ、スロバキア、ハンガリー、オーストリアの4ヶ国を巡って来ました。

 

出発の日は13日の金曜日、おまけに仏滅という何だか恐ろしいような日でしたが

迷信を証明するかのごとく順調な滑り出しの旅となりホッとしました。

最初ツアー人数36名と聞いて、そんな大所帯でどうなることかと心配しましたがよい添乗員さん、仲間に恵まれて

終始にぎやかにトラブルもなく無事帰ることができて良かったです。

そんな中、80歳という高齢のお母さんと娘さんで参加の一組がありました

そのお母さんは私たちが疲れた~~を連発の一日中歩きずめの街歩きも皆と同じようにこなす元気度が素晴らしい!

「元気で80歳になっても娘と海外ツアーに参加できるなんて幸せな事ねぇ」

「娘っていいわねぇ」 「やっぱり娘よね」なんて声があちこちで・・・・

私にも娘はいるけれど自分は果たしてそんな元気があるかしら?

とてもうらやましい母娘さんでした

 

地図上ではすぐお隣の国とはいえ4ヶ国を廻るのですから移動が大変

移動はで4時間、5時間という長時間ドライブ・・・

疲れるだろうなと思っていたけれどバスは真っ平らなハイウェイを快適に走るのでそれほどの疲れは感じません

おまけに車窓の景色は北海道の富良野を思わせるような丘陵地帯や見渡す限りの大平原・・・・

見飽きることなく眺めながらの旅でした

 

      ≪ウィーンからチェコに向かう≫

   富良野の丘陵地帯を思い浮かべる景色です

   緯度もほぼ同じとのことで、お花も短い夏の間に一斉に咲くのだそう

 

 

 

≪ブタペストからウィーンへ向かう≫

果てしなくどこまでも続く大平原の中をバスはひた走ります

車は行き交うものの建物はなく人の姿も見当たらないハンガリー大平原・・・

風車の群れが現代を思わさせる唯一の景色でしょうか

 

 

 

 

共産圏時代は国境を超えるのは大変なことだったのでしょうが

ソビエト支配から解放されEUに統一された今は国境もスルーパス

残された検問所の建物だけが昔の面影を残していました

でも写真撮影は禁止、この前の北京の事があるので興味深かったけれど我慢、、我慢でした

 

 

街を歩いていてワンコを見かける度にジュンの事が思い出され

どうしているから? 大丈夫かしら?と少々胸が痛みました

でも家に帰ったらおぼつかない足取りながら真っ先に玄関に迎えてくれたジュンを見て一安心

思わずギュウっと抱きしめて嫌がられてしまいました

 

長い間家を空けた後なので雑用がいっぱい、たくさんの写真の整理もなかなか進まず…と

とりあえず帰国をお知らせして旅の模様はボチボチUPさせていただきます