毎年の夏のお楽しみ、今年もラッシーママさんの伊東のお宅に集合の夏合宿に参加しました。
参加者はパパさんも入れて6名、伊東駅で出迎えを受けいつものお魚河岸でランチを・・・
相変わらず食べきるのが大変なほどの量の〇〇定食を皆でシェアして美味しくいただきました~
その後はいつも通りママさん宅でおしゃべりタイム開始
お腹がいっぱいと言いつつ、テーブルの上に並ぶたくさんの料理が少しずつ減っていくのがすごい?
14時ごろから24時過ぎに就寝ま良くしゃべり・食べ・飲みました
翌朝目が覚めると外はものすごい豪雨で時々雷もなる悪天候
予定を変更し雨が止むまでお宅でゆっくりしましょうという事に
それでも皆の心掛けが良いから?雨はだんだんと小やみになり昼過ぎには曇り空になって
2日目に泊まるホテルにほど近い韮山反射炉と江川邸を目指しました。
反射炉は以前は訪れる人も少なく閑散とした中に炉だけがぽつんと立っている状態でしたが
2015年に「明治日本の産業革命遺産」の構成遺産として他の7か所と共に世界遺産に登録された後は
りっぱなガイダンスセンターなどが出来てその様子は以前から一変です。
「世界遺産」の威力ってすごい!を感じさせられます
ボランティアガイドさんがいていろいろと説明をしてくれ
炉の構造やそれを作るまでの苦労話など詳しく知ることができました。
韮山反射炉は幕末、列強諸国に対抗するための軍事力強化の一環として時の韮山代官・江川英龍が
幕府に進言して築いた大砲を作るための鋳造炉で
実際稼働し完全な形で残っている国内唯一の反射炉という事で世界遺産になりました
皆さんおなじみの「お台場」はここで作られた大砲が設置された場所を指す地名です。
この反射炉のすぐ近くに重要文化財指定の韮山代官屋敷・江川邸があり、次にそこへ行き見学しました。
この地に42代(約900年)続く江川家は長い歴史の中で400年近くも火事にあったことがなく
50坪もあるという広い土間が屋敷の大きさを表しており
その土間から見上げると12mもあるという屋根を支えるくぎを使わない柱や梁の骨組が高くそびえている
といった感じで広がっており数百年前の姿を今なお伝えていて圧巻です
また長い間火事に会わなかったという事で2万点もの貴重な資料が残されている江川文庫には
今なお手つかずの資料も数多いと聞きました
長く続く江川家ですが中でも幕末の36代・英龍はとくにすぐれた人物で当時の国際情勢から日本の立場を
憂慮して↑の反射炉の設営や農兵制度など西洋から学んだ数多くの革新技術を実践し
日本で最初に兵糧としてのパン(すごく硬くてパンというより乾パンみたいなもの)を作った人でもあります
パンを焼いた窯が残っていてパン祖の名がついています
また彼は文化的にも優れた才をもつ多才な人でもあったことが
邸内に展示されている多くの絵画、書、歌などの作品で知りました。
また英龍は邸内に「韮山塾」を開き西洋式砲術をはじめとする西洋の知識や技術の普及に努め
日本各地から集まった多くの塾生の中には佐久間象山や橋本佐内など幕末を代表する人の名前が
多く認められ、ここは想像以上のすごい場所であることを再認識させられ皆で興奮でした
多くの塾生が机を並べた部屋も残されていています。
この後宿泊先の大仁ホテルに向かい部屋に入りましたが
角部屋の大きな窓からは眼下にホテルの広い庭園と町並みが広がる最高の景色でわぉ~!でした。
残念ながら富士山は見えませんでしたが正面には富士も見える景色です。
大阪から参加のlilyさんに見せてあげたかったですぅ
ホテルでの夕食は飲み放題が付いた会席コース
私は飲めないので飲み放題は関係なかったけれどイケる口のnaoさんはあれこれ飲み比べて満足そうでした
焼き魚は「アユ」、近くの狩野川で採れたアユでしょうか、美味しかった!
パパさんは食事もそこそこにカラオケルームへ直行、存分に歌った様子で11時過ぎに満足顔で戻られました。
ご飯はシラスの混ぜご飯でしたが食べきれないので皆で分け合って手つかずのお釜が二つ、
そのまま残しても勿体ないと思うのが主婦根性?
素早くおにぎりにしてお持ち帰り~
部屋に戻ると昼間の景色はきれいな夜景に変わっていてきれい!とまたまた大興奮
皆で夢中でカメラを向けましたがわたしのコンデジではあまりきれいな写真は撮れず残念
なので写真はなしです。
翌朝食事の前にミンミンセミが鳴く中をよく整備されたお庭の散策
こんな橋も架かって風情もたっぷり・・・
全てに満足のホテルでした
翌日は箱根に向かいました つづく