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ビオラのつれづれ記

大好きなお花のこと、
日常のちょっとしたことなどを書き留めています。

烏魯木斉(ウルムチ)

2024-11-09 21:04:02 | シルクロード旅

トルファンからバスで2時間半、新彊ウイグル自治区の中心であるウルムチに到着

トルファンでも感じましたがここで見かける人々の顔は中国人というより西洋系の顔立ちで

この地が中央アジアに接した東西が交わる場所であったことを強く感じさせられます

世界で最も内陸に位置していて海から2500km以上離れた「世界で最も海から遠い都市」だそう

其れで驚いたのが食事にアサリが出たこと

そんなに海から遠い地方と聞いたのに店先の水槽にはアサリや海魚がたくさん並べられていてビックリでした

大昔のシルクロードでは考えられない光景でしょうね

中央アジア系の顔と書きましたがウルムチ住民で一番多いのは漢族で75%を占めていると聞きちょっと驚きでした

ウイグル自治区への弾圧があると聞いていますがその人口比率も中国政府が意図的に漢民族の移住・同化を進めている結果だとのこと。

建物もイスラムを感じさせるものがあちこちに見られましたが壊されたものも多く以前の街は

もっとイスラム的だったんだろうと想像しました

問題が多く深刻な事も多い地に暮らす人々の安寧を願いますが・・・

 

|*新彊ウイグル自治区博物館

 

ここでの観光の一番のお目当ては「桜蘭の美女」のミイラ

1992年、日中国交正常化20周年を記念して国立博物館に来たこのミイラに会いに上野まで出かけ

髪の毛、まつげなどが残り帽子、ポシェットなどを身に着けたミイラに会え感激しました。

今回また会えるというのでわくわくでした

この女性ミイラは1980年スウェーデンの探検家ヘディンの楼蘭王国の発掘中に発見されました

科学鑑定で3800年ほど前のものだという事が判明

3000年以上もの長い間砂に埋もれていた、保存状態が良いヨーロッパ的な顔立ちの女性のミイラの発見は

当時大きな話題になったことを覚えています

今回会えたミイラは以前に見た時より色が黒ずんでおり発見からも上野で見た時からも長い年月が経っている事を感じました

その骨格から復元された容貌図 推定40歳ぐらいだそうです

この博物館にはこのミイラの他にもいくつかのミイラが保管されていていましたがどれも保存状態が良く

生きているかのように何千年も眠るミイラたちを見るとはるか遠い砂漠の国へのロマンがかきたてられます

楼蘭王国があったとされる場所ではないかと言われている遺跡の写真

この砂の下にはまだまだたくさんの人が眠っているかもしれません

*新彊国際バザール

観光目的で2003年に作られたバザールで伝統的バザールではないらしいですが

それでもイスラム的建物やシルクロードの特産品などを売る店が並び高層ビル群の大都会ウルムチにあって

異国情緒を味わえる場所だった。

ウイグル族の民族楽器 

どこに何があるか分からないのでは?なんて思うほどビッシリ

ドライフルーツも山積み、イチジクと干しブドウをゲットしました

ザクロも名産らしくあちこちで山積み、その場でジュースに絞ってくれます。

そのジュースをプラスチックの小瓶に詰めてもらって帰りのトランクに入れたら

発酵した?のか蓋が緩んで荷物にこぼれてしまい散々だった

でも味は美味しかったです

バザールの後は市内を見渡せる高台にある紅山公園からウルムチの街を眺めました

中国の奥地に足を入れた旅の終わりを惜しみつつ・・・

ここウルムチで今回のシルクロードの旅は終りなのですが

ここからが今回一番の強行軍でした

21:45分発の東方航空機で西安へ戻り、空港内にあるホテルに入ったのは午前2時

そして8:20発の飛行機に乗るため寝る間もなく6時ごろ出発というもの

私も友もスケジュールをちゃんと確認していなかったのでこれを知った時はびっくりでしたが

知っていても参加したわよね、でした。

     (終)

 

 

 

 

 


トルファン観光

2024-11-04 20:30:23 | シルクロード旅

*高昌古城

 紀元前1世紀から13世紀まで1300年間も栄えた古代都市の遺跡です

  遺跡の入り口にある玄奘三蔵法師の像はとてもイケメンでした

   

 古城は最盛期には37000人もの人が住んでいたそうで総面積は200万㎡もありとても広いですが

 城壁や建物はほとんどが崩れて当時の面影を残すのはところどころに残る建物の一部だけです

  

 2014年世界遺産になる前まではここに人が住んでいたとのことですがこんな場所でどのように?と思ってしまいました

 広いので上の写真に見えるカートに乗って回りました、ロバ馬車もあります

  

 

 ここは唐の時代天竺に向かう玄奘が王に請われて2か月滞在し説法をしたお堂

内部はそれほど広くなく丸い天井から見える青空が印象的だった

*アスターナ古墳群

 高昌国の民の墓地で辺りには約500ほどのお墓があるそうですがそのうちのいくつか公開されていて見学できます

 写真はNGなのでありませんが

 お墓に続く石段を下りるとその地下にはきれいな彩色が残る壁画やミイラが安置されていて夫婦のミイラもありました

 それらのミイラはどれも状態がよくこの地が強い乾燥地帯であることを思います

 副葬品もたくさん出土していてそれらは近くの博物館に収められていて見学しました

 

*火焔山

 赤味を帯びた山肌が炎のように見えることからその名がついている山です

 「西遊記」にも出てくるこの山は砂岩が侵食されてできた褐色の模様が98kmにもわたって続く丘陵でまさに炎の山

 褐色の大地を行く三蔵法師や孫悟空達の旅を想像

  

 

 *カレーズ

  トルファンは中国でも最も暑く最も乾燥した地域だそうです

  それにもかかわらずシルクロードのオアシスとして栄えたのはカレーズのおかげという事でした

  カレーズとは地下に築かれた水路のことでここでは天山山脈の雪解け水を利用しています

  一定間隔に竪穴を掘りそれぞれを横穴で結び地下水路を作っています

  空から見たカレーズの竪穴群、すごい数の穴が並んでいます

       

   ↓は地下を流れる水路 触ってみると冷たくていい気持ちです

  

 *おまけ

  この地方はブドウの産地 

  見上げるブドウ棚では実がなったまま乾燥させていて少ししぼんだブドウが…

  天然干しブドウです、 ここの乾燥の強さをまたまた感じた景色でした

  


敦煌(西千仏洞・漢代長城・玉門関)

2024-10-31 16:27:31 | シルクロード旅

*西千仏洞

莫高窟から少し離れた位置にあり莫高窟の規模や華やかさに比べると風化が進んで崩れかけた窟も多く

こじんまりした静かな雰囲気で素朴な感じがする千仏洞でした

作られた時代は莫高窟と同時期かもしくはそれより早い時期ではないかとのことです

*玉門関

 玉門関は敦煌からバスで一時間ほど行った所にありシルクロードの出発点で中国と西域を結ぶ回廊防衛の重要な関所

 西域交通が盛んだった時代は交通の要衝として栄え三蔵玄奘もここを通ってインドへ向かったそう

 宋の時代シルクロードの衰えとともに衰退し今はゴビ砂漠の中にぽつんと長方形の構築物が残るのみですが

 今は荒涼とした辺境の地が人々の往来でにぎわった時代を思うと感慨深いものがありました

  

↓のような木が生えない黒い山、砂礫の平原の景色(ゴビ砂漠)の中をバスで走る中、

遠くに湖のように見える蜃気楼がをみることができました

 

玉門関からまたバスに乗り少しゴビの砂漠の中を走るとところどころに切れ切れに残る長城の遺跡が見えてきました

漢の時代北方の異民族・匈奴防衛のために築かれた長城の址です

誰もが知る万里の長城のような堅固なものではなく土に草を練りこんだ土壁で

長い年月の風化でわずかな城壁が残るのみになっていました

写真のあたりが一番保存状態がよい場所

左端に見える突起はのろし台

中国において紀元前のこの漢代長城から明代まで続く長城の建設は匈奴の脅威がいかに大きかったかを

物語るものでしょう

 

この後柳園という駅に向かい高速鉄道でトルファンへ向かいました

日本では考えられないですが多くの人が行きかう駅でまた検閲がありびっくり

そしてもう一つ、駅は急こう配の長い階段でホームに向かうのにエスカレーターは下りのみしかありません

そのためか荷物を運ぶポーターがいてポーターを頼みますかと聞かれました

その値段が何と125元(5000円)と聞いてまたまたびっくり

高~い!高いけど自分で運ぶのは無理とだわとツアーの仲間で申し込んだのは私たちともう一人の女性の3人のみ

自力でトランクを運んだ人たちは皆フウフウでした

そして降りたトルファンの駅では反対に下りのエスカレーターがなかった

でもここにはエレベーターがあったので助かりました

新疆ウイグル自治区の名前はよく耳にする言葉でちょっと田舎をイメージしてしまっていたけれど

失礼、トルファンは都会でした

トルファン駅

トルファン駅で十五夜の月を見る

この日の夕食は農家レストランで、素朴な味が美味しかった

またここではこの家の子供たちによるダンスのサービス、間には私たちも一緒に踊って楽しい夕食となった


敦煌(莫高窟)

2024-10-25 20:01:46 | シルクロード旅

*莫高窟

 見学の前に必ずバーチャルセンターで映像をみたあと専用のバスで莫高窟に行きます

 そして窟の見学は自由に見て回ることは出来ず予約制で専用のガイドに案内される仕組みでした

 もちろん私たちは日本語のガイドさんで。

  先に行った鳴沙山の東の断崖に4世紀から1000年間に渡って掘られた洞窟が蜂の巣のように並ぶ莫高窟

 実際にはもっと多くあるとのことですが公開されている数は492個でそれらには番号が付けられています

 その石窟内には2400あまりの仏塑像が納められ、壁一面に描かれた壁画の総面積は45000㎡にもなるそうで

 仏教美術の宝庫と言われるのもうなずけます

 

 窟には一つ一つにかぎが掛かっていてガイドさんがそれを開けないと中に入れません

 写真もNGなので外観の写真しかありません(;^_^A

 また窟は入場チケットのみで見学できる一般窟と追加料金を払わなければならない特別窟があり

 私たちは8つの一般窟と特別窟の45窟を見学

 ここは唐の時代に作られた如来像を囲む7体の塑像が並ぶ窟ですがそれぞれがリアルで細やかに表現され

 特に菩薩像の柔和なお顔に見とれます

 色もきれいに残って素晴らしく莫高窟塑像の最高傑作と言われるものだそう

 45窟へは追加料金200元(約4000円)で結構な値段と思いましたが

 そんな貴重な窟がみられたことを思ったら4000円は高くなかったといえるかも

 また窟によって差があるのは奉納した人の財力にも関係あるとか、このような素晴らしい窟を作った人はお金持ちだったんだろうな

 始まりは一人の僧が修行のために掘った窟でしたが西域からの中継地であった敦煌で

 仏教が盛んになり当時の人々が祈願のための奉納という形で作っていったものだそう。

 1000年の長きに渡っているのでその時代時代で壁画や塑像に特徴があり

 その価値は美術的にだけでなく当時の生活様式なども知ることができる点でも貴重なものとされています

14世紀になってシルクロードの交易が途絶えたことにより敦煌の街はすたれ、莫高窟も忘れられた存在になったのが

1900年に敦煌文書といわれる大量の古文書や経典が発見されたことで再び脚光を浴びることになったという歴史がある

今でこそ価値ある遺跡となっているけれどかってはその窟内で煮炊きした形跡も残っていて

生活の場にもなっていたこともあったらしい。

その古文書が発見されたという第17窟を見学した時には井上靖の小説「敦煌」を思い出す

この小説では敵国・西夏に経典を焚書されるのを恐れて隠したとされるけれど今では研究でその説は疑問視されているのだそうですが

あの小説や映画から莫高窟にロマンを感じている人は多いのでは?とも思う。

↓の写真は莫高窟の象徴的建物の第96窟、

9層楼からなり中には35.5mの大仏が納められています、

奈良の大仏が18mだそうなのでその倍はあり、大きい!!

大きすぎてその全体像がうまく見えないのが残念でした(;^_^A

この前で記念撮影が定番のようで多くの人が写真を撮っていて順番待ちでした(;^_^A

  今年二回目の開花の月下美人には7つもの花が開いて感激、

  夜6時過ぎから少しずつ開き始める姿はスローモーション映像を見ているようで興味深く

  良い香りと優雅な気分に浸った夜でした

        

   アメジストセージ            オキザリスボーウィー

 

          ムラサキシキブ

       


敦煌(鳴沙山・月牙泉)

2024-10-23 16:42:10 | シルクロード旅

西安から敦煌へは飛行機で2時間半のフライトでした

この時搭乗時間に遅れてしまうという大失敗をしてしまった

なんだか大慌てで機体のある場所までバスに乗せられ、タラップを上がって機内へ

恥ずかしいやら申し訳ないやらで穴があったら入りたい心境

そんなこんなの出発でしたが無事敦煌へ

*鳴沙山・月牙泉

 敦厚でまず行ったのは鳴沙山と月牙泉

  

  後方では莫高窟の壁画に描かれた天女を模した天女がポーズを決めて撮影中

   

  東西の長さ40km、幅20kmという広大な砂山とその麓にある三日月のような形をした泉です。

  この月牙泉は砂漠の中で2000年もの長い間絶えずに湧きつづけているのだそう。

  また鳴沙山はサラサラの砂なのに山の形が崩れないのは風が下から上に向かって吹くためだとか

  砂の中を歩くので靴に砂が入らないようにレンタルのブーツカバーを5元で借りる

  

  目の前に広がる砂漠と砂山、その前をラクダの列が行く様は平山郁夫の絵で見たシルクロードの景色そのもので感激

  私たちはラクダには乗らずトロッコで移動

  ラクダには以前エジプトで乗ったことがありますが座っていて立ち上がる時に結構揺れて怖かったけれど

  立ち上がってしまえば乗り心地は悪くなかった

 

周辺を見学した後は目の前のに小高い砂山へ登ります

縄梯子のようなものが埋め込んであってそれに足をかけて登りますが何しろ砂、砂、砂、足が埋まってしまい歩きにくいこと

上からは月牙泉の三日月型がよくわかりました

遠く敦煌の街もよく見えます

この後、下山がまた大変、登りは梯子に沿って登ったのですがそのルートは混雑していたので

梯子から外れたところを下ったのですがちょっと油断するとズルズルと滑り落ちてしまうので123,123と慎重に慎重に。

無事下山できましたが周りでは転げ落ちている人も

*ホテルで一息ついた後は近くの夜市へ

  

  

 数百メートルにびっしりと露店が並び夜遅くまで賑わう場所です

 干し果物やナッツ類、民芸品の彫刻や絵画、スカーフなど様々な品が並び

 彫刻や絵画はその場で見事な手さばきで仕上げている様子に見とれました。

 見るだけでも楽しい夜市でした

 食事の後なので何も食べませんでしたが名物のシシカバブの串焼き、ロバの肉料理などのお店もいっぱい。

 ここでの価格交渉はスマホの翻訳アプリで、便利な時代になりました

 

 *ホテルの廊下にあった西安からローマまでの全シルクロード図

 これを見ると私たちが訪れた西安から烏魯木斉まで(黄色の線)は全体の六分の一ほどの道のりでしかありません

 そこを飛行機や列車、バスで通過しても一日ぐらいかかる距離です

 昔、砂漠や険しい山を越えてこのシルクロードを通った人達の過酷な旅を思わずにはいられませんでした

 翌日は楽しみな莫高窟へ  


西安観光

2024-10-18 15:13:33 | シルクロード旅

中断していたシルクロード旅を再開します

*大雁塔

 

 ここは玄奘三蔵がインドから持ち帰った経典や仏像を保存するために建てられた64mの7層からなる塔

 塔の最上階まで階段を登ることができチャレンジしましたが疲れた~

 途中休み休み出上まで上がると西安の街並みがきれいに見えました

玄奘が持ち帰った経典が納められた筒

当時は紙はまだなく月桂樹の葉を加工したものに書かれているという事でしたがどうなっているのかよくわからず

*青龍寺

 

遣唐使として中国に渡った空海が長安で修行したお寺という事で知られています

お寺の再建には空海ゆかりのお寺という事で日本の四国4県の支援もあり

四国から寄贈された空海の記念碑や記念堂があります

 

そして今は四国八十八か所の0番札所という事になっているそうです

ということで訪れた記念にいただいた一番札所のお札

 

境内のいたるところに赤いリボンが吊るされていましたがこれは祈願成就のお札だとか

日本でのおみくじを木に縛るのと同じような風習でしょうか

  

                 *空海が師の恵果和尚から阿闍梨付嘱物を授けられる像

またここで目に付いたのがコスプレした人があちこちで撮影会に乗じてしたこと

人目を気にせずモデルになりきってポーズする姿に思わず見とれた私達でした

境内は楊貴妃だらけ

ここは長安なのでコスプレは楊貴妃でしたが次に行った敦煌では天女がいっぱい

いま中国ではこのコスプレが流行でメイク+レンタル衣装のお店があちこちで見られました

こんな光景を見て日本に来ている中国人が人目かまわずモデルのようなポーズを決めてカメラに納まる姿に納得

*西安西の城門

 

 唐の時代の長安城を基礎として明の時代にレンガを積み上げて作られた周囲14km、高さ12m、幅12~14mの

 城壁が市街地を囲んでいて完全に保存されている世界最大の古城壁だそうです

 城壁の下の広場

 

  ここにも楊貴妃が…

  

  建設当時のままの門をくぐり 

 

 シルクロードの起点と言われている西の城門に上がりました。

 城壁の上は車も走れる広さ、レンタサイクルで走ることもできます。

 

 また城壁の上からは街の様子がよく見渡せ、古い面影を残す景色の向こうに林立する高層ビル群の対比に歴史を感じました

 

 街のシンボル鐘楼

 

この日の夕食は餃子宴と銘打った16種類の餃子がメイン

いろんな味の餃子を楽しみましたがこの他にも料理があってとても全部は食べきれなかった


西安・兵馬俑

2024-10-01 17:24:07 | シルクロード旅

西安はシルクロードの東の起点でかって長安と呼ばれた古都

遣隋使や遣唐使によって日本にもたらされた多くのものの原点がここにあったと思うと感慨深いものがありました

そしてここでの一番の目的は「兵馬俑坑」

兵馬俑の発見は意外と新しく1974年といいますからちょうど50年前の話です

農民が井戸を掘っていて発見「20世紀最大考古学的の発見」と言われ世界中を驚かせました

兵馬俑坑から1.5キロほど離れた場所に始皇帝陵がありそちらもまだ発掘が進ん進んでおらず

始皇帝陵全体から見たら発見された兵馬俑坑はほんの一部で掘ればまだまだ埋まっている可能性が大なのだとか

そして全体解明にはまだ数十年の月日がかかると聞き中国という国の大きさ、奥深さを思い知らされる

以前日本の「兵馬俑展」で2回ほど兵馬俑を見たことはあり、その時もすごい!と感激しましたが

今回見たそれは規模が違いました

発掘された兵馬俑は8000体ほど、車馬が500頭、戦車130台などでその規模の大きさから

秦の始皇帝の権力の大きさを思います

1号抗にある俑坑にずらり並ぶ兵馬俑は約2000体ほどという事ですが圧巻でした

2号坑はまだ修復前の俑が土に埋もれた状態のまま残されていて発見当時の様子が垣間見られた

また俑の種類や説明のパネルなどが並んでいました

俑の身長は180cmほどの長身で顔の表情は一体一体皆異なり、身分によって服装も違うという精巧さです

その俑から当時の軍隊編成や服装民族構成などまで克明に分かるそうです

将軍                        中級官吏

  

   *将軍様は恰幅の良さまで表現されていますね

 

騎兵俑                      立射俑

 

今は色が消えてしまっているものが多いがその表面には彩色が施されていたことを示すパネル

発掘当時の様子を示すパネル

兵馬俑規模の大きさや内容に驚いたは初めての中国食のランチ

ターンテーブルに並びきれないほどの料理は割とおいしく日本人に合わせてくれてあるらしかったが

今回どの食事も辛い!中国料理ってこんなに辛かったかしら?でしたがまあおいしくいただきました

   

 

 


久しぶりの海外は中国シルクロードへ

2024-09-27 17:13:43 | シルクロード旅

旅行から帰っても次々と用事があり今日そのすべてがやっと終了しブログアップに漕ぎつけました

お墓参り先のお寺の境内には毎年見事な白い萩の花が・・・

ニュージーランドへ出かける寸前でコロナが始まり敢え無くキャンセル

以来コロナ禍を経て久しぶりの海外旅はシルクロードへの旅でした

ずっと以前NHKで放送された「シルクロード」を見てずっと憧れをもっていました

西安から遠くローマまで続く6400キロの絹の道はまた海を越えて日本にも多くの文化や宗教、経済など

多くの影響を与えてきたことを思う時大きなロマンをも感じさせられてきました。

今回は西安からウルムチまでのごく一部の旅でしたが草木の生えない荒涼としたゴビ砂漠、険しく連なる山々など

人を寄せ付けない地形が続く中を行き来した古人達の苦労は想像できないほどの過酷さであったろうと改めて思う景色でした

そんなシルクロードを今回は飛行機や高速鉄道、バスなどで廻って来ました。

ツアーは総勢19人、今回の特徴は一人参加の男性5人、お友達同士の男性2人組など総数でも男性の数が多く

兵馬俑や莫高窟などの歴史への思いを強く持たれた男性が多かったようにお見受けしました。

また今回中国への旅では戸惑ったことがいっぱいでした

以前訪中したときはビザは必要なかったのですが2~3年前からビザ復活とかで旅行前のビザ取得が大変だったこと

その内容はすごく細かく最終学歴や父母のことまで事細かに申告しなければならなかった事

パスポートも現在と古いパスポートまで提出要求されたことなど本当にうるさかった

そしてちゃんと調べていかなかったのが悪いのですが

レンタルWi-Fiを用意するほどでもないからホテルのフリーWi-Fiでいいわと思っていたら

中国のネットではLINEをはじめSNSの多くとGoogleのアプリが使えなかった事

よって頼りにしていたGoogleの翻訳アプリも使えず

またどこへ行っても検閲が厳しくパスポートをしまう暇もないくらいパスポート提示と荷物検査が行われ

何回も何回もで閉口でした

でも紀元前2世紀から悠久の歴史をきざんできたシルクロードは多くの素晴らしい遺跡や景色で大いに満足させてくれました

次回から旅の様子をアップします

       チロちゃんのハロウィン姿 こんなのかぶらされてと迷惑そうでもあります