ビオラのつれづれ記

大好きなお花のこと、
日常のちょっとしたことなどを書き留めています。

梅雨の晴れ間は大忙し

2023-06-28 11:25:42 | くらしいろいろ

5月末という早い梅雨入りでその早々に大雨の被害などに見舞われた当地でしたが

このところ良い天気が続き庭仕事あれこれで忙しい毎日です。

アジサイの剪定、種まきした苗の植え付け、草取りetc

貴重な晴れ間にはやることがいっぱいですがまだまだ元気でそれができる幸せです

鮮やかなピンクが賑やか(サフランモドキ)      涼し気な(モダルナ)

 

↓の二つは冬越して元気になったお花です

こんなに大株・元気に咲いてくれてバンザイ!です

ニューギニアインパチェンス             ペンタス

 

 

今注目のチャットGPT

「皆がすなるチャットGPTといふものを我もしてみむとすなり」

サイトを開くと英文が並んでいてちょっとひるみましたが翻訳もありなんとかアカウント作成

基本英語版のようですが質問欄に日本語で書きこむと日本語で返ってくるのがすごい。

そして一瞬にしてすらすらと答えてくれる回答の早さにびっくり。

漠然とした質問にはごく一般的な答えですが具体的で細かい情報まで伝えるとそれに沿った欲しい

答えが返ってきます。

私が使ってみたのはどうでもいいような質問ですがその内容には時々間違いもあるそうなので鵜呑みはダメだとか。

でも何をどう書いたら良いかなど悩むときはお助けマンになること間違いなしです。

GPTはこうしたチャットだけでなく詩や小説を描いたり曲を作ったりもできてしまうというAIのすごさ

将来AIが人間に取って代わってしまう心配もうなずけてしまいました。

「大名倒産」

浅田次郎の小説を読んで面白かったので映画もと見に行きました。

25万両という巨額の借金を抱えにっちもさっちもいかなくなった3万石の丹生藩

当主は計画倒産を企て自分は隠居しそのあとを庶子である主人公に継がせ逃げ切りを図る

何もし知らずにあれよあれよという間に庶民からお殿様になってしまった若き主人公でしたが

その借金を知り、倹約に勤め収入源として地元の幸を生かして財政立て直しに奔走する姿は頼もしく

どこかの政治家たちも見習って欲しいと思ってしまった。

コメディタッチが過ぎて少々オーバーな表現もあり、違うのでは?と思った部分も有りでしたが

気楽に楽しめた映画でした。

   もう何十年も実際の蛍を見たことはありませんが

    ホタルが放つ幻想的な光は初夏の風物詩ということで蛍を描いてみました 

     

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尾道・福山旅(3)

2023-06-18 14:34:02 | おでかけ

鞆の浦

私が鞆の浦を知ったきっかけは何年か前、港を埋め立て橋を架けて道を整備するという行政案に

景観を損ねるとの住民の反対運動の盛り上がりをテレビなどで放映されたことからでした。

テレビで見た景色は江戸時代から続くレトロな常夜灯の港風景や町家が続く家並みなど

やはり歴史的に残すべき風景ではないかと思ったのを覚えています。

鞆の浦は瀬戸内海の中央部にあり満潮と干潮の流れがぶつかる場所で古くから瀬戸内海を横断する船は

この地で一度立ち止まって潮の流れが変わるのを待たねばならない場所でした。

そのことから「潮待ちの港」と呼ばれ栄えてきたた港町が鞆の浦です。

鞆港のシンボル的存在の常夜灯と雁木がある景色

*雁木とは*

階段の形状を持つ構造物のことでここでは船着き場で荷物を積み下ろしするための階段

古い町並みが残る通り、手前左が国の重要文化財の太田家住宅

江戸時代、今でも鞆の浦の特産品となっている薬用種・「保命酒」の蔵元だった住宅で

その財を惜しみなく費やした建物は当時の最先端の技術・文化が盛り込まれていて

商家としてだけでなく藩の主要人物の宿所としても使われていた。

古い町並みが続くこの周辺を歩いていると江戸時代にタイムスリップしたような気分を味わえる所でした。

 

鞆の津商家

 こちらは市の重要文化財となっている江戸時代末期の建築で鞆の典型的な商家として公開されている

 残念ながらこの日は閉館で中には入れませんでした

いろは丸展示会館

幕末、鞆の浦の沖で龍馬が率いる海援隊のいろは丸が紀州藩の明光丸と衝突して沈没

その事故後の交渉を鞆の津で行う事となり龍馬もこの地に逗留したのだそう

街の有志が長い間沈んだままだったいろは丸の引き揚げを計画し引き揚げられた品々や

海底20Mほどに沈んでいるいろは丸のジオラマなどを展示していました。

興味深かったのは損害賠償の内容と積み荷の事

龍馬側の請求は鉄砲や金塊などを積んでいたと主張し8万両ほど(今の金額で164億円)を請求し、交渉

最終的に紀州藩は7万両を払ったとの事ですが船から引き揚げられたものの中に鉄砲などは一切見当たらず

主な積み荷は石炭だったそうです。

龍馬のはったり、すごい!と思いました

ちなみにこの和解金が支払われた半年後龍馬は暗殺されたのだそう。

手にした巨額のお金はいずこへ?

金庫番だった岩崎弥太郎が?・・・などと想像をしてしまいますが果たして真相はどうなのでしょう

 

福禅寺・対潮楼

対潮楼は福禅寺の客殿で江戸時代朝鮮通信使のための迎賓館として使われ

通信使の李邦彦がここからの眺めを「日東第一形勝」(日本一の景勝という意味)と称賛

観光客も皆ここに座って江戸の時代から変わらない瀬戸内海に浮かぶ仙醉島や弁天島をながめを楽しみます

またここは先のいろは丸の賠償交渉が行なわれた場所でもあったそうです

窓の外を眺めている間に黒い船が行やって来ました。

すぐそばの港から窓の向こうに見える仙醉島へのフェリーです

船はいろは丸を模した「平成いろは丸」、黒い姿がカッコいい船でした。

でも所要時間は5分ほどで、短か過ぎてもう少し乗っていたいと思うかも?

古い町並みの保存で古民家を利用したり、リイクしたりしたお店も多く、

中に入ると癒しを感じるような居心地の良さを感じられる空間が広がっていて

至福のランチタイム・お茶タイムも楽しめた鞆の浦でした。

福山でのホテルはビジネスホテルでしたがへ温泉施設が併設されていて温泉入りたい放題。

今回の旅は2泊ともホテル選びが◎の大正解でした

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福山・尾道旅(2)

2023-06-10 16:37:55 | おでかけ

福山城

福山駅に降り立つと目の前にお城の石垣が広がっていました。

天守からは眼下に福山駅のホームが…

中のお城の紹介スクリーンでは福山駅もお城の一部ですと言うくらいの位置にありました。

福山城は近世城郭で徳川家康の従弟の譜代大名・水野勝成の築城です

水野氏が5代続いた後阿部氏が城主となり、

幕末の混乱期、老中として日米和親条約を結んだ安倍正弘を輩出したお城としても有名です

8万坪の敷地にいくつもの櫓や城門を配した想像以上に大きなお城

お城の全体像はHPからお借りしました。

今の天守は先の戦争で天守や櫓が焼失しその後再建されたものですが

数年前築城400年に合わせた改修リニューアル工事が行われ天守閣は今は福山城博物館とされ

デジタル技術を駆使した展示や体験コーナーなどがあり今まで見てきたお城とはちょっと違ったお城でした。

黑く見える天守の北側壁面は敵からの攻撃に耐えられるよう鉄板張りの壁になっていて

総鉄板張りは全国で唯一のものだそう。

草戸千軒ミュージアム

お城のすぐ隣には県立歴史博物館があり瀬戸内の歴史と文化を紹介していました

中でも目を引いたのが草戸千軒町の復元遺跡です

草戸千軒は福山市西部を流れる芦田川の川底から発掘された鎌倉から室町時代にかけた町。

瀬戸内海の河口の港町・市場町として栄えた町の様子が復元されており

発掘された出土品の展示とともに船着き場や人々が暮らす家などのリアルな再現には

中世にタイムスリップしたような感覚を覚え当時の人々の生活が蘇ってくるような気がしました。

バラ祭り

福山はバラの花が有名というのは知っていましたがちょうどバラ祭りの当日に当たったのはラッキーでした

街中に100万本のバラが咲き乱れる🌹の町福山が誕生したきっかけは

空襲で市街地の8割が焦土となりその復興で市内の公園に1000本のバラを植えたのが始まりだそうです。

コロナで4年ぶりの祭りという事で市中は盛り上がりも最高潮

市内のあちらこちらにはイベント会場や出店が並びにぎやか、多くの人で賑わっていました。

駅前から続くローズロードの始まりはバラのアーチ

  

バラ公園の入り口にはバラの花で飾られた「ROSE」文字がお出迎え

バラのゆるキャラも登場し人々とカメラに納まっていました

公園内は色とりどりのバラが咲き乱れうっとり

↓は折り紙のバラ 素敵です

イベント会場で折り方の紹介をしていましたが見ただけでも難しそう

折上がるまで一時間ほどかかると言われさらに恐れをなしてチャレンジするのをあきらめました

お土産用に一個いただけました

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福山・尾道旅(1)

2023-06-05 16:44:34 | おでかけ

5月末、G7サミットが終えるのを待って広島へ行ってきました

尾道

尾道へは過去にも行った事がありましたが大昔のこと、記憶は遠のいているので

新鮮さを持って楽しみました。

駅からほど近く目の前に尾道水道が見渡せるホテルに泊まったのですが

親切な従業員といい広々とした部屋といい値段の割に「☆5つ」をあげたくなる素敵なホテルで

旅を一層良いものにしてくれたのもラッキーでした。

おしゃれな盛り付けにも満足

  

 尾道駅前で林芙美子の像が迎えてくれます。 

 

私の名前を言う時林芙美子のフミですという事が多いですが

今の若い人には林芙美子が通じないことも有って残念な気持ちもしますが

ここ尾道でなら一発でOKかも、でした

街歩きはたくさんあるお寺巡りをしながら歩きましたがどこも↓のような坂の上

ふうふう言いながらも頑張りました

尾道は平安時代の終わりから船舶寄港地として栄え、貿易で富を築いた豪商たちが

神社仏閣の寄進造営を盛んに行ったのが尾道にお寺などの歴史的建造物が多い所以だそうです

中でも室町幕府2代将軍足利義詮の寄進によって建てられた天寧寺の三重塔は重要文化財に登録されていて

少々傷みは見えるものの600年という長い年月を経て、なおそびえる重厚な姿に見とれました。

 

またここ近くには猫の細道というのがあって猫好きにはたまらない場のようでした

私達は猫より犬派なのでさらりと

福猫石という石に猫の絵を描いたものがあちらこちらに・・・

カフェやお店も猫だらけでした

 

千光寺へはロープウェイで

尾道と向島を結ぶ尾道大橋がみえます、本州と瀬戸内海を結ぶしまなみ海道の起点の橋です

 

ロープウェイを下りた先に有る展望台からは尾道の街と尾道水道、瀬戸内海の島々も望む絶景でした

ここから尾道ゆかりの作家や詩人の名作を綴った句碑が並ぶ文学のこみちを下って

千光寺に向かいました。

途中こんな枯れ木を見つけパチリ

偶然の作ですがどう見ても恐竜

千光寺の朱色の本堂は尾道を代表する景観、また周辺の巨岩奇岩にも目を見張りました

今にも落ちてきそうな巨岩や伝説の「玉の岩」

**「玉の岩」はこの岩の頂に如意宝珠があって夜ごと海を照らしていたという伝説

石鎚山のくさり場を模した体験の場もありましたが素人にはとてもチャレンジできそうもない断崖に

ただ眺めるのみ

 

 

日本中にこのような巨石や崖の中にお堂や祠などが多くありますが

落ちそうで落ちない岩や巨岩は神秘的で神聖な場所として信仰の対象になってのことかなと思いました。

気持ちよく晴れた翌朝、ホテル前の海岸通りをジョギングする人、散歩するワンコたち、

水道を行き交う水上バス?やフェリーを眺めたゆったりとした時間も尾道の印象を深めた景色でした

コメント (6)
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