ビオラのつれづれ記

大好きなお花のこと、
日常のちょっとしたことなどを書き留めています。

スペインの旅(最終回)ミハス

2019-05-11 22:16:49 | スペイン旅行

後先になってしまいましたがスペインの旅の最後はミハスでした。

家々の壁が白い漆喰で塗られて白い村と呼ばれるミハスですが

その白はアンダルシアの強い日差しを反射させて熱がこもらないようにするためのものだという事です。

年に何回も塗り替えをするそうで街中がきれいな白で統一されています

どこから見ても白一色の世界が印象的なミハスでした

ミハスの白い壁に並ぶカラフルなペイントのお土産物も可愛いくて

買わなかったけれど目の保養をいっぱいしてきました

ミハスには闘牛場もありました

ここは世界で一番小さな闘牛場だそうです

今年の興行はまだ始まっていませんでしたが雰囲気を味わってみようと

4ユーロ出して中へ入ってみるとがらんとした場内の真ん中に結構リアルな牛が一頭、

それらしい雰囲気を醸し出していました。

で、だれもいない事を幸いに持っていたスカーフで闘牛士の真似を・・・

この場に立ったらきっと誰もがこんな真似をしてみたくなること間違いなしでしょう

本物の闘牛は牛に最後の止めを刺し死に至らせるまでを見せるのだそうです。

私はそこまでやるとは知らなかったのでちょっとびっくり、そんな残酷なものだとは…

そんな闘牛、今は動物愛護の観点から批判も多く衰退気味だそうです

でもまだスペインと言えば闘牛、本物は怖くて見れないでしょうが牛と対峙する雰囲気は味わう事ができたかな。

ミハスは街の雰囲気を楽しむことが観光の主ですが

洞窟礼拝堂は数少ない観光スポットの一つでした

16世紀に一人の修道士が岩を掘って造ったもので

自然の岩がむき出しの祭壇にはミハスの守護聖母が祀られていました。

洞窟礼拝堂の横は展望台になっていて

展望台の向こうには地中海が広がり、そしてよく晴れた日にはその対岸のアフリカ大陸も見えるそうです

 ここミハスでこの景色を見た時、スペインに大陸からイスラム勢力が入ってきた

地理的条件がはっきりと読み取れた気がしました。

長々と旅行の駄文に付き合ってくださってありがとうございました。

 

 

 

 

 

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スペインの旅(6)グラナダ

2019-04-21 18:01:14 | スペイン旅行

   スペインにおけるイスラム支配の終焉の地となったのがグラナダです

   そのグラナダで13世紀から終焉の15世紀後半まで栄華を極めたのがグラナダ王国で

   当時の栄華の象徴でもあるアルハンブラ宮殿は想像以上の素晴らしさでした。

      宮殿全体の写真はとることができなかったのでHPからお借りしました

      

 

   アルハンブラ宮殿脇に夏の宮殿と呼ばれる離宮があります

四角に切りそろえられた糸杉が印象的です

糸杉に囲まれた野外ステージ

アセキアの中庭

水路を中心としたイスラム様式の庭でここの水は近くのシエラネバダ山脈からの雪解け水を引いているのだそう

グラナダの夏の猛暑を和らげる涼が考えられた庭です

宮殿の向こうに雪を頂く山脈がそのシエラネバダ山脈です

    アルハンブラ宮殿は宮殿と呼ばれていますが内部は王の住む宮殿をはじめ、モスク、市場、要塞などを備え

    城内には2000人以上が暮lらした要塞都市の総称とのことです。

   そしてここの建設にかかわった人達は秘密を守るため完成後皆殺されてしまったのだとか

   恐ろしいことです

 

中は広くて時代時代の王による王宮があり名前は覚えきれません

なので正式名称は飛ばして印象に残ったものだけアップしました。

     

カルロス5世宮殿

ここがイスラム様式とは見るからに違うのはイスラム王国の後の16世紀カルロス5世に建てられた

ルネサンス様式の宮殿だからです

中に入ると円形の広場が広がっていました。ローマのコロッセムを模した未完の宮殿で屋根がありません。

 遠足?社会科見学?の可愛い子供達と一緒になりました

この門からアルハンブラ宮殿で一番の見どころでもある王の居住空間であるナスル朝宮殿に進みました。

 街が一望できる高台にあるアルカサバ(要塞)の下にはかって人々が暮らしたであろう遺跡が・・・

 

建物に入ると精密なアラベスク模様の装飾が施された天井や壁が広がっていて目を見張りました

 イスラムにおいては偶像崇拝が禁止されていたのでその代わりにアラベスク模様と呼ばれる

文字や幾何学模様が発達したのだそう。

その緻密さには目を見張ります

また5000個を超える数の鍾乳石で飾られた八角形の天井の美しさは神秘的で圧巻でした

 

124本もの大理石の列柱が配されたライオン宮と呼ばれる宮殿は王の生活空間でナスル宮殿の一番の見どころです

水盤の周りに並ぶ12頭のライオンからその名前がついているらしいですが

どう見てもライオンには見えませんでした 愛嬌たっぷりのライオン?

黄金色に輝くアラベスク模様のアーチがきれい~~

これでもかというほどの緻密な模様で埋めつくされた空間が美しい~~

これらを作った労力はいかばかりでしょう?想像さえも難しいです

 

 

 このような華麗なたたずまいの裏には血塗られた多くの歴史や物語が伝えられているそうですが

今、この時にはそんな怖い話は思いも及ばない美しさにただただ見とれました。

 

    アルハンブラ宮殿での人気撮影スポットが↓のアラヤネスの中庭です

多くの人が入れ代わり立ち代わりカメラに納まっているので人のいないこの景色を撮るのが難しかったです

     

前面の池を中心にしたイスラム建築の特徴でもあるシンメトリーの構図が美しい中庭です。

最初に書いたアセキアの中庭にも水路や噴水が中心でしたが砂漠が故郷だったイスラム教徒にとって水は貴重であり

彼らのイメージする楽園には水は欠かせないものだったということでしょうか。

    宮殿の向かい側には白い町並みが美しいアルバイシン地区が広がっていました

     

 ここはかってアラブ人の居住地だった所で、イスラムの痕跡が数多く残り

 宮殿とともに世界遺産になっています。 

 名前は知っていてもその内容はよく知らずに訪れたアルハンブラ宮殿でしたが

その中身は想像以上のものが詰まった見事なものばかりでした

スペイン屈指の見どころと言われるのも納得のアルハンブラ宮殿でした。

 

 

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スペインの旅(5)コルドバ

2019-04-12 22:51:44 | スペイン旅行

トレドを後にして次に向かったのはコルドバですが

途中「ドン・キホーテ」でおなじみのラ・マンチャ地方に立ち寄り風車の光景の中に立ちました。

ぐるりと360度辺りを見下ろせる小高い丘の上に立ち並ぶ白い風車群は

ドン・キホーとサンチョ・パンサの姿が思い浮かばれる光景でした

今は観光用で使われておらず風車の一つはお土産物屋さんになっていましたが

周囲に何もない丘の上は風当たりが強くて昔その風を利用して風車が活躍したのもうなずけました。

丘のふもとの街もドン・キホーテ 一色

 

コルドバ

コルドバも古代ローマからの歴史ある街です

ローマ橋と呼ばれる橋は約2000年ほど前に作られ16個のアーチが美しい橋です

何回か作り直されてはいますが当時のままに再現されているそうです

 

  **この橋のたもとでの出来事**

    私も日傘を差した二人連れが近づいてきたのを見ていました

   でも何気なく近づく二人になんの違和感も感じなかったのはプロの技?なんでしょうね

   カメラに夢中になっていた仲間の一人が傘で手元を隠したスリに財布を抜かれそうになったと

   興奮気味の報告。でも彼女はお財布をバックとチェーンでつないでいたので難を免れたとの事でした。

   その話は「スリに注意」の言葉を一層かみしめる良い教訓にもなりチェーン作戦の効果にみんな私も・・・でした。

 

   

 

コルドバの一番の見どころはメスキータばれている聖マリア大聖堂です

メスキータとはモスクを指す言葉でここはイスラム教とキリスト教の二つが混在する珍しい大聖堂です。

 

メスキータへの入り口の門

  


ここでの現地ガイドのイザベラさんは独学で日本語を学んでガイドになったという頑張り屋さん

美人でユーモアたっぷりなガイドぶりで皆をひきつけていました。

この壁の中がメスキータです

 糸杉が並ぶ庭園が広がる向こうにメスキータ

 中に入ると縞模様の馬蹄形アーチが連なる広い空間が現れました

ここは850本もの柱からなる「円柱の森」と呼ばれるイスラムの祈りの場だった所です 

イスラム支配の後13世紀にキリスト教徒がこの地を奪還した後、モスクは壊されずにそのままそこが大聖堂になり

イスラムとキリストが混在するという珍しいメスキータが生まれました

なのでイスラムのモスクの隣に写真のようなドームが広がり礼拝堂が並び立っていてイスラム教徒とキリスト教の

違いを間近に実感できる場でもありました。


メスキータの周辺は昔ユダヤ人が多く住む地であったそうで

白亜の建物が迷路のように立ち並ぶ街並みが印象的でした

その一角に「花の小道」という狭い路地があり路地の向こうにメスキータの鐘楼が見える

観光スポットになっていました

      コルドバでのランチ

     

ギターの流しのお兄さんの歌声を聞きながら食べたオックステールの煮込みが美味しかったです

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スペインの旅(4)トレド

2019-04-05 19:34:35 | スペイン旅行

         撮影スポットからトレドの旧市街

 トレドはタホ川が三方を囲む自然の要塞都市で街全体が遺跡の世界遺産です

この景色は同じように川で囲まれたチェコのチェスキークルムロフを思い出させます

ヨーロッパはどこも侵略の歴史の上に成り立っており街を守る要塞は必須なものだったのですね

 

そんな美しい古都トレドに2泊しました。

ホテルは旧市街の高台にある「アルホンソⅥ」という王様の名前が付いたホテルで

ロビーには古い調度品や鎧姿の騎士などが立って中世の雰囲気たっぷりでした

旧市街への城門

旧市街の展望台からの景色

町並みははずっと下にあり旧市街のある場所は結構な高台だと実感

街歩きをしましたが迷路のように狭い路地が入り組んで迷子になりそう

 

 ユダヤ、キリスト、イスラムという異文化が融合されたムデハル建築と呼ばれる建物があちこちに見られます

トレドは刃物や金銀細工の街のようであちこちに多くの店が並んでいました。

    彫金屋さんは実演中          刃物屋さんには日本刀まであってちょっとびっくりでした 

 

 トレドはエル・グレコが活躍した街としても有名です

サント・トメ教会は小さな教会ですがここに飾られたエル・グレコの最高傑作と言われる

「オルガス伯の埋葬」が一番の見どころの教会です。

「オルガス伯の埋葬」は入り口から入ってすぐにあるオルガス伯のお墓の上に飾られていました

  写真禁止でしたので写真はHPからお借りしましたが

  この絵は肉体の埋葬と魂の昇天という2場面が描かれた独特の構図が印象的でした。

 

トレド大聖堂はスペインゴシック様式の最高傑作とも言われスペインで一番の規模を誇る大聖堂です 

高さ90mの鐘楼が天を突くように伸びるシャープな外観

  

水に写った逆さ聖堂がまた美しい

聖堂内部は想像以上の豪華絢爛でした

中に入るとまず天井の高さと750枚もあるというステンドグラスの美しさに圧倒されます

バラの花を形どったステンドグラスのバラ窓が可愛いかったです

   

 

天井のアーチの稜線も特徴的でした。

この下に主祭壇があり鉄製の柵の間からカメラを入れて撮ったのが右の主祭壇です

あまりよく撮れていませんがキリストの生涯を綴った20場面が描かれた金ぴかの祭壇です

 

またこの大聖堂で最大の見どころと言われるのが主祭壇の裏側にあるトランスパレンテと呼ばれるもので

スペインバロックの最高作品と言われているそうです

天使や聖母の像がこれでもかというほどちりばめられれ

天井の明かりとりから差し込む光が効果的に像を浮かび上がらせていました。

 

またもうひとつ注目すべきは「聖体顕示台」です

本物の王冠や金、銀、宝石などがちりばめられていてまばゆい光を放っていました

コロンブスがアメリカ大陸から持ち帰ったと言われる金も使われているのだとか

高さ3m、重さは200キロもあり年に一度の祭には外に運び出されて街を練り歩くそうです

日本のお神輿のようなものなんでしょうね?

以上のほかにも名画や彫刻などがずらりと並ぶまるで美術館のような素晴らしいカテドラルでした

  

 

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スペインの旅(3)プラド美術館

2019-03-31 20:31:17 | スペイン旅行

プラド美術館はスペイン王室のコレクションを核に35000点もの所蔵作品をもつ

世界3大美術館の一つとも言われ、有名なベラスケスや、ゴヤ、エル・グレコをはじめ

ティツィアーノ、ルーベンスetc、多くの有名絵画が収蔵されています

 

2時間の見学時間内では到底廻りきれないと現地ガイドさんに誘導されて

代表的なものに絞って見て回りました。

ベラスケス 「女官たち」

 絵の中にはいろんなものが隠されていてその説明を聞いて一層興味深く鑑賞することができたような。

中央のマルガリータ王女には明るい光をそして周りの人物は暗くするという陰影法は

室内の奥行を感じさせる空気遠近法という技法だそうで

絵に近づいたり離れたりして見てみると離れれば離れる程絵の奥行が増しているのがわかりました。

実物を間近で見ることができたからこその実感でした。

 

ゴヤ「裸のマハ」と「着衣のマハ」

  

この二つの絵は 裸のマハが先に描かれました。

着衣の方は当時人物の裸体画を持つことは禁止されていて

「裸のマハ」の絵をカモフラージュするため同じ構図の「着衣のマハ」が描かれたのだそう

裸体画はそれまでにも多くあったように思いますがそれらは全て神話の世界の物語上のもので

実在する人物の裸体画は禁止されていたのだそうです

ゴヤはこの絵を描いた事が露見し数年後異端諮問にかけられました。

今でこそ普通に描かれる裸体ですがこのゴヤの絵が初めての物だったと知りました。 

 

またゴヤは「見たままに描く」ことをモットーにし、たとえ国王でも王妃でも美男美女には描かなかったのだとか

「カルロス4世の家族」では恐妻家の風貌たっぷりの王妃と頼りなさげな国王の姿がそのまま描かれているのが面白い

  

 

エル・グレコはギリシャ出身で本名はほかにありますが「あのギリシャ人」という意味のエル・グレコが

通称となっていたのだそう

宮廷画家を目指したエル・グレコでしたが時の王フェリペ2世には奇抜な構図と非現実的色彩が評価されず

夢がかなわなかったのだとかでも赤、青、黄などの極彩色が美しく実際以上に長い体を持つ聖人たちの宗教画は

宗教家や知識層には受け入れられて多くの作品を残しています。

   

  「聖三位一体」         「受胎告知」        「胸に手を置く騎士の肖像」

胸に・・はここでは数少ない肖像画でした。

この絵は美術館ガイドの表紙にもなっていて代表作でもあることを物語っています。

黒一色で描かれた絵ですが絵の前につと暗さはなく人物はくっきりと浮かび上がってみえ

首と袖口の白いレースが顔と手に効果的な絵でした。

ガイドさんの絵にまつわる裏話的な話は興味深く、ただ名画を眺めるだけでは得られない面白さがプラスされた

プラド美術館でした。

 

*ちょっとピカソについて*

  ピカソは難産で死産だと思われ放置されていたのを医師の叔父がたばこの煙をふきかけたら

  息を吹き返したんだそう

  もしそれがなかったらピカソはこの世に存在しなかったという奇跡が

  世界的大芸術家へつながっていたのにびっくりでした。

  また彼が恋多き芸術家であったことは周知の事ですが彼の作風が変わる時には必ず

  女性が関係していたらしいことも今回知りました。

  スペイン内乱でバスク地方のゲルニカが無差別的爆撃されたことに抗議して描かれたのが「ゲルニカ」ですが

  パリに在住していたピカソは共和国側を支持していてフランコ将軍を嫌悪し  

  フランコが生きている間は一度も生まれ故郷であるスペインの地を踏まなかったという徹底ぶりだったそうです。

 プラド美術館の近くににはソフィア王妃芸術センターがありそこにあるピカソの「ゲルニカ」

 見てみたかった~ です

 

   

           美術館の後はおしゃれなレストランでランチ

           スペインでは野菜は結構豊富に出てきて皆喜んでました~

  

            デザートは丸のままの焼きリンゴ

 

        スペイン広場

 ここが数あるスペイン広場の本家本元ですとガイドさんが強調してました

セルバンテスの没後300年を記念して作られた広場でドン・キホーテとサンチョ・パンサの像が立ち

その背後で作者セルバンテスの像が二人を見下ろしています。

多くの人が訪れる撮影スポット

「撮影に夢中になっているとスリに狙われます、気をつけて」と言われている最中

「ほらほらあの娘たちがスリよ」ガイドさんには顔なじみ?の若い女性二人が仕事にやってきたみたいでした

獲物を物色中のようでしたがそのうちポリスがやってきて、彼女たちもいなくなりましたが

もう顔を覚えられているほど頻繁に出没してるのねぇ

皆一気に気を引き締めました。

この広場の向こう側に王宮がありましたがバスの中から眺めただけで残念ながらここへは行きませんでした

世界屈指の規模の王宮だそうですが今国王は別の場所に住み公式行事の時のみ使われているそうです

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スペインの旅(2)サラゴサ

2019-03-24 21:38:06 | スペイン旅行

2日目はバルセロナからトレドへ移動

車窓からはオリーブの畑、またピンク色が一面を染めるアーモンド畑をながめつつウトウト

4時間ほど走ってサラゴサに到着

サラゴサはバルセロナとマドリードのちょうど中間あたりにある都市です

私はこの街の知識ゼロで移動の中間点の休憩地ぐらいにしか思っていませんでしたが

街の入り口に見えた景色を見ていっぺんに気そんな気持ちを反省

美しい~ 世界遺産の素晴らしい街でした

 昔の路面電車の駅舎もおしゃれ~

 今は使われておらずただいまお土産物屋さんなどに改装中とのことでした

ヨーロッパでは多く見かけるこのようなトラム、私はまだ乗ったことがなく一度乗ってみたいです

 

サラゴサはローマ帝国の時代の遺跡も多く残る古都で中世にアラゴン王国の都として栄えた街

写真に見える美しい建物はサラゴサのシンボルでもある聖母ピラール教会です

ピラールとは柱の事で聖母マリアがヤコブの前に現れ柱の上に立ったという伝説にちなんでこの名がつけられ

聖母マリアにささげられた聖堂として時の支配者や聖人たちに崇められて今に至っています

 

ピラール教会をはじめ市庁舎、サルバドール大聖堂などの美しく重厚な建築物が並ぶ広場はピラール広場です

この日は日曜でもあり多くの人でにぎわっていました。

 広場の奥にあるのが「ラ・セオ」と呼ばれるサルバドール大聖堂

ここは長い歴史の中でロマネスク、ゴシック、イスラム教とキリスト教建築が融合したスタイルのムデハル様式、

ルネサンス、バロックなど様々な建築様式が入り混じった独特の美しさがある聖堂という事で

見学しようと前まで行ったのですが見学時間外と言われて入れず残念でした

ラ・セオの前にはスペインを代表する画家・サラゴサの出身ゴヤの像が立っていました。

   *ゴヤの事はまた後程

エブロ川にかかるピエドラ橋

 この橋の上から見る聖ピラール教会がまた美しい!

絶好の撮影スポットです

写真にはあまり写りたくない私ですがたまには写真も撮りましょうと一枚

時間的にほんの一部だけでしたが美しい建築物に出会えたサラゴサでした。

この後またバスに揺られこの日の宿泊地トレドに向かいました

 

 

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スペインの旅(1)バルセロナ

2019-03-17 22:30:51 | スペイン旅行

3月7日から一週間スペインへ行ってきました。

12時少し前に成田を出発ヘルシンキで乗り継いでバルセロナに着いたのが現地時間20時半ごろですから

17時間ほどの長旅、歳をとってきたせいもあるのなかな?さすがの私も少々疲れました

ロマンスグレーのおじさまツアーコンダクターと30名の仲間と楽しい旅でした

バルセロナ、サラゴサ、マドリッド、トレド、コルドバ、グラナダ、ミハスなどを周遊し

マラガ空港からまたヘルシンキ経由で帰ってきました。

バルセロナと言えば誰もがサグラダファミリアを思い浮かべますが

他にも独創的なガウディの数多くの作品群があちこちにみられます。

さっそく世界遺産巡り

カサ・ミラ

地中海をイメージして作られたという集合住宅は波打つような曲線が印象的でした。

 グエル公園

ここはガウディのパトロンでもあった富豪グエル伯爵の依頼で夢の分譲住宅を作る予定だったそうですが

途中でグエル氏が亡くなり計画は中断、今はバルセロナ市の公園となって公開されています

ガウディは自然と芸術に囲まれて暮らす街をイメージしましたが当時の人には理解されず

買い手がつかなかったのだそう

  ヤシの木をイメージしたオブジェ、脆そうな石を組み合わせていますが崩れそうで崩れない?

  

こちらは同じく石を組み合わせ波をイメージしたというトンネル?

廃物利用の陶器のモザイクで飾られたベンチがぐるりと廻る広場

ガウディが実際に百人近い人をずらりと並ばせて試たしたというだけあって座り心地は最高でした。

     

ベンチ広場の下は何本もの柱が並ぶ空間、〇〇神殿にでも入り込んだような感じ

モザイクで飾られたトカゲのオブジェの前は記念撮影をする人が入れ代わり立ち代わり

 

      

   おとぎの国に迷い込んだような可愛いおうちは博物館です

 

 サグラダファミリアは想像以上に素晴らしかった

およそ百年ほど前から建設が始まり未だ未完の聖家族教会ですが近年になりIT技術を駆使し始めてからは

急速にその工期が早まり完成は2026年9月という事です。

すももの花とサグラダファミリア外観

入り口の見事な彫刻は主任彫刻家を努める日本人「外尾悦郎」さんの手によるもの

中に入ると普通の教会の重厚で薄暗いイメージとは異なり白を基調とした柱と天井に

思わず歓声が・・・

樹木をモチーフにした大理石の柱が立ち並び天井のデザインは殉教のシンボルのシュロの葉を

イメージしているそうです

中央の白く輝く部分が主祭壇で十字架に架けられたキリスト像が掲げられているのを見て聖堂内であると

再認識するほどでした。

また内部はたくさんのステンドグラスで飾られていて差し込む光で色とりどりのグラデーションが

柱や壁に反射して幻想的な雰囲気を醸し出しているのも素敵でした。

 エレベーターで鐘楼に昇る予定でしたがこの日は何故か都合でキャンセルされてしまい残念

 

街歩きの後夜景でも楽しみました

撮影スポットの広場の前の池に映るサグラダファミリアは幻想的で

昼間とはまた違った素晴らしさ

この建物、何に見えます?

以外にも病院です。サン・パウ病院

大富豪で慈善家でもあったパウ・ジルの寄付をもとにリュイス・ドメネクの設計で

患者や家族の心が癒される病院らしくない病院をという事で建てられたんだそうです。

この奥に赤レンガ造りの病棟が立ち並ぶ様子を想像しただけで

「入院してみたい」と思ってしまいそう。

でも病院として使われたのは2009年までで今は新しい近代的病院がその役目をはたしているそうです。

街歩きも楽しみました

バルセロナの中心街いあるランブラス通り

屋台やお店を覗きながら市場に行ってみました。

  地中海の豊富な魚介類が並んで… エビやイカが美味しそう 

   

   街中どこに行っても生ハムの腿肉がぶら下がっていて世界でも有数の

   生ハム生産国であることを思わせます

   お土産にしたいところですが肉類は国内持ち込み禁止品となっているので買えません

    *なのでツアー会社のお土産斡旋で申し込み、宅配にてゲットしました~

      こういう時は便利でうれしいですね*

   

ランブラス通りをまっすぐ進んだ先は地中海です

広場にはアメリカ大陸の方を向いて立つコロンブスの像がありました。

 

  ※今でこそ天才と言われるガウディですが彼の独創的な芸術性は当初はなかなか認められなかった

 という事をこの旅で知りました。

 その後才能が認められサグラダファミリアの主任建築家に任命され彼のライフワークとなりましたが

 60代になってからはファミリア以外の仕事を断ってファミリアの建設に没頭し

 身なりにも一切構わなくなっていき

 1926年に路面車にはねられその3日後に死去したのですがまるで浮浪者のような姿をしていたため

 ガウディだとは気が付かれず貧民向けの病院に送られたため手当が遅れたのだとか。

 なんとも残念な最後ですが彼の遺体はファミリアの地下に埋葬されているそうで

 聖堂の完成をじっと見守っている事でしょう※ 

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