山の会「五十雀」で宇津ノ谷峠を歩いてきました。
宇津ノ谷峠は旧東海道の丸子宿から岡部宿へ抜ける峠で同じく東海道のさった峠と並ぶ難所として知られています。
現在は国道一号線が走って多くの車が往来していますが
それを横目に一本旧道に入ると時代を感じさせる石碑や石積などが残る峠を越える山道になります。
私達は静岡側の宇津ノ谷峠道の駅から丸子と岡部の間にある宇津ノ谷集落を抜けて歩き出しました
この集落は「間の宿(あいのしゅく)」という宿泊ではなく休憩をするための宿で
茶店などが並んでいたという事です。
石畳の道の両側に昔の風情を残す家々が続きその玄関先に当時の屋号の札などが下がる様子は
江戸の昔にタイムスリップしたような面影が残る街並みでした。
集落が見渡せるところに出てここから山道に入ります
宇津ノ谷峠を越える道は昔から今に繋がる6つの道があるのが特徴です
中で最も古い道が「蔦の細道」で秀吉が小田原攻めのために切り開き
さらにそれが整備されて江戸時代に東海道ができるまで利用された道です。
宇津ノ谷峠が広く知られるようになったのは「伊勢物語」の在原業平の詠んだ歌からだということのようで
そのあと「平家物語」「十六夜日記」「吾妻鏡」などにも宇津ノ谷峠が取り上げられているそうだ。
蔦の細道の登り口にあるつたの道公園でランチタイム
ここには峠に関わる古今の歌が刻まれた多くのパネルが並んでいました。
藤原俊成、藤原定家、鴨長明、兼好法師など私でも知る有名な人の詠んだ歌がずらり。
でもこれらの歌人がここを通ったのかどうかは定かではないとの事でしたが…
ここから蔦の細道の登り始めです
今までの遊歩道とは違って石が積み上げられた急な坂道が続きます
足を滑らせないように気を使い、ふういいながら古人の苦労を想像しつつ一歩一歩・・・
緩やかなハイキングと思っていた今日一番の難所でした~~
そしてたどり着いた峠
ここには先に書いた在原業平の歌が刻まれた歌碑がありました
駿河なる宇津の山べのうつつにも夢にも人にあわぬなりけり
峠からは富士山がちょっとだけ見えました
時代を経て6つのルートがある峠越えの道ですが明治時代に作られたトンネルは
国の登録有形文化財に指定されています
難所だった峠越えを民間人の手だけで作ったトンネルというのも画期的なものだったと想像できます
また通行は有料だったというのも日本で初めてだそう。
トンネルは総レンガ造りでレトロなカンテラのほの暗い灯りの下を歩いて明治の面影を体感。
人や馬からや自動車の時代になってより大きなトンネルが必要となり大正のトンネルが出来ました。
人も通行可能でここも歩いて渡りました。
そして現在、昭和・平成に作られた2本のトンネルが国道一号線の上下線として
それぞれ多くの通行量を支えています。
明治、大正、昭和、平成と4本のトンネルが現存し通行できるのはここだけだそう。
時代を越えてトンネル技術の変遷などもわかる貴重な場のようです。
宇津ノ谷峠越えは奈良・平安の時代から多くの旅人が往来した歴史と文化を感じる事が出来る道で
久しぶりの山歩きに素晴らしい色を;添えてくれた山行でした。