水の門

体内をながれるもの。ことば。音楽。飲みもの。スピリット。

一曲鑑賞(5):Migiwa「赤いのが欲しかった」

2024年09月11日 11時11分18秒 | 一曲鑑賞
美しいものを美しいと 思えるまで時間が必要だった
いらないと思ってたカタチひとつひとつがすべて完璧だった
ほんとは赤いのが欲しかったのに
与えられたのは青いのだった
ぼくは泣いた叫んだ でもだんだんとそれを愛し始めていた
(Migiwa「赤いのが欲しかった」より)

 一年ほど前、通所のため運転していた朝のことである。私の車が交差点の辺りに来た時、横断歩道の手前で、渡ったものか逡巡する生徒がいた。私はその人を見て、左手を(どうぞ)という具合に左から右に動かした。するとその生徒が、ペコッと頭を下げ、足速に横断歩道を駆けていった。滞空時間の長い足取りだった。まるで、バスケの選手がシュートの際に、スッ…と浮かんでいるようなーー。私はしばし見惚れていた。そして脳内で、Migiwaのこの曲の冒頭が流れた。
 私は生来の運動音痴で、学校生活の体育の時間は苦痛で仕方なかった。学校でする運動は、多くがチームスポーツである。私とチームが一緒になったクラスメートは露骨に嫌がった。チームの脚を引っ張るのが目に見えているからである。運動音痴で長いこと侮蔑されてきたため、私には運動自体への恨みの気持ちが長くあった。でも、私は自分自身を欺いていたんだな、と最近は思う。生きてきて半世紀も経った今では、部分的な能力を特別視して人を序列化する向きへの僻みだったのだな、と判る。スポーツする人が綺麗なことにまで難癖をつけていて、私って本当に嫌な性格だったな、と今は振り返ることができる。
     *     *     *
 セルマ・ラーゲルレーヴの作で『むねあかどり』(中村妙子・文/高瀬ユリ・絵)という絵本がある。神様が天地をお創りになり、生き物も創造されたところから話は始まる。色鮮やかな小鳥たちを創った後に、神様は灰色の小鳥を造り「おまえのなまえは むねあかどりだ」と仰って、その鳥を飛び立たせておやりになった、と書かれている。
 むねあかどりは神様が自分につけてくださった名前にワクワクしたが、池の面に姿を映してみてがっかりする。ーーなんでこんなくすんだ色なんだろう?ーーそう問う小鳥に、神様は「わたしが そうきめたのだ」と仰り、「しかし いつまでも そのままだとは かぎらないよ」と言い添えられた。
 ある時、エルサレムの外の茂みの中でむねあかどりが雛たちに、神様がむねあかどりの名をくださったことを話していると、十字架を背負わされた人達が連れてこられ、丘で磔にされた。こわごわ様子を見守っていたむねあかどりは堪らなくなり、十字架の真ん中の人のところへ飛んでいき、額に刺さっている荊の棘を一本、二本と、くちばしで引き抜いたーーすると、その人の血の滴が小鳥の胸に当たって、胸毛を赤く染めた。
「ありがとう」とそのひとはささやき「いまから おまえは ほんものの むねあかどりだ」
     *     *     *
 今私が通っている作業所では、職員さんに本当に恵まれている。一人一人の良さを人との比較でなく「いいじゃん!」と言ってくださる職員さんがいらして、私はある時、目から鱗が落ちる思いがした。それでいいんだ、と。私も、人の良さを純粋に喜べるようになりたいな、と。

 先日、教会の【夏休みお楽しみ会】で「カウントジョイ」という遊びをした。その喜びの出し合いっこの場では、小難しくなるので言わなかったが、後で自分の喜びをハート型の色画用紙に書くアクティビティの時には、こっそり下記の「喜び」も書いておいた。
   スポーツをする人を尊敬できるようになった。
   朝に体調が100%良くなくても、いろいろ方法を考えて
   自分の調子を上げていくよう私自身努力するようになってみて、
   スポーツする人のすごさが分かるようになった。

Migiwa「赤いのが欲しかった」

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