笑顔浴

優しい時間

クライエント役

2015年10月27日 | Weblog

 

母と2人で箪笥の引き出しを整理した。

愛媛県立愛媛養護学校の名札を見つけた。

50年近く前のもので まあ本当に懐かしい。

よく、残していたもんだね~と手に取る。

記念に写真も とっとこう。

 

白い蜜柑の花の中に、鳩がいて

なんで鳩なんだろうね・・といまでもよくわからない。

小学部は「小」 中学部は「中」の金文字が輝く校章。

名札を布に縫ってくれたのは、母。

 

月に一度の産業カウンセラー実践講座の10月は

代表者方式で、そのクライエント役を依頼された。

すごく簡単なシナリオを 1ケ月前に送って貰って、

小説家のように物語をつくり、女優のように役作りをする。

50分間のカウンセリングに耐えられるだけの構成にしておかなくては!

 

シナリオは、「43歳主婦 娘が事故にあい一生右手が使えない」

とあったので、喪失の心のケアをテーマにシナリオを深めた。

シナリオに、娘は音楽の高校に通う17歳で、認められてコンクールにも出場し

卒業後は、アメリカ留学の予定とあった。

右手が使えないということは、ピアノもさることながら

利き手が右なら たちまち箸やペンが持てない、

両手を使うタオルが絞れなくなる。

多感な思春期に自殺目的に食事を摂らなくなるかもしれない。

事故の相手は、救急車を待っている間に消えてしまったと設定した。

突然の入院費用&交通費の負担は、家計を圧迫する。

43歳主婦は、毎日看病に病院に通い、4か月目に何も手につかなくなった。

疲労で抑うつ状態になったと体調を設定した。

だるくて、しんどそうで、多弁じゃない。時々、考え込んだり、涙を流す。

夫50歳は、娘に怪我を負わせた相手を探すことに怒りを注いでいる。

希望のともしびが消えた家庭。

 

<娘をどう支えたらよいかわからない>という

混乱や悲しみ、怒りや不安の 主訴を設定した。

「親から充分愛された子供は、決して自分を粗末にしないもんだと思います」

(大丈夫、娘さんは右腕を失っても、きっと人生を前向きに生きていくはず)

と面接の最後に、このお母さんに勇気づけをしてあげようという

長谷川先生の受講生に対するアドバイスを聞きながら、

ふと、胸が熱くなった。

 

私の父は、ポリオウイルスに怒りをぶつけられないので

主治医に八つ当たりをした。

もっと早く正しく診断していたら、こんなことには ならなかったのではないか

もっと効果的な治療はないのか。

被害者家族の喪失の怒りは、沸々と消えることはない。

 

 

 

 

 


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忘れてましたよ

2015年10月23日 | Weblog

                    (冷凍桃でスムージー)

 

昨日は、本当に驚いた。

 

非常勤講師をはじめて一度も

商売道具を教室に忘れたことなどなかったのに

授業の虎の巻を教卓の上に残してきてしまった。

まさか一番大切な物を忘れるなんて・・

いよいよ、私もあぶなくなってきた、

いやいや、そういうことで驚いたのではない。

 

学生相談室に移動すべく、エレベーターを待っていると、

放課後も、大会出場のための練習らしく、学生が大勢集まっているのが見えた。

実習室の中から、A君が走って出てきた。

「あ、こんにちは」

「・・教室に青いファイル忘れてましたよ」

「え、ほんとに、それは大変!~」

「ちょっと見てきます」

と言って 階段を駆け上がった彼の手には 

すでに教室の鍵が握られていたんだ。

ということは、

通りかかるのを待っていてくれたんだろうか。

A君は、おとなしい目立たない人で、おしゃべりをきいたことがない。

どちらかというと、さわらぬ神にたたりなし派だと、勝手に思い込んでいた。

日直で雑用が回ってきたのかな?

職員室に届けてくれるだけでもよかったのに、

対人スキルを使うなんて積極的すぎる。

 

「助かりました、ありがとうございました」と

直角になるほど腰を折って、エレベーター前でお礼を言った。

はにかんだようなA君に私の感謝は伝わっただろうか。

彼から声をかけられたのは、この春に出会って7か月めで 初めてのこと。

こんなに嬉しいことになるなら、忘れてみるもんだな~。


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居場所つくり

2015年10月23日 | Weblog

 

人を避け、家に引きこもる人の支援に成功した事例を

先日TVで見ました。

ゲーム大会や娯楽の企画で、

お誘いしても反応がなかったのに、

就職支援の勉強会を企画すると参加者が多かった。

「働きたい」と考えているのですね。 

「このままじゃいけない」という焦りがあるのかもしれない。

ゲームして楽しんでる場合じゃないよね。

役所で働く元ひきこもりの人は、IT関係を任されて

活き活きと働いておられた。

 

仮設住宅に住み込んで見守りボランティアをしている大学生

のドキュメンタリーでは、高齢男性が集まるアイデアとして

花札 囲碁 将棋 をする会で成功した。

馴染んだものは安心だ。

 

 

 

 

 

 

 

 


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順応する

2015年10月17日 | Weblog

お芋さんの端っこから グングン

 

嗅覚や味覚は順応する。

慣れるよ~という現象で、例えば

くっさい部屋に入っても、10分いたら気にならなくなる。

最初は甘く感じても、しばらくすると甘く感じなくなる。

 

実際に、味覚の順応を感じましょう!

皆なで一斉に実験するので、先に食べないでよー

と、キャンデーを一個づつ、席を回って配る。

 

「はい、どうぞ」

「どれにしようか、迷う~」とか「ありがとうございます」とか

「好きなのがない」とか、黙ったまま無表情に手を伸ばす人とか、

寝起きにとって、また寝たふりする人とか

反応は様々だけど、

なんといっても 受け取らない人がいない事が とても嬉しい。

必ず、配っている途中で、袋をあける音がして 気の早い人が

「まだ、食べたらいかんのよ」と、クラスメイトに叱られる。

 

最初に、右のほっぺにキャンディを1分位含んでください。

「甘い味がしなくなったら、それが順応です。」

「あ、感じなくなった」「わからーん」

「キャンディを、右から左に移動させると、また甘さを感じますよ。 あとは、ご自由に」

 

Aクラスで、「僕が配りましょうか?」

Bクラスでも「先生、配ってあげよか?」

と声をかけてもらった。

1人1人に近づけるチャンスで、愉しみに、

最後まで配らせてもらったけれど

せっかく声をかけてくれたのに、善意を受け取らなかった後悔もある。

彼女には「さっきは嬉しかった」と伝えた。

恥ずかしそうで、照れたついでに

後期になって、初めてワークプリントを提出してくれた。

申し出るのは勇気がいったと思うので

来週は、嬉しかった気持ちをリーダーの彼にも伝えなくては!

 

優しく接してくれることに 慣れてはいけない。

幸せの順応と呼ぼう。

 

ところで、嗅覚の順応は危険を伴う。

毒ガスであっても 順応してしまうので、逃げるタイミングを失う。

くっさーと思ったら、我慢するんじゃなくて、

なにか行動を起こさないとね、しばらくすると感じなくなるから危ないよ。

 

過酷な環境に居る人は注意した方がいい。

少々の不都合なら、慣れることで 苦痛を感じなくなるメリットはある。

しかし、我慢しているうちに、理不尽なことさえ、わからなくなる。

先ずは、相談から。

こっちは、不幸せの順応と呼ぼう。

 

感覚は、危険から身を守り、生き抜くための道具だから

上手に活かした方がいい。

 


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「普通」の暮らし設定

2015年10月12日 | Weblog

雲の形が夏から秋へ

 

私の周りで自殺を未然に防いだり、

自殺を考えなくても良いような予防的活動として、

私に何ができるだろうと、ウロウロ・モヤモヤ迷っている。

 

環境や他人が故意に追いつめても、全員が自殺するとは限らないのではないか、

もうダメだと絶望する人が危ないと想像する。

環境や他人がサポートしていても、自分で自分を追い詰める人がいるんじゃないか。

今日で死ぬか、明日も生きるか、決めるのは本人だから。

 

想定外の出来事や、与えられた環境や、そこに居る人々が

私に、「幸せ」「普通」「不幸せ」を感じさせているのではない。

私が判断し、気持ちを選んで感じているのだ。

 

苦しみや悲しみと共に生きる 理不尽な人生が

「普通」であるという考え方は いいと思う。

それ以上に「不幸」にならずに済むもの。

時々ハッピーな状態に恵まれたら、心の底から「幸せ」を感じればいい。

「幸せ」な時は、しばらくすると終わるけれど

次に、その時が来るまで、

普通よりやや幸せ なんとなく幸せ わりと幸せ のように

「普通」と「幸せ」の間を往復していればいい。

 

不幸というわけではない状態を「普通」に設定すれば

「幸せ」も、「不幸せ」も、存分に感じられるだろう。

ハッピーな状態を「普通」に決めたら

自分の思い通りにならないことが多いこの世で

とんでもなく「不幸せ」な人生をおくることにならないか?

まあ、それもいいのだが、

幸せを感じる日が 多いにこしたことはないと思う

 

私の2017年~2019年は、六星占術の大殺界で

上手くゆかないこと、不都合な事が次々と起きる3年間らしい。

そら恐ろしく、気を引き締めて慎重に過ごそうと警戒している。

なぜ、怖いと感じるのか?

絶好調と大殺界の中間を「普通」にしてるからだ。

 

よし、今日から大殺界を「普通」基準に変更しようか。

絶好調のハッピーレベルは更に高まる。よいことだ。

2014年~2016年の3年間で得る 

良いもの、良い人、良いチャンスは

自覚できていないものまで含めると、溢れて数えきれないだろう。

大殺界の3年間で、それらをお返しするとよいのだ。

もともと、私は何も持っていなかったのだから。

ゼロベースに戻って、スペースが空いたら

2020年から 少しずつ新しいものを 入れられるでしょうよ。


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バジルぱん

2015年10月09日 | Weblog

 

ベランダのバジルは、この夏、スパゲティーや

サラダに大助かりでした。

食べきれない葉っぱを集めて、

オリーブオイルを適当に加えて ミキサーにかけ

ホットケーキミックスに混ぜて、焼き、冷凍しました。

爽やかな香りが残っていて、いいもんです。

 

紫蘇や、バジルのような香りの強い物は

アブラムシが来ないから好きです。

昨日、サニーレタスも大丈夫と教えて貰ったので

この秋に育てみます。

 

 

 

 

 


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祭り

2015年10月07日 | Weblog

このあたりには厳島神社があって、

宮出しは朝というか、夜というか

走り込みの様子をTV中継で見たあと就寝しました。

 

目が覚めて、今度は道後駅前で行われている

神輿のハチアワセの様子を自宅で見ることができました。

松山喧嘩神輿、賛否両論ございます。

ユーチューブでも見れましたから、一度その迫力を感じてください。

それぞれに喧嘩のやり方があるそうで、裏をかく知能戦でもあるそうです。

人の数や平均年齢、戦略や練習量・・要素で分析もできるけど

「人間のする事じゃけん、勝負はやってみなわからん」

 

画面の隅に、かなり酔っぱらっているカキフを見つけて

他人事ながら、怪我をしないか心配になったりします。 

 

このあと お神輿は神様を地域へお連れします。 

「病気などで、お宮に行けない人は玄関で手を合わせる。

法被をきた人は、喧嘩のためにおるんじゃない。

神様のお手伝いをしとるんじゃ」

一眠りして元気を回復したら、巡ってくださり、夕刻には宮入です。

 

来年も、収穫の喜びを与えてください。

良い事も、悪い事も  「神様の、いうとおり」

たとえ、私にとって都合の悪いことでも、

感謝できるようになれるかしらん。

 

困った時には神頼みの私ですから

神様に喜んでもらえる働きを、日頃から意識しておかなくては

申し訳ありません。

私利私欲はそのままでも、

おはぎを作る時に、余分に神様の分も作る。

手土産に、それを持参することはできるかもしれません。

 

 

 

 

 

 


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人間の分際で

2015年10月06日 | Weblog

昨日、2016年の手帳を買いに行ったついでに

曽野綾子さんの「人間の分際」を購入した。

 

帯にあった、「やればできるというのは、とんでもない思い上がり」に惹かれて手に取った。

20万部突破と書いてあるので、たくさんの人が既に読んでいるのが嬉しい。

 

前書きにあった「為せば成る」に騙されている一人であることを、ちょっぴり反省した。

成らないことだらけの私は、悔しくて努力してきた。

私が欲しかった就職先は得られず、妬んだ。

もっと頑張ればなんとかなるんじゃないか?

まだ、足りないんじゃないか?

前提に「為せば成る」を掲げたら、成るまでエンドレスの為せである。

その途中で寿命のほうが尽きてしまうんだろう。

頑張っても駄目な時がある、努力すれば必ず報われるもんでもないと言われると

力が抜けて、むしろスッキリする。

限界があることは恥ずかしい事ではない

怠けるわけではないが、仕方がないと諦めて、

無駄に怒らず無理をしないで済む。

 

過去をふりかえると、

子供の分際で、生意気を言うなとか

女の分際で、出しゃばるなとか

薬剤師の分際で、患者に説教するなとか

社員の分際で、重役より先に笑うなとか

~の分際で、の後には、~するな が続く気がする。

これからは、年寄りの分際で、何といわれるんだろう?

 

<分際とは「身の程」ということで、

財産や才能や、自分に与えられた量や質を知れということ。

私達は皆、卑怯者で中途半端で、他人の不幸で喜び

誰よりも自分と家族が大切で、損を嫌い、ハイエナのように得を探し

火事や地震に遭えば人を突き飛ばして逃げ出す存在なのである。

そして誰でも人生の終盤は負け戦つづきで(病気・死別・離別・不要とされる)

収入も 尊敬も 行動の自由も 他人からの羨望も 取り上げられるのだ。>

 

「そんなの、わかっとるわい」と納得しつつ、

さて、私はどこまで自覚できているかしらん。

 

私にもっと謙虚さがあれば

駄目でもともとの満足感が得られるし

「わいのせいやないで~●×のせいやで~」と 運命の責任逃れもしよう

年相応に、助けられて当然だとも、自分だけで最後までやれるとも偏らず、

私の分相応で、のびのびと暮らせるのがいい


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