笑顔浴

優しい時間

人間の分際で

2015年10月06日 | Weblog

昨日、2016年の手帳を買いに行ったついでに

曽野綾子さんの「人間の分際」を購入した。

 

帯にあった、「やればできるというのは、とんでもない思い上がり」に惹かれて手に取った。

20万部突破と書いてあるので、たくさんの人が既に読んでいるのが嬉しい。

 

前書きにあった「為せば成る」に騙されている一人であることを、ちょっぴり反省した。

成らないことだらけの私は、悔しくて努力してきた。

私が欲しかった就職先は得られず、妬んだ。

もっと頑張ればなんとかなるんじゃないか?

まだ、足りないんじゃないか?

前提に「為せば成る」を掲げたら、成るまでエンドレスの為せである。

その途中で寿命のほうが尽きてしまうんだろう。

頑張っても駄目な時がある、努力すれば必ず報われるもんでもないと言われると

力が抜けて、むしろスッキリする。

限界があることは恥ずかしい事ではない

怠けるわけではないが、仕方がないと諦めて、

無駄に怒らず無理をしないで済む。

 

過去をふりかえると、

子供の分際で、生意気を言うなとか

女の分際で、出しゃばるなとか

薬剤師の分際で、患者に説教するなとか

社員の分際で、重役より先に笑うなとか

~の分際で、の後には、~するな が続く気がする。

これからは、年寄りの分際で、何といわれるんだろう?

 

<分際とは「身の程」ということで、

財産や才能や、自分に与えられた量や質を知れということ。

私達は皆、卑怯者で中途半端で、他人の不幸で喜び

誰よりも自分と家族が大切で、損を嫌い、ハイエナのように得を探し

火事や地震に遭えば人を突き飛ばして逃げ出す存在なのである。

そして誰でも人生の終盤は負け戦つづきで(病気・死別・離別・不要とされる)

収入も 尊敬も 行動の自由も 他人からの羨望も 取り上げられるのだ。>

 

「そんなの、わかっとるわい」と納得しつつ、

さて、私はどこまで自覚できているかしらん。

 

私にもっと謙虚さがあれば

駄目でもともとの満足感が得られるし

「わいのせいやないで~●×のせいやで~」と 運命の責任逃れもしよう

年相応に、助けられて当然だとも、自分だけで最後までやれるとも偏らず、

私の分相応で、のびのびと暮らせるのがいい


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