昨日、2016年の手帳を買いに行ったついでに
曽野綾子さんの「人間の分際」を購入した。
帯にあった、「やればできるというのは、とんでもない思い上がり」に惹かれて手に取った。
20万部突破と書いてあるので、たくさんの人が既に読んでいるのが嬉しい。
前書きにあった「為せば成る」に騙されている一人であることを、ちょっぴり反省した。
成らないことだらけの私は、悔しくて努力してきた。
私が欲しかった就職先は得られず、妬んだ。
もっと頑張ればなんとかなるんじゃないか?
まだ、足りないんじゃないか?
前提に「為せば成る」を掲げたら、成るまでエンドレスの為せである。
その途中で寿命のほうが尽きてしまうんだろう。
頑張っても駄目な時がある、努力すれば必ず報われるもんでもないと言われると
力が抜けて、むしろスッキリする。
限界があることは恥ずかしい事ではない
怠けるわけではないが、仕方がないと諦めて、
無駄に怒らず無理をしないで済む。
過去をふりかえると、
子供の分際で、生意気を言うなとか
女の分際で、出しゃばるなとか
薬剤師の分際で、患者に説教するなとか
社員の分際で、重役より先に笑うなとか
~の分際で、の後には、~するな が続く気がする。
これからは、年寄りの分際で、何といわれるんだろう?
<分際とは「身の程」ということで、
財産や才能や、自分に与えられた量や質を知れということ。
私達は皆、卑怯者で中途半端で、他人の不幸で喜び
誰よりも自分と家族が大切で、損を嫌い、ハイエナのように得を探し
火事や地震に遭えば人を突き飛ばして逃げ出す存在なのである。
そして誰でも人生の終盤は負け戦つづきで(病気・死別・離別・不要とされる)
収入も 尊敬も 行動の自由も 他人からの羨望も 取り上げられるのだ。>
「そんなの、わかっとるわい」と納得しつつ、
さて、私はどこまで自覚できているかしらん。
私にもっと謙虚さがあれば
駄目でもともとの満足感が得られるし
「わいのせいやないで~●×のせいやで~」と 運命の責任逃れもしよう
年相応に、助けられて当然だとも、自分だけで最後までやれるとも偏らず、
私の分相応で、のびのびと暮らせるのがいい