笑顔浴

優しい時間

スマホ

2013年11月30日 | Weblog

私が学生だった頃

学生寮のロビーにあった公衆電話の長い列に並んで

先輩達が誰と話しているか、なんとなく想像しながら

順番を待ったのを思い出す。

方言で勢いを感じる時は、実家や故郷の友人・・

ひそひそと囁いていたのは恋人・・

100人で1台をシェアしていたのよといっても、学生には???だろうな

 

授業中に、スマホを見ている人がわりといる。

メールやゲームに熱中する人の他に、

解剖の名前は難しい漢字なので、文字を調べたり

専門用語を検索してたりしているみたい。

 

先日は、プリントワークを映していた。

手順はこうだ。

「NO38のプリントを見せて」とメールで送る。

依頼を受けた子は、自分のプリントの写真を撮って送信する。

届けてもらった画像を見て、記入する。

複数枚のプリントを配って、時間差が大きいのが不思議だったが

全てを独りで調べて文章に書く人と、

担当を決めて数人のグループでやる人たちの差だったのか!

板書したものを写真で残す子もいたし、道具を、使いこなしてるなあと感心。

 

「そんなに小さな文字、読めるの?」と訊くと

「ほら」っと、2本の指で瞬時に画面を拡大してみせてくれた。

自分で教科書を調べなさいと声をかけようか迷うけど

試験で高得点を取る人なので、そのままにした。

①プリントの6割は解剖図を書く作業(教科書の図を見る方が作業がらく)

②結果として暗記できたら、その方法は問わない

というのが、私の立てた方針であるわけで。

 

「自分でやりなさい」は小中高の先生から注意されてきたと想像するし

他の学生の目である集団圧力もあり、本人は割とよくわかっている。

数年前、プリントワークが、大の苦手な男子学生がいて

やりたくないので休み時間までを寝て過ごすと言った。

やれ-やらないで膠着するより、交渉である。

1枚も提出しないと、卒業に影響する平常点はやらないと脅す。

写すことならできるというので、優秀な女子学生にお借りしたのが始まり。

「大人の社会では、カットの下手な人は

 美容室の経営者になったとき、給与を支払って

 カットの上手な美容師を雇うという手段がある。

 学生の君は、現金や飲食物で相手を支配してはいけない。

 もし、この人が困っていたら、一番に駆けつけ助けようとする と約束をしなさい。」

 と、彼女と契約させた。

 見せてもらっても、さほど作業に役に立たないと思うのだが

 彼は、彼女に支援してもらったことがきっかけで

 毎回、プリントワークを提出するようになり

 自分で教科書を見るまでに、時間はそんなにかからなかった。

 

 窮地に立っていても

 誰かが関わると、なんとかなることが多いので

 誰もが少しなら関わってもいいよ と考えるように 私は関わりたい。

 人間関係の良い刺激のために スマホって道具を どのように使えばいいんだろう


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風の冷たい日に

2013年11月26日 | Weblog

駐車場へ向かう 屋外のエレベーターで

少し遅れて近づく女性を、ボタンを押して待った。

「待たなくてもよかったのに」

「今日の風は冷たいですから」

「どうも、ありがとう。今日はショックなことがあった」

と、何の前置きもなく 背中を向けたまま、お話がはじまった。

 

「検査の結果、私はあと三か月で死ぬと言われた。」

「三か月ですか・・・」

「主人に伝えろと言われても、男の人は、仕事が一番じゃろ。

 私と仕事とどっちが大事?と聞いたこともあったけど

 6年前から30回も、独りで入院したのに、ショックよ

 でも仕方がない、誰もが皆、いづれ死ぬんじゃから」

 

エレベーターの扉が開いて、降りた。

「あんた、どっち?」と訊かれるまで、私を見なかったのは

ご自分と対話されていたのではないかしらん。

かける言葉が見つからず、とりあえず

「どうぞ、お気をつけて」と挨拶をして

トボトボとすすむ、小さな背中をしばらく見送った。

 

身体の痛みは薬でとれても、

周囲との人間関係から生ずる痛みまで軽減できるわけじゃない

お忙しいご主人も奥様の病気に無関心であるとは思えないし

お二人にとって、それなりのよい時間が流れますようにと願う。

 


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人間関係の偽装

2013年11月24日 | Weblog

「人」に「為」と書いて 「偽」…自然天真でないもの

「人」に「義」と書いて 「儀」・・・真似るべき手本

「人」に「言」と書いて 「信」…相手の言葉を疑わない

「人」に「憂」と書いて 「優」・・・めぐみ深い

                   (岩波国語辞典より)

 

組み合わさった漢字で、密かに妄想している私です。

漢字に「人」がつくと興味深いですね。

たとえば・・・

「偽装」とは、他のものと紛らわしい形で、人の目をくらますこと。カムフラージュ。

肉や野菜の産地偽装なら、採れた場所を表示するルール違反という理由で、

何が悪いのかはっきりしてるが、対人関係の偽装ってどうだろう。

カムフラージュだったとしても、その方が良い結果の場合が多い気がする。

そもそも、ルールってもんがない。

ということは、対人関係の偽装なんて存在しないのだ。

にもかかわらず、

「本当は違うのに、人前ではいい人を演じてしまう」と悩む人が多い。

本当はいい人じゃないと評価している私にとっては、それなりの人間であり、

いい人を演じた私と接した人々にとって、私は真にいい人なのだ。

それで、いいと思う。

いい人を演じようとする努力が素晴らしい!とねぎらいながら

偽りが苦しすぎるなら、演じるのをやめてもいい。

なにが偽りで、なにが偽りでないかは、きっと誰もわからないはずで

それで、よいのだ。


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訪問者

2013年11月19日 | Weblog

この姿を目撃してやっと

過日、ベランダの植物の葉が今までになく

ムシャムシャとかじられた事件が理解できた。

そういえば、時々物音も聞こえていた。

もしかすると、卵か幼虫でここへ来たのかもしれない。

この日、私に驚いて植木鉢から1mジャンプした彼は

そこで動きを止めてしまった。

 

何みてるの

そこから飛ぶの??

9階だからあぶないよ。

野菜の端っこ置いとくゼ

 

食べるかなと、チラチラ注目していたけど、

関心が暮らしに移ってしまい

今日探すと、居なかった。

 

 


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義援

2013年11月17日 | Weblog

若いころからいくつもの奉仕集団に所属してきたのは

そこに魅力的な人がおり、人間関係も居心地がよかったからである。

自分にとってのメリットが最優先の頃、

労働奉仕はともかく なぜ経費まで? と不平不満ぶーぶーの時があって、

ある日、気づいた。

私が代金を請求すると、予算が無いので誰かのポケットマネーを貰うことになる。

私の担当作業だから責任の範疇だと、

生活費から渋々出すから負担を感じるのだ。

少額なのに、奪われてる・損している という被害者意識が強かった。

義務だと感じて苦しかった。

 

そこで、義援積立を始めてみた。

バースデイ寄付のように、幸せなイベント時に寄付するのを真似た。

私の都合を優先してくれた 助けてくれた 元気が出た

ごちそうになった お土産をいただいた 駐車場で配慮してもらった

いい気分にしてもらった、大切にしていただき、ありがたいなあ~

という感謝のコインを貯めて、基金とした。

主に手土産や、ボランティア経費に使う。

おのずと支払金額には限度があり、積立額以上は出さない。

生活費の枠外なので、ためらいなく使えるし

恩返しは嬉しさを思い出すチャンスだ。

 

さて、義援は、人として人を応援・支援するという、尊い行為である。

ところが、気持ちに余裕がなければ、頑張るほどに、しんどくなる。

立派なビジネスマンや先生、良くできた妻・夫 父・母 とても良い子が、

こころの病にかかりやすいのは

限りなく、周囲の人のために 自分を抑えて無理を続けたからではなかろうか。

或いは、周囲の人々が彼の頑張りを当然と勘違いし

感謝しないか、彼の気持ちに無関心でいるからだろう。

 

どこまでやるかのラインを引くことは大切なことで

疲れて何もやりたくない時は、しなくてもよい。

期待に添えない時は、----気持ちの良い挨拶をする---

それだけで充分だと思う。

 

 


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「義」の人

2013年11月17日 | Weblog

「古い仁侠映画は、「義理」を貫き、筋を通すところに美意識があったが

広島弁で有名なブンタの「仁義なき戦い」は、自分たちの感覚に近かった。

損得勘定と、激高と復讐と、自己中心的で未成熟なキャラクターが登場した

本能で生きるって感じ。抑圧されてたものが噴出して

欲しいものなら強引に手に入れるし、気に入らない相手は容赦なく殺す。

今の若者は、映画で言うと どんな感じだろうね」と、

スーパーの店頭横の喫煙所でおじさんたちの映画談議を聞いた。

 

あれから「義」について考えてる。

五徳(仁義礼智信)の一つだけあって 簡単に実践できるものではない。

足利将軍家は名前に「義」が付く人ばかりじゃ!

ラストサムライに描かれた日本の武士道の中核に「義」があると言う人もいた。

清水の次郎長親分が登場すると、きっと、仁義ある戦いになる。

「仁」と「義」が存在すると、情け深く人の道からは決して外れない。

 

「義」の人と言えば、三国志に登場する関羽さんが有名だ。

利害を捨てて条理に従う、人として正しい行いをする、公共のために尽くす。

それを正義と呼ぶ。

古い時代の山西商人は、塩の販売の他に物資の輸送も担っていたそうで

戦争の経過で、交した契約と違う結果になっても

不平不満をこぼしたり、損した代金を求めず、各地で信頼を深めたと聞く。

信頼は、正義のレベルに比例するようだ。

 

 ボランティア活動に参加すると、仲間は「仁」と「義」の人である。

(労働)と(時間)その活動に伴う(現金)は、周囲からは見えない。

善行は、これ見よがしにするものに非ず、である。

ただ、特筆すべきは、

想定外の状況下で、更にきわだつ人がいるということ。

「これ以上は、どなたかに・・・」という人が大半を占める中で

「私がしましょう」と真心から望んで申し出る方は「仁」の強い人なのだろう。

「こうなっては仕方がない、私にお任せください」と

長い沈黙の最後に 手を挙げる方が「義」の強い人だ。

安堵の表情で皆が振りむき、感謝の声をかける。

どこに行っても、そういう人がいる。

 

私などは自己理解が進むにつれ、「仁の人」のハードルは年々高くなる。

せめて「義の人」を目指すも、まことに中途半端な人間である。

 


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バーチャル体験つづき

2013年11月15日 | Weblog

バーチャル体験の感想をメモしておきます

「統合失調症」

誰かの脳の中に入った感じでした。

本人と、本人以外の声が聞こえて、

私がその中で一緒に会話することはないのですが

喫茶店のマスターの顔が一瞬、恐ろしい顔に変化すたのが見えました。

遠くの人の会話が聞こえるはずもないのに、確かにはっきり聞こえました。

声が聞こえてくるとうるさいというのは、

こんな感じなのかなと想像しました。

 

「ADHD」

私に悪いことをした意識がないのに、ずっと叱られてばかりです!

「また、忘れてる」「いい加減にして」「全く何を考えてるの」

最初に、「光ったら、ボタンを押してください」とアナウンスされて

注意していましたが、光りませんでした。

そこで、またまた、「あなたは注意散漫!」と低い評価を受けました。

自覚のないまま、一方的に叱られると、自己肯定感が低くなるのも当然ですね。

理由を伝えて、注意するというのは、こういうことかと思いました。

 

「過鎮静」

視野がぼんやりとしていました、

電話や机の上の事務用品や自分の手も見えましたが、感覚が違うのです。

作業しようとすると、ピントが合わず、写真も文字もふわふわ動きました。

これじゃ、まったく、仕事するのが困難です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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バーチャル体験

2013年11月12日 | Weblog

11月6日に

精神保健福祉協会のこころのふれあい講座に参加して

「思春期のこころと病」というテーマで講演くださった

渡辺久子先生のエネルギーをいただいた。

私は、まだまだ「悪者」になれてない。

批判を一身に受けて、誰かを守るという潔さに欠ける。

優しい人は強いのよ・・ 

覚悟がなければ、人当たりの良い人どまり。

 

講演後の休み時間に「バーチャル体験コーナー」へ急いだ。

かねてよりずっとチャンスを探していたから嬉しかった。

各製薬企業のブースにいくと

「 どれにしますか?」

「すみません、全部お願いしたいです」

「ADHD」「統合失調症」「過鎮静」が提供されていた。

 

おっと、もうこんな時間。

この続きは、あとで 

 

 

 

 

 

 


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寄り添う鍛錬

2013年11月11日 | Weblog

土曜日の午前中は、事例検討会でさまざまな事例を学ぶ。

相談者が窮地から脱した勇気をもらい

先輩方の温かい声掛けを身に着けたいと願う。

価値観にとらわれず、優しいまなざしで

相手の存在を尊重し、受容し、応援したいと願う。

 

事例を学ぶと、心理カウンセラーが活躍するというよりは

見守っている間に、相談者側で変化が起きてる。

本人の変化、家族や職場の人の変化、突然の環境の変化

困っていたことが改善すると、短期間で終結する。

何年も時間がかかる場合は、納得するまで諦めないからではないかしらん。

それは、人生の質を高める努力の一つだと思う。

そういう時間が必要ということかもしれない。

やがて、自然に変わってゆくので

変わらないで居ることの方が、難しいのではないかと感じている。

だんだん、相談者の持っている生きる力を信じられるようになってきた。

 

会場を移動して、午後から産業カウンセラー実践講座に参加した。

互いに相談者役とカウンセラー役になってロールプレイを録音。

毎月1回 連続3回のテープをおこし、来年2月に事例か逐語のいずれかを提出する。

テープを10回以上再生していると、嫌でも自分の癖が見えてくるので

年々苦しい作業になってきた。

なぜ、このタイミングでこの質問を入れたのだろうと反省しつつ

どういう対応だったらよかったかを考えてみる。

解決を急いで操作的ではなかったか?

相談者が自由に語れる安心感を提供できたか?

技法のスキルを高めるトレーニングは、

無条件で相手を受け入れる鍛錬であり

それは、結局、私自身と向き合う時間になってゆく。

相談は、人と人との交流だから

影響しあいながら成長できるということかもしれない。

 

 

 


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準備する

2013年11月06日 | Weblog

昨日は、10時から麦の家ボランティア若鮎の世話人でした

訪問先の作業場で内容を伺って、作業するのですが

私たちが作業を快適にできるよう、

画用紙やシール、ハサミやカッター、ものさしの道具箱

刷毛やテープ 糊や汚れた手をふくおしぼり等が準備されていて助かります。

しかも、「お昼にどうぞ」と、

お菓子やお茶も湯飲みや茶托と一緒に揃えてくださっていて、

職員の方々の愛情を感じてうれしいです。

 

私たちは工夫して、糊も画用紙も最低量で、良いものを作ろうと頑張りました。

この日は、運動会に使った箱を壊して、段ボールをクリーム色の箱に再生させました。

ピンクの画用紙を貼って段ボールの本箱を作ったり、

クリスマスカードを切り抜いたり、プラスチックカードの隅を丸く切りました。

4時間があっという間に過ぎてしまいました。

参加者が明るくなってゆくのを感じています。

訪問先で大切にされて、それが心の栄養になっていると信じています。

 

帰りに事務局に立ち寄り、11月10日の研修会資料を届けて

配布資料の印刷とホチキス止めを手伝って帰りました。

その足で、実家に戻り(火曜日は母の日)カーブスはお休みしましたが、

石油ストーブと法事の準備物(布施袋・お花・お供え)などを揃えました。

ラーメンを食べてみたいというので、「長浜一番」という博多ラーメン店

に立ち寄り、実家でダラダラすごし、帰宅したのは午後8時。

11月2日に「職業興味テスト」を臨床カウンセリング研修会で体験したので

まとめを書いてアセスメントのファイルに綴じました。

いつか、おもてなしのこころで、

「職業興味テスト」をした学生にコメントできるようになりたいと思いました。

そのために、普段から相手の立場に立って考えてみる癖がつくといいな。

目に見える優しさと、目に見えない思いやりがあって

いちいち気付かないけれど、

案外、知らない人からも 気遣いをされているから

きっと私たちは多くの愛情の中で生きているのだと思います。

 

 

 


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