笑顔浴

優しい時間

居を整える

2012年07月27日 | Weblog

今日は夏の大掃除をします。

この暑さの中で不本意ですが まとまった時間を2日間とりました。

 

よい精神は、よい身体に宿る、良い身体は 良い環境で育つ

良い環境とは・・

落ち着く空間

からだに必要な食事

規則正しい日常生活

 

仕事・研修会・ボランティア活動でバタバタで、

家事よりも自宅での「お持ち帰り作業」を優先した結果

徹夜に近づき エンドレスで続いています。

それで、まあ、恥ずかしながら

泥棒さんが入ったことを後悔するほどの散らかりようです。

 

一生懸命こなしても、達成感がなく

作業の種類が増える一方ですから

限界を超えて、怒り爆発!

△■○××△!(私の場合は、幼児のヒステリーと同等)

 

 

イライラするときは、誰が、何を、どうしたという

周囲からの刺激に原因があるのではなく、

私がバランスを失い、揺れているせいです。

振り返ると、他者に依存し、甘えており

変えて欲しい 変わって欲しいという 依頼ばかりが浮かびます。

自分の思い通りにならない・できない憤懣です

 

どのような状況の下でも

こうする!これでよし!という

私なりの方針が定まれば、安定します。

そういうわけで、先ずは「日常」を回復することにいたしました。

 

 

 


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三竦み

2012年07月23日 | Weblog

蛇は蛙を食べ、蛙はナメクジを食べ、ナメクジは蛇を食べる
(蛇はナメクジに身体を這われると、そこから腐って死んでしまう)。

三者が牽制しあって、身動きがとれない状態だと

教えてもらった。辞書をひくと「三竦み」(さんすくみ)とあった。

 

へびと、かえると、なめくじ

教師と生徒と親

医師と患者と事務長

夫と妻と子供

弱い立場の人が思いがけない場面で強かったりする

ひとむかし前は、

生徒も父兄も先生の仰せに従った

患者も事務長も医師と対話できなかった

そして、男女や親子の関係も変わった。

良くも悪くも利害が拮抗すると睨み合いが始まるので

ドカンと風穴を開ける第4の立場の人の登場が待たれる。

均衡が破れると三者が安全に

それぞれに逃げてゆけるのがいい。

 

ところで、「虫じゃんけん」というのがあるらしい。

親指を出す = カエル(なめくじに勝つ)

人差し指を出す= へび(カエルに勝つ)

小指を出す  =  ナメクジ(へびに勝つ)

*中国の道家哲学のひとつ 関尹子に三竦みの記述があるということでした。

 虫じゃんけんは三竦みの考え方から生まれたというのは興味深いことです。

 


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ございます。

2012年07月22日 | Weblog

あなた!

あなた~!

ちょっと!

ちょっとお!

駐車場の外付けの螺旋階段の隙間から

短パンTシャツの外人さんが地上から

大きな声を出しているのを発見。

どうも、私に声をかけているらしい。

目が合うと、猛ダッシュでやってきて

「重いございます、△■○×~」

とおっしゃるので荷物を持っていただいた。

「3つ 信じない ◎×△ エレベーター △■○×」というのは

きっと、3階まで大変ですねとおっしゃったのだろう。 

英会話の先生、私の荷物が加わり、

教材が両腕からこぼれ落ちそう

おっ! ほっ! 本当に大変だったのは、彼に違いない。

「ありがとうございました、おかげで助かりました」とお礼をいうと

ウインクして「なんちゃない!どうも、どうもございます」

と深々とお辞儀をして、

私も、深々とお辞儀をして、

とても嬉しくなりました。

 

私も、他者を尊重できているか、

今、振り返っています。

 

 

 

 


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2012年07月17日 | Weblog

和という漢字は、植物を喰らうと書く

集まって一緒に食べる

食べるという行為は、リラックスの行為だから

自然に和やかな雰囲気になる。

 

家庭でも、職場でも、学校でも、地域でも

孤食が増えて久しい。

 

仲良くなりたいなら

一緒に食べることから始めるのがいい。

最初は、会話など なくていい。

同じテーブルにつく・・これで

半分は仲良くなれているに違いない。

 

 

 

 


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濃霧

2012年07月16日 | Weblog

一昨日は深夜までダイヤル相談があって前泊ができず

昨日は養成講座の最終日で、どうしても会場に行かねばならなかった。

そんな朝、港は駐車場から建物の中に続く渡り廊下さえ霧で白んでいた。

こんな状態では欠航も仕方ないと8割がた諦めて

カウンターに向かうと行列が見えた。

船を出してくれるの?!

一寸先は真っ白だから のろのろ走行、時々停止

広島に近づくと晴れていて なんと15分遅れで到着した!

感謝のありがとうを乗務員さんに伝えた。

 

 

先の見えない人生の濃霧の中に立ちつくす日に

簡単に諦めないようにしようと思った。

たとえ視界が悪くても、いずれ晴れる。

いつものようなスピードは出なくても

足元の見えてる部分だけ、前に進めばよい。

私を頼っている人々のためにも

できるところまでやってみるかと思う。

 


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仕事に慣れるサイクル

2012年07月13日 | Weblog

キャリアトランジションサイクルモデル

を提唱した、ナイジェルニコルソンという人がいた。

趣味でも仕事でもボランティアでも家事でも

ワンパターンのプラスのスパイラルを続けるという。

 

準備段階→遭遇段階→順応段階→安定化段階→準備段階→・・・

準備段階では、恐怖や嫌悪 あるいは楽観・・・「そんな仕事が私にできるのだろうか」

遭遇段階は、実際にやってみても、失敗が続くので不安後悔が広がる・・・「この仕事は私に向いてない 私は情けない人間だ」

順応段階は、慣れてきて、できることが徐々に増え、自信もできてくる・・・「面白い! 楽しい やりがいがある」

安定化段階になると、習熟して、物足りなくなり新たに冒険を企画する・・・「もっと極めたい 今のままではつまらん」

今度の準備段階は、過去の準備段階よりハードルの高いチャレンジである。

 

うまくできず、辛いのは、

本来、自分はちゃんとできる人間であると考える人だけ

こんなはずはないと抵抗を感じるから辛くなる

だから、辛さをバネに努力してうまくゆく。

 

「私は駄目だ」という人の半分は自己肯定感の乏しい人。

うまくゆくと、いつもと違うから違和感を感じ、

「やっぱり私は駄目だ」と思えないから、不安に陥る。

「おかしい。この先、どんな不幸に遭遇するのか?

うまくいったかに見えて、実はこれも失敗か罠に違いない。」

なにがなんでも、うまくゆかない状態にしようとするのは

そんな状況が落ち着くのかもしれない。

 

こうなると、個人の受け取り方次第かなと思えてくる。

だとすれば、毎日上手くいったと思えるにこしたことがないね。

 

 

 

 

 


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悲しみに言葉を

2012年07月11日 | Weblog

悲しみに言葉を―喪失とトラウマの心理学安藤 清志 (翻訳),ジョン・H. ハーヴェイ (著)

悲しみを語ることによって、気持ちが軽くなるという

私が普段やってることを、いろんな人もやっているぞと紹介されているので、注文しました。

 

悲しいこと 苦しいこと 寂しいこと 怖いこと 不安なこと 嫌なこと 腹の立つこと 情けないこと

心が晴れ晴れとならない話ばかりを仕事で聴いています。

解決に急ぐと、抵抗をうけるので、先ずはただただ話を聴きます。

時々、これでいいのか?

こんなのでいいのか?

私は、相談相手になれているのか?

ふと、芽生える疑問の答えを探したくなりました。

 


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人生の午後

2012年07月11日 | Weblog

ユングが日が昇り日が沈む、1日を一生に見立てている。

 

私は早朝に生まれた。

あたりは薄暗く寒く、まだ世界がよく見えない。

午前中、あざやかな光の中で

様々な新しいものが見える、体は温かくなり、よく動き、やる気で満ちている。

正午に太陽はのぼりつめ、午後から傾きはじめる。

午前中と変わらない風景のように見えるが

太陽が背後に回ると、やがて足元から私の影が伸びはじめる。

そして、私は影と向き合う。

自分の死であったり、老後の不安であったり、喪失感や

無意識の中に追いやって、無いものにしてきたものや未解決の問題を

残りの人生でなんとかしたいと望んでいる

 

夕方 だんだんあたりはくれてきて、

見えるものの輪郭が、赤く眩しく光り始める

その頃には、疲れて腰をおろしている

夕日が海や山の向こうに沈んであたりが闇に包まれる頃

自分の影は見えなくなり、私は死ぬ。

 

 

 


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七夕の願い

2012年07月07日 | Weblog

日々、いろんな人と出会い忘れてしまうことが、たくさんあります。

嬉しいことは、書きとめておかないともったいないです。

 

昨日は緩和ケアでボランティアの日でした。

始まる前からテーブルにつき、終わる時刻までいらした高齢の男性が

「ここにおると(人の声がして)安心な・・」

と看護師さんに話しておられました。

個室の部屋で一人で過ごす時間より

「こいわしの刺身にしょうが醤油が美味しい」等というおしゃべりを

黙ってうとうと聞いておられる時間のほうが

普段の生活に近いのでしょう

私がそこに居るだけで癒しになるのだといわれたようで嬉しかったです。

 

大きな七夕飾りがきれいでした。

近づいてみると、短冊に願いがたくさん揺れていて

生きている樹のようでした

「パパのびょうきが なおりますように」

死を想うと、生きる素晴らしさが輝くのかもしれません。

 

健康な人々の生命が保証されているわけではありません。

5秒後に、私に何が起きるかわからないからこそ

今日を生きていることに、感謝しなくてはと思います

では、行ってきます。

 

 

 

 

 

 


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