笑顔浴

優しい時間

笑顔浴20141227-2 大人たち

2014年12月28日 | Weblog

ギターを弾いてくれたAちゃんと、歌を歌ってくれたBちゃんに

Cさんが、可愛いカレンダーやお菓子と手編みのアクリルたわしをプレゼントしました。

R子さんのお知らせによれば、人前で初めて演奏したAちゃんはとても感激したそうです。

調理師を目指すBちゃんは手編みのアクリルたわしが気に入ったそうです。

親しくないCさんの真心が、想定外で 驚き、嬉しかったのでしょう。

隣に座ったDさんが、Aちゃんの勇気が湧いてくる声掛けをしてくれたとも聞きました。

R子さんも彼女たちの笑顔で幸せになったと喜んでいました。

 

自己紹介をパスしたEちゃんが、さようならの後で

私に「ごめんなさい」を言いに来ました。

「本当は話したいことがたくさんある。でも、視線が怖くて何も言えない。

 自己紹介が始まると逃げ出したくて、Bちゃんとどうしようって話した」

「よく逃げないでとどまったね~」と、勇気を認めました。

他者を避けてばかりの彼女が私に話しかけた 記念日となりました。

怖い視線にさらされていると、視線を怖れるのは自然な適応。

攻撃を受けた経験があれば、知らない人は全員恐ろしい存在だと思うのは当然。

笑顔浴に参加した大人の役割は、自分と無関係の人なのに

あたたかい視線をくれるんだなと 若者たちに体感してもらうことのように想えてきました。

もちろん私が一番 その恩恵を受けています。

 

大人たちは、お説教でなく、態度でいろんなことを教えてくれます。

1人でいたら、声をかけてくれる。

コップが空になっていたら、飲み物をくれる。

困っている人を積極的にお手伝いする。

私は何をしたらいいですか?と自分から作業をさがす。

みんなで食べようと、差し入れをくださる。

気持ちよさそうに会話している。

ありがとうを誰かに言われる。

楽しそうにおしゃべりしてる。

こういったことを、ソーシャルスキル(社会生活技能)と呼ぶのだけれど

教室の中で考えても思いつかず

身近なモデルを真似た方が行動しやすいのです。

 

荷物を搬入する時、両手で荷物を持ってくれるF君は

「そんなに持って、大丈夫?」というと

「荷物を、女性に持たせてはいけない」とダンディで

周囲の女性から一斉に「かっこいい!~」の声があがりました。

F君、誰をモデルにしたんだろう?

 

毎回、参加してほしいなあと思う方々に声をかけます。

その時々の笑顔浴に必要な人選は、神様にお任せしています。

参加するよ、都合が悪い、急に行けなくなった、急に参加したくなった と

結局、笑顔浴が始まるまでわかりません。

神様が人を選んでいるぞと私が思うのは、

人々の組合わせが 毎回、素晴らしいハーモニーだからです。

 


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笑顔浴20141227

2014年12月27日 | Weblog

  

 

冬の笑顔浴

会場の都合でダンボクラブの合宿と同時開催になりました。

30人もの人々が集いました。

 

笑顔浴は、笑顔を浴びて元気になる場です。

元気な人なら笑顔も余っているでしょうが、

笑顔を失っている人に、笑顔持参で来いというのは

無茶なお願いだと 痛いほど知っています。

それでも、笑顔を持ってきてねとお願します。

最初は偽物の作り笑顔でOK

笑顔を浴びた相手が、嬉しくなったり

優しい言葉が浮かぶのは、本能だからです。

他の人の心からの笑顔を浴びているうちに

帰る頃には、真の笑顔が生まれているのでその不思議さを

感じて欲しいと願っています。

 

この日のプログラム

1 リズム遊び

2 何のために(小さき手:クレア&香)という詩を全員で朗読

3 ギター演奏とうた

4 落語

5 お茶会

 

お茶会の初めは、毎回、自己紹介をします。

お名前と、ワーク(この日は「自分をボールに例えると」でした)

30人もいると、緊張してお話できない人がいても不思議ではありません。

その場から立ち去る事もできるのに

そこに居てくれるだけで嬉しいから<パス>の人にも拍手を贈ります。

一巡すると、安心して、後はフリートークタイムになります。

 

私をボールに例えると、ゴルフボールみたいと喩えました。

芯を打たれると、固さを味方に、遠くまで飛ぶことができます。

音が響くと、私がどっちに向かって飛んで行くかを、皆なで注目します。

ファ~!!(fore)

結果によらず、関心を持ってもらえることは、とても嬉しいことです。


 


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今年もあと10日ばかり

2014年12月20日 | Weblog

 

高橋優さんの「ボーリング」という曲の歌詞に

「努力しなくてもプロフェッショナルになりたい」

というのがあって、とっても惹かれる。

 

週末の研修会も、講演会も 読書も

関心が高まると夢中になれる。

義務として自分に科すと 疲労する。

得られた知恵が、私を通して誰かの役に立つのなら

もっと知らなくてはと、焦りもある。

 

これは、誰にも負けないと、思えるものがないのは

プロとして恥ずかしいことかもしれない。

望めば望むほど、消化不良を起こしそうだ。

そういう時には、休むことだ。

 

今年もあと10日になった。

研修会のノートの整理は山積みだが

しばらく 私の人間力を育む時間にしよう。

子供のこころで楽しむ時間を過ごそう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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ピーナツかぼちゃ

2014年12月18日 | Weblog

 

寒くなると、かぼちゃのスープが美味しい。

最近、ピーナツの形をしたかぼちゃが出回っている。

使い方は、従来のかぼちゃと変わらない。

つい、どんな味がするんだろう~と期待したけど

見かけがどんなに変わっても

かぼちゃは かぼちゃの味がした。

 

<目に映った物、鼓膜が振動した音で、判断しないこと>

ニコニコしている人を見ると、優しい人だと思い込む

イライラしてる人をみると、意地悪な人だと思い込む

困らない状態はないと聴けば、永遠に困るんだろうねと信じる。

全く不都合はないと聴けば、常に絶好調なんだなと信じる。

外界から得た情報で、私の脳は事実を間違って統合する。

ヒントになるかもしれないが、本当のところは、よくわからない。

 

本音と建て前を使い分けてる間に

本人だって、真実がウロウロ迷っている。

でも、それでいいのだ。

あなたはあなた

私は私に 変わりない。

 

 

 

 

 

 

 

 


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強風

2014年12月17日 | Weblog

 

強い風だから、気をつけろ

と母に注意を促してた 私の方が風に飛ばされてしまった。

杖を合わせて3本足なのにバランスを失うとは!

やれやれ、私で良かったと思う。

 

転倒した時に、お気に入りのスラックスの膝が破れた。

両膝が破れたので、つくろって普段着に格下げに。

転倒しない人は知らないだろうが、

あんがい高くつくのだ。

膝の関節をひねって、少々痛い。

出血が無かったのでありがたい。

 

 

 

 

 


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蝋燭

2014年12月16日 | Weblog

 

とうてい使い切れないぞと思った

ガラス容器に充填された蝋燭も

じわじわと ロウを溶かして終了し

5度目の冬にようやく新しい蝋燭に交代した。

蝋燭の残りが 命の残り時間に例えられるけれど

私の命は、あとどのくらい残っているだろう?

 

一人暮らしだった伯母が過夏に脳梗塞で自宅の2階で倒れた時

運のよいことに窓が開いており、しかも

助けを呼ぶ声に、隣の人が気付いてくれた。

それで、命を救われた。

命の恩人に、今年もご挨拶に行くと伯母(96)は決めている。

 

ある日脳梗塞→入院→退院→家に戻ることなく施設入所

この施設は、一人の外出は許可しない。

施設のヘルパーが同行するサービスがあるが

費用が発生するのと、人手不足のおりに申し訳なくて頼めないらしい。

用事があると、妹である母(87)に来てという。

母は、「車が無いけん来て」と私にいう。

母も私も、自分の歩行がおぼつかない。

伯母が寄りかかろうものなら共倒れで、

面会に差し入れを持参するのは問題ないが、介助は「NO!」である。

 

「電話で話して、感謝の贈物を手紙と一緒に 郵送すれば、いいじゃん!

 外出先で転倒して、骨折したら寝たきりになって、動けなくなるんだよ。

 そういう役を、私達に頼まないで!」と 本当は断りたい。

 

母   「なんで、雑用の時だけ私なん?」

伯母  「他におらんのじゃけん、助けてもらわんと仕方がない」

私に気を遣う母と、嫁ぎ先の親族が近くに居るのに 

甘えられない伯母の事情を察して、私は黙る。

そこに、将来の私の姿も重ねてしまう。

 

伯母は介助して欲しいと頼まない。

「目的地の近くまで、車で運んでくれ」と言っているのだ。

でこぼこな道でも1人で歩く

強い風でも転倒しない

荷物は自分で持つ

短距離は、一人で大丈夫、と言う

 

それで、私は、ドライバー役をする。

言いだしたら、説得しても無駄である。

それだけ、本人にとって譲れないことなんだろうと 想う。

訪問日を決める時も、1週間が待てないのは、

明日の命を信じない覚悟だろう。

 

私は、<危ない>という理由で、

自分のしたいことを取り上げられたことが 少ない。

マッさんに登場する大将の「やってみなはれ~」ではないが

周囲の人の、失敗したら、失敗した時に考える的な<受容>がありがたかった。

 

人生の責任をとるのは、その人自身だ。

したいと望むなら やってみればいい。

人生、死ぬまで 冒険じゃ。

 


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暖房を兼ねて

2014年12月15日 | Weblog

 

節電のためにLEDライトに変えたので

夏は快適でした。

冬はもう少しだけ発熱してほしいと

都合よく我儘を想っている私です。

 

小さな白熱球の照明を点灯し

暖炉の代わりに蝋燭に火をともしてみると

けっこう、室温が暖まりました。

冷蔵庫や、テレビやパソコンの

温かさも寒い季節の助けとなっています。

 

電気に頼っている生活ですが

停電時のために

カセットのガスストーブを購入してみようかと検討中です。

どこでも、持ち運びOKというのが魅力的でしょう。

 

 

 

 

 

 

 


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歳末抽選会

2014年12月15日 | Weblog

 

今日は母を抽選会に誘った。

丁寧に人生を生きるとは、

こまめに季節の行事を楽しむことだから

抽選会も、立派な行事のひとつだ。

 

私は、4回とも保湿ペーパーだったが

母はサランラップを1個当てた!

「おかあちゃん、すごいな~ついてるね」と驚くと

「鐘は鳴らんかった」と笑った。

 

笑うこと 歌うことは

認知症の方々だけに大切なことではない。

ひきこもりの人々にとっても

うつ病の人々にとっても

私にとっても不可欠なことだ。

 

10枚で1回、抽選ができる。

7枚の残り券を 後ろに並んでいた女の子にあげた。

4枚の端数と合わせて、もう1回チャンスができたと

おばあちゃんらしき女性が喜んだ。

1等があたるといいね。

去年、私も知らない人から券を貰った。

今年、誰かに返せてよかったと思う。

 

 

 

 

 


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復讐するのは

2014年12月11日 | Weblog

「復讐するは我にあり」は、

新約聖書(ローマ人への手紙・第12章第19節)に

「愛する者よ、自ら復讐すな、ただ神の怒に任せまつれ。

 『主 言い給ふ、復讐するは我にあり、我これに報いん』 とあり」

という言葉の一部で、 悪人に報復を与えるのは神である、という意味。

 

復讐したい気持ちはわかるけれど、それは神様に任せて、

あなたは、ただ人を愛しなさい。

そして、人を憎む苦悩から 解き放たれなさい。

 

「復讐」という、強烈な言葉に触れると

どのように理解すればよいのか 戸惑う。

世の中に存在する言葉が意味する行為は

世の中で、実行されているはずだから

否定的にならず、恐怖を暴走させないようにコントロールしなくてはと感じた

 

 

 

 

 


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