ホトケの顔も三度まで

ノンフィクション作家、探検家角幡唯介のブログ

明神~穂高

2016年03月19日 09時42分27秒 | クライミング
三月頭に大部君と明神から穂高にかけて縦走してきた。下山後、ひどい雪目で数日間なにもできず、視力も推定、0・3ぐらいまで落ちた。パソコンの画面を見ていると目がいたくて涙が溢れてくるため、ブログをアップすることもできないまま時間が経過してしまい、そのままずるずると延期していた左ひじの手術のために入院してしまった。昨日退院し、いつのまにやら視力のほうもすっかり回復したのだが、もはや二週間前の登山の記録を詳細にかくモチベーションは失われたので、簡単に報告だけ書いておく。あまり記録のない壁の登攀も含まれているので。

3月2日 東京から沢渡へ。もともと穂高で屏風2ルンゼ~前穂東壁~涸沢岳北壁の予定で出発したが、車のなかで富山の和田君らが前の週末に下又白前壁を登ったことが判明。記録をみると面白そうなので、急遽、そっちに目的地変更。いい加減である。もともと下又白は登攀候補地にあがっていたのだが、ちょっとしょぼそうだということで屏風に変えていたのだ。下又白谷前壁~奥壁~明神~前穂~奥穂~涸沢岳北壁という計画を決め、最大の目的地は正月に遠望して登山意欲をそそられた涸沢岳北壁(正月のブログでは西壁と書いたが、よく見ると北壁らしくて、昔、ガイドの有持さんが登っていた)であることを意思確認して沢渡到着。

3日 坂巻温泉に一日500円で駐車させてもらい、徒歩で上高地、明神へ。一週間分の荷物の入ったザックが重たい。梓川を渡り下又白谷に入り、しばらく浅いラッセルをつづけると前壁が見えてくる。見た目は実に登攀意欲のわかない、さえない壁だ。壁の手前、7、800m手前の岩の基部をテンバとして荷物を置き、2ピッチのフィックスに向かう。登ってみると前壁は非常に快適なアイスクライミング。下部2ピッチは傾斜60~70°ほどの四級程度のしっかりとした氷が張りついていた。


前壁。見た目は砕石の切り出しみたいでしょぼいけど、わりと面白い。


前壁②。そのまま明神東稜につなげると、無理なくすっきりとしたラインになる。

4日 2ピッチをユマール。その上はなかがスカ雪になった悪い雪壁が混じるが、基本的には重荷を背負ってリードできる程度の難度のアイスが続き、6ピッチで終了。深いラッセルをこなしてひょうたん池へ。天気予報をみると7、8日は低気圧接近にともない悪天になるとのこと。涸沢岳北壁を登るには6日しかチャンスがなさそうなので、下又白奥壁は割愛し、明日、明神岳東稜をつめて一気に奥穂を越えて穂高岳山荘に向かうことにする。

5日 明神岳東壁の雪が非常に悪い。岩壁のうえに、ペルーアンデスのいわゆるシュガースノーを想像させる非常に不安定な霜ザラメ雪の層が張りついており、恐ろしかった。そんなこんなで時間がかかり、結局、この日は前穂の頂上までしか行けず。

6日 とんでもない濃霧につつまれている。これでは昨日、穂高岳山荘に着いたとして、涸沢岳北壁には到底登れなかっただろう。下山するつもりで一度、重太郎新道の脇の沢を下りようとしたが、ちょっといやらしい積雪状態で、雪崩が怖かったので、結局、吊尾根を縦走して奥穂へ向かう。ガスで完全に視界が失われていたので苦労するだろうなぁと思ったが、案の定、吊尾根ではまる。雪もダブルアックスでクライムダウンしなければならないガチガチの雪と、シュガースノー風の霜ザラメが混在し、細かなアップダウンを強いられ、風も強く、疲労する。ガスによるホワイトアウトのなか間違って変な岩尾根を下りたりして、登山力を試される場面となった。なんとか奥穂を越えてホッとしたが、そのあとも「間違い尾根」にはまったり、残り50メートルになっても小屋が見えず、どこを下りたらいいのかわからなかったりと苦労させられ、コースタイム2時間のところを8時間かかって、日没直前になんとか小屋に着く。冬季入り口が分からずテント泊。


奥穂頂上にて

7日 晴れたら涸沢岳に、と思っていたが、今日も濃霧。連日のフル活動で疲労していたこともあり、白出沢から新穂高温泉へ下山した。

簡単に報告と思ったけど、長くなってしまった。これで今シーズンの冬山は終了。ひそかに次の週末で鹿島北壁でも……と思っていたが、パートナーが見つからず、断念した。次の冬は極夜探検でいないので、しばらく登攀系とはお別れです。私は夏はほとんどクライミングをしないので。




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