ホトケの顔も三度まで

ノンフィクション作家、探検家角幡唯介のブログ

雪男と三六会

2010年08月28日 11時43分20秒 | 雑記
岳人の原稿(来月発売10月号の第二特集「極地探検のいま」)の校閲を、四時間かけてじっくりおこなう。原稿には極地探検史の固有名詞がたくさん出てくる上、英語の資料を翻訳し、引用した箇所もある。こういった歴史がらみの原稿は、一部マニアから思わぬ指摘があったりするので、間違いは許されない。翻訳家の海津さんが目の前で仕事をしていて助かった! (海津さんからは、角幡君、ねちねちと仕事するね、との言葉をいただいた。ねちねちしているのは、仕事だけじゃないっす!)

その後、私が一昨年参加した雪男捜索隊と「三六会」の方々がお祝いの席を開いてくれたので、(二時間ほど遅刻して)駆けつける。三六会というのは、わが国の登山史を形作ってきた往年の名登山家たちが集まる秘密結社(というか慰労会)のようなもので、あの山田昇さんら三人がマッキンリーで遭難した時に、対策本部をつくった方々が会員という、非常に由緒正しき慰労会である。雪男隊の高橋隊長、八木原副隊長、村上隊員も三六会の主要メンバーで、そういった縁もあり、わたしのような小童も時折、呼ばれるというわけだ。

雪男の取材の時には、高橋さん、八木原さん、村上さんはもちろんのこと、三六会の国重会長(昨日はいらっしゃってなかった)や深田さん(山学同志会でジャヌー北壁のメンバー)、松田さんなどにも取材で協力していただいた。また、山森さん(元ヒマラヤ協会事務局長)にはヤル・ツアンポーの執筆の際にナムチャバルワ登山(作品中はほとんど触れられませんでしたが)についてお話をうかがい、家までおしかけてチベット関係の本や写真集をたくさんもらったりもした。そんな方々の前で、いやー、おかげさまでありがたい賞を受賞できましたと、偉そうに挨拶させていただいた。恐縮でございます。そしてごちそうさまです。

それにしても高橋さん、また雪男探しに行くぞ! と気炎をあげられていた。いやはや、元気なことこの上ない。ご家族の苦労がしのばれます。

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