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【視点】反原発のコスト

2011年05月21日 14時40分51秒 | 社会・経済
ネコも杓子も反原発。特に3・11後に「転向」した知識人やタレントの胡散臭さといったら……。

将来的にクリーンな代替エネルギーが必要なことは誰もが認めることだろう。しかし、原子力発電に替わりうるものは未だ確立されてはいない。
様々な発電方法や蓄電の技術に対する研究は行われているが、実用レベルに達しているとは言い難い。今後可及的速やかに開発していくには今以上のお金が必要となる。もちろん、お金を掛けたからといってそうした研究が全て成功するというわけではない。
これまでの原子力関連の研究に使っていた予算を回せという意見もある。だが、すでにある原発を止めるのも決して容易ではなく、おそらくは縮小されるだろうが決しておろそかにしてはならないものだろう。

今、問題にすべきことは、原発推進か反原発かの二分論ではない。
電力の安定供給のために、どれくらいの安全性をもって原発を稼動させるかということを話し合わなければならない。

原発に限らず、100%の安全性というものは人の世には存在しない。限りなく安全性を高めていくには、当然その費用が掛かってくる。
一般に、99.8%から99.9%の安全性に高めるよりも、99.9998%から99.9999%の安全性に高める方が困難であり、お金も掛かることがほとんどだろう。

0.1%の安全性の向上よりも0.0001%の方がお金が掛かるとして、それは本当にお金を掛けるべきものかどうかは常に考えなければならないところだ。
お金は無尽蔵にあるものではない。そして、安全性の問題はいたるところに存在する。どの安全にどれだけのお金を掛けるのか。

例えば先日起きたクレーン車による児童6名が死亡した事故。現場にはガードレールがなかったが、もしあったならその命は助かったのではないか。もちろん、どこもかしこもガードレールを設置するというわけにはいかない。しかし、通学路などにはもっと設置してもいいのではと思うが、当然それにはお金の問題が絡んでくる。

先日、浜岡原発が菅首相の指示によって停止された。その際に、リスクのあり方について十分な説明がなされたとは思えない。世論に対するパフォーマンスにしか見えなかった。

浜岡原発を稼動し続けるリスクと停止するリスクを見合わせて十分に検討されたのか。
確かに東海地震は近い将来に発生するのは間違いないだろう。一方で、東海地震が発生したからといって必ず浜岡原発が福島第一原発のようになるわけではない。
今回の東日本大震災でも、福島第一原発より震源に近い女川原発は無事だった。
東海地震が発生し、なおかつ浜岡原発で大規模な事故が発生する確率がどれほどと想定したのか。

当然、浜岡原発を停止することで発生するリスクも存在する。関東・東北エリアがこの夏、電力供給で不安な状況である上に、中部エリア、関西エリアが供給の余裕がなくなってしまった。
大規模停電が万が一発生した場合、そのリスクは人命にも及びうる。大規模停電がなくとも、電力の使用を控えることで熱中症などの被害が増える可能性もある。
昨年は猛暑だったこともあり、7~9月間の死者は167人と発表されているが(搬送直後の死亡者数)、夏の暑さと共にこの数が増えないように祈るのみだ。

O-111による集団食中毒でも、リスクとコストのせめぎ合いがある。管理する国や地方自治体、営業する焼肉店や卸業者、利用した消費者、それぞれのレベルでそれは起きている。
管理を強化するにはお金が必要で、それは税金や価格として反映されていくことになる。焼肉店や卸業者もこうした事件が起これば倒産の危機であり、もちろんそこには糾弾されるべき甘さがあったとはいえ、リスクとコストのせめぎ合いの中でもたらされたものだ。
消費者は十分な情報を得られる立場とは言えず、決して自己責任などという状況ではなかった。自己防衛を求めるのは酷だが、安いものには危険が伴うと思うべきなのかもしれない。

技術革新によってならともかく、単に日本国内の電力需要を下げようとするのは、経済的にも生活的にも厳しいものとなる。昔は良かった式の意見もあるが、現在の生活環境ひとつとっても昔とは違って電力消費を前提としたものとなっている。機密性に富んだ住環境は冷暖房なしに夏冬を暮らせない。

どこの原発が危ないと煽るのではなく、どうすれば安全性が向上し、それにどれくらい費用が掛かるのかを説明するのがジャーナリズムの役割のはずだ。また、どの程度の安全性があれば稼動してもいいのかを説明するのが国や地方自治体、電力会社の役割となってくるだろう。
もちろん、その安全性にノーを言うこともできる。その地域の住民の意見としてならともかく、原発の電力の恩恵を受けている立場の者であれば、ノーと言う意見と共に、それに代わりうる意見を述べるのが筋だろう。
安全性の更なる向上のためにお金を掛けるのか、原発廃止のために何らかの施策を求めるのか。
叩きやすい東京電力を批判しているだけでは何も生み出しはしない。