東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

桃園川緑道源流遡行(1)

2023年01月31日 | 散策

年が明けた1月のちょっと曇りの日、桃園川緑道を源流に向けて歩いた。久しぶりの散策記。

かなり前であるが、桃園川緑道を阿佐谷駅近くの高架下の出発ゲートから下流に向けて神田川付近の終点まで何回か歩いた(次の記事)。

桃園川緑道
桃園川緑道2013(9月)

桃園川緑道ゲート 桃園川緑道沿革説明板 今回は、一枚目(2022年12月撮影)のゲートから反対側の上流側へ歩き、途中から緑道を水源まで歩き、さらにちょっと足をのばし千川用水跡を歩いた。

二枚目は、環七道路近く(西側)の桃園川緑道側に立っている沿革説明板で、桃園川と緑道の歴史が要領よくまとめられている。水源は天沼三丁目にかつてあった天沼弁天池である。この天沼弁天池の湧水量がわずかなため旧千川上水を練馬区関町から分水した青梅街道沿いの千川用水から桃園川に流れるようにしたが、これでも田植えのとき流域の馬橋、高円寺、中野周辺で水が不足したので、天保12年(1841)善福寺川から引水する新堀用水がつくられた。

かつての川の流れを知るには緑道になる前(暗渠化前)の地図を見る必要があるが、ちょっと調べると、昭和10年(1935)頃、12年(1937)、24年(1949)、37年(1962)の杉並区地図が比較的よく示していた。

昭和12年杉並区部分地図(2) 昭和12年杉並区部分地図(1) 昭和10年頃杉並区部分地図(2) 昭和10年頃杉並区部分地図(1) 昭和24年杉並区地図

 

 

 

 

(1)一枚目:昭和12年(1937)の杉並区地図で水源の天沼弁天池の周辺
(2)二枚目:一枚目(1)の下流側地図で桃園川が中央線を横切る付近まで
(3)三枚目:昭和10年(1935)頃の杉並区地図で水源の天沼弁天池の周辺
(4)四枚目:三枚目(3)の下流側地図で桃園川が中央線を横切る付近まで
(5)五枚目:昭和24年(1949)の杉並区地図

現在と過去の地図の比較、複数の過去の地図の比較のために、過去から現在まで位置が不変の建造物や神社などを基準にする必要があるが、(1)(3)の上流側では荻窪駅、青梅街道、天沼弁天池、天沼八幡神社、日本大学幼稚園などがある。(2)(4)の下流側では法仙寺、松山通り(現在の中杉通りと西側で並行している)、中央線、阿佐谷駅などがある。

一枚目(1)を見ると、荻窪駅近くの左下の青梅街道からの水路が北へ、東へと流れている。上側に天沼弁天池、八幡神社があるが、天沼弁天池からの水路は見えない。このあたりから桃園川であろうが、そのちょっと下流の幼稚園付近で支流1が分岐し、北へ、東へと流れている。さらに下流側の右上にもう1つの支流2があるが、どちらが本流で支流2なのかすぐにはわからない。

別の三枚目(3)を見ると、荻窪駅近くの青梅街道からの水路、支流1、支流2も一枚目(1)とほぼ同じで、本流と支流2の区別がつかない。

二枚目下流側(2)を見ると、法仙寺の上(北)の松山通りを3本の水路がほぼ同じ間隔で横切ってから、北東に流れ最北点に達すると、南東へと向きを変えている。上(北)から、支流1,本流、支流2とすると、本流は、中央線を斜めに横切って、東へと右端(東)の404と405の間を流れているので、これが桃園川本流である。支流1は、中央線のあたりでその上側近くを流れているようにも見えるが、ちょっと不明。支流2は、天祖神社のあたりで途切れている。

四枚目下流側(4)では、天祖神社のちょっと右(東)で本流と支流2が合流し、そのまま南東に流れ、中央線の北側で阿佐谷駅方面からの流れと合流してから、中央線を斜めに横切っている。

この地図(4)では、本流と支流2がどちらであっても矛盾しないように見えるのがちょっと不思議であるが、上記のように真ん中が本流であろう。支流1は、中央線の北側で途切れている。

五枚目(5)には下流側の上右の水路に「桃園川」とあり、この本流が上流側に中央線を横切る手前で西から北西へ向きを変え、そのまま延びてから、西向きになって、八幡神社、天沼弁天池の下(南)側を荻窪駅近くの青梅街道まで延びている。上記の支流1、2は見えない。

1962年杉並区地図 桃園川緑道地図(2) 桃園川緑道地図(1) 一枚目(6)は、1962年(昭和37年)の杉並区地図で、水路が荻窪駅近くの青梅街道から延び、上記の3つの地図(2)(4)(5)とほぼ同様にして中央線を斜めに横切っている。この地図では、青梅街道からちょっと入ったところで、北側からの流れが合流している。これは位置的には天沼弁天池からの水路で、これよりも古い上記地図(1)(3)(5)には示されていない。

二枚目上流側(7)、三枚目下流側(8)は、JR中央線高架下近くの緑道脇に設置されている緑道地図で、この辺りをかつて流れていた川・水路が詳しい。二枚目(7)では中央線の上側(北)で水源の弁天池から桃園川が南へ流れ、青梅街道沿いの千川用水からの流れと合流し、東向きになり、途中分流したのが上記の支流1であろう。しかし、この緑道地図は、中杉通り(後年できた道路であるが)の西(左)でさらに分流した上記の支流2がなく、三枚目(8)の中杉通りの東(右)に支流が見える。この支流と上記の支流2との関係は不明。

三枚目(8)は、とくにたくさんの水路を示しているが、過去に存在した水路をまとめたのか、かなり複雑である。それだけ歴史的にいろんな水路が必要に応じて作られたのであろう。

これらの水路の跡は、桃園川緑道やその北側のもう1つの緑道や所々に存在する車止めのある小路などに残っていて、これらを歩くと、かつて田畑を流れていた水路を想起でき、その開削工事を担った当時の農民の辛苦に思いをはせることができる。

桃園川源流遡行(1) 桃園川源流遡行(2) 桃園川源流遡行(3) 桃園川源流遡行(4) 桃園川源流遡行(5)

 

 

 


桃園川緑道は、高円寺や中野やその途中の公園などに行くのに利用するが、上流側には通しては歩いていない。上流側は、緑道になっていない(一般道)が、途中から水源まで緑道になっている。

下流側からアクセスし、一枚目のJR中央線の高架下近くの合唱するカエルの置物のあるゲートを背にして、いまはなき幻の源流・水源に向けて出発。

高架下を通り抜けると、右側が新装されたケヤキ公園で(二枚目)、この突き当たり左側は阿佐谷駅方面で、ここを地図(4)の阿佐谷駅方面からの水路が流れていた。突き当たり右側に手前と向こう側に車止めのある道が見えてくる(三枚目)。ここを通り抜け、その先に進むと、ちょっと曲がりうねっている(四枚目)。なにやらそのむかしの水路を想起させるようでうれしい。

途中の四差路で左折し、河北総合病院近くにある阿佐谷弁天社に寄る(五枚目)。この弁天社は地図(4)に見える。ここにかつて湧水池(弁天池)があったが、いまはない。弁天と水(池など)は関係が深い。

桃園川源流遡行(6)

桃園川源流遡行(7) 桃園川源流遡行(8) 桃園川源流遡行(9) 桃園川源流遡行(10)

 

 

 


元に戻り、さらに進むと、左に大きく曲がるところがあるが、まっすぐ先に車止めのある小路が見える(一枚目)。ここもかつての水路の跡で、昭和24年地図(5)に見える。

二枚目は、左折したちょっと先であるが、この辺もちょっとうねっている。 道なりに進むと、やがて中杉通りに至るが、この大きな道路でこれまでの道が分断される(現代地図)。ここから道路の向こう側を撮ったのが三枚目で、車止めのある小路が見える。

上記の各地図と対比すると、ケヤキ公園の側からここまでの一般道は、緑道でなくともかつての桃園川の川筋とかなりの部分で一致しているように思われる。

中杉通りを横断し、先ほど見えた車止めのある小路を撮ったのが四枚目、さらにその先を撮ったのが五枚目で、緑道風になっている。ここを直進する。

桃園川源流遡行(11) 桃園川源流遡行(12) 桃園川源流遡行(13) 桃園川源流遡行14) 桃園川源流遡行(15)

 

 

 


やがて阿佐谷駅北口近くから延びる松山通りが見えてくるが、その先に、背の低い石柱の車止めのある緑道が延びている(一枚目)。ここから緑道が本格的に始まる。二枚目はそのちょっと先で撮ったもので、同じような石柱が立っている。

この先を順に撮ったのが三~五枚目であるが、ほぼまっすぐに西へ延びている。

ところで、緑道とはなにを指すのか、いまさらという感じもするが、ちょっと調べたら次の説明があった(不動産用語集)。

『緑道【りょくどう】 車の通行を禁じ、歩行者または自転車専用とした空間を、一般的に緑道といいます。通常は、建築基準法上の道路ではなく、公園の一種です。その名の通り、樹木や季節の草花が植樹されたり、オブジェやベンチなどを設け、憩いの空間が演出されています。緑道の形状は様々で、車道脇の歩道としての機能を併せ持つもの、大規模タウンなどで公園や学校、駅などを結ぶもの、廃線跡や廃河川跡を再利用したもの、河川敷の長大なものなどがあります。』

この説明によれば、これまでの緑道歩きでイメージしていたものとほとんど変わらないが、公園の一種とのことで、なるほどと納得。その廃線跡というのにちょっと興味をそそられる。

ここは、緑道と喧伝されていないようであるが、車止めを設置し、歩行者専用となっているので、上記説明から緑道といってよい。住宅側の樹木や植え込みもあって緑が多くなっている。

桃園川源流遡行(16) 桃園川源流遡行(17) 桃園川源流遡行(18) 桃園川源流遡行(19) 桃園川源流遡行(20)

 

 

 


これまで緑道一本であったが、やがて一枚目のように、緑道が片側で一般道と並行するようになる。さらにその先で二枚目のように緑道が真ん中を通り両側に一般道ができていて、三枚目は、その途中を撮ったもので、緑道を含めた全体の道幅が広くなっている(現代地図)。

一般道と並行するところは、植え込みが多くなって緑道の雰囲気がよくでている。

真ん中の緑道が終わり、ふたたび四枚目のように緑道が片側で一般道と並行するが、この近くに日本大学幼稚園があるので、地図(1)(3)の本流と支流1との分岐点がこの近辺にあったと推定される。

やがてそれも終わり、五枚目のように、緑道一本に戻る。このあたりは、緑道の形態がかなり変化しているが、この変化がおもしろい。

桃園川源流遡行(21)

桃園川源流遡行(22) 桃園川源流遡行(23) 桃園川源流遡行(24) 桃園川源流遡行(25)

 

 

 

 

しばらく歩くと(一枚目)、二枚目のように、やがて青梅街道から延びる天沼八幡通りが見えるが、ここを右折すればちょっとで天沼八幡神社である。

緑道は、この通りを過ぎると、緑道と一般道がまた並行する。緑道をちょっと歩くと、三枚目のように、左側に天沼もえぎ公園の出入口があるが、その反対側に車止めのある小路が見える。ここが、上記の地図(6)(7)にある天沼弁天池からの流れが千川用水と合流する地点と推定される。地図(7)のように厳密にはこの小路を含めこの地点から下流側が桃園川であろう。

この小路の入り口を撮ったのが四枚目で、その先で撮ったのが五枚目で、正面上側に天沼弁天池公園内の樹木が見える。この小路は真っ直ぐでかなり短い。

桃園川源流遡行(26)

桃園川源流遡行(29)

桃園川源流遡行(27) 桃園川源流遡行(28) 天沼八幡神社

 

 

 


小路を通り抜けると、天沼弁天池公園であるが、正面公園内は工事中である。左折しちょっとすると、道そばに天沼弁天社の祠がある(一枚目)。かつて天沼弁天池に祭られていた。

二枚目は、天沼弁天池公園の門構えの出入口があるあたり(現代地図)、三、四枚目は、公園内を撮ったもので、ここに桃園川の源流である天沼弁天池があった。四枚目に写っている池は人工池でかつての弁天池ではない。

JR高架下のカエル合唱隊の置物のあるゲートから桃園川源流まで35分程度で意外と短かった。

五枚目(2022年12月撮影)は公園近くの天沼八幡神社であるが、昭和2年(1927)からこの辺に住んだ井伏鱒二(1898~1993)は「荻窪風土記」に次のようなことを書いている。

「荻窪の天沼八幡様前に、長谷川弥次郎という鳶(とび)の長老がいる。この人は荻窪の土地っ子で、敗戦の年まで天沼の地主宇田川さんの小作であったという。私は最近この人と知りあいになった。まだ深い附合はないが、噂に聞く通り正直一途の老人であるようだ。」

「弥次郎さんは昭和初期の頃まで、宇田川の荻窪田圃で稲をつくり、天沼の畑で大根野菜をつくっていた。稲は陸稲もつくり、後作に麦をつくったから忙しかった。大根野菜を出荷するときには、その前日、天沼八幡様前の小川(灌漑用の千川用水)で洗い、朝荷と言って夕方から積荷に取りかかり、真夜中に東京の朝市場へ向けて出かけて行く。」

その天沼八幡様前の小川は桃園川であるが、千川用水としている。水量としては青梅街道からの千川用水の方が天沼弁天池よりも多かったと思われ、千川用水の方が通りやすかったのだろう。このためか、桃園川全体を千川用水と呼ぶことがあった。これが上記の地図(1)(3)(5)で天沼弁天池からの水路を示していない理由だったかもしれない。

井伏は弁天池について「天沼八幡様の鳥居のわきにある弁天池のまわりを歩きまわった。一筋のきれいな水の用水川が流れ、それとは別に、どこからともなく湧き出る水で瓢箪池が出来ていた。こういう湧水地は、武蔵野のこの辺の至るところにある・・・」と書いているが、池がひょうたん形状であったことがわかる。その一筋のきれいな水の用水川が上記の小路を流れていたのだろう。
(続く)

参考文献
「杉並の川と橋」杉並区立郷土博物館研究紀要別冊 平成21年3月発行
最新杉並区明細地図 昭和12年 東京日日新聞発行
杉並区全図 昭和10年頃 内山模型製図社
改訂版東京都区分図杉並詳細図 昭和24年 日新出版 昭和27年9月発行
杉並区図1962年杉並区役所
本田創 編著「失われた川を歩く 東京「暗渠」散歩」(実業之日本社)
井伏鱒二「荻窪風土記」(新潮文庫)

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