東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

善光寺(青山)

2016年08月15日 | 散策

前回、表参道のネッコ坂からはじめて原宿・千駄ヶ谷の坂を巡ったが、その前に(2015年12月)、表参道・青山に出かけていたので、それを記事にする。

善光寺(青山) 善光寺(青山) 善光寺(青山)




午後地下鉄表参道駅下車。

出入口A3から出て、小路を北側にちょっと歩くと、善光寺が見えてくる。港区北青山三丁目5番(現代地図)。

言問通りが不忍通りの谷底を横切って東へ上ると上野台地の寛永寺の方にいたるが、この谷中の坂を善光寺坂という。その坂名は、この坂にあった善光寺に由来するが、江戸時代に移転しており、その移転先がここ(青山)である。

表参道の交差点近くであるが、そんなにうるさい感じはしないものの、往時からすれば、周囲の環境は激変しているのであろう。

東都青山絵図(安政四年(1857)) 御江戸大絵図(天保十四年(1843)) 江戸名所図会 青山善光寺 江戸名所図会 青山善光寺




一枚目の尾張屋清七板の東都青山絵図(安政四年(1857)には、百人町の通りにあり、門前町もできている。二枚目の御江戸大絵図(天保十四年(1843))にも見える。

三、四枚目は、江戸名所図会にある青山善光寺の挿絵(左右)である。門前の通りには、人々が行き交っているが、ここが百人町の通りであろう。門前町も見える。

本文の説明に、「南命山善光寺 同所百人町右側にあり。信州善光寺本願上人の宿院にして、浄土宗尼寺なり。」とあり、元禄元年の創建で、始めは谷中にあったが、元禄十六年(1703)十一月の大火で類焼したため宝永二年(1705)青山に移転し、いま谷中に善光寺坂と名がついているのは、その旧地のためで、その旧跡は今の玉林寺の地であるという、と解説がある。

火事や地震などのため寺が移転することはよくあることらしく、たとえば、関東大震災のあと杉並や世田谷には寺がかなり移転しているが、その先駆けであった。

同名の坂が小石川にある。

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
デジタル古地図シリーズ第二集【復刻】三都 江戸・京・大坂(人文社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「大江戸地図帳」(人文社)
「東京人 特集 東京は坂の町」④april 2007 no.238(都市出版)
「江戸名所図会(三)」(角川文庫)

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