東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

荷風と写真(4)

2019年05月25日 | 荷風

最新の写真機を手に入れた荷風は、昭和11年(1936)11月(荷風と写真(2) 荷風と写真(3))に続いて12月~昭和12年1月にも撮影に出かけている。

「十二月初二。快晴。微風南より来り暖気五六月の如し。去月半ごろより暖気連日かくの如し。正午日高氏来訪。二時過写真機を携へて中洲より亀戸に至り更に白髯橋に出づ。日漸く没す。墨堤を歩むも河風寒からず外套の重きを覚ゆるほどなり。銀座食堂に夕餉を食してかへる。」

昭和地図(昭和16年) この日(12月2日)、快晴で、午後二時過に写真機を持って中洲より亀戸に至り、さらに白髯橋(左の昭和16年地図の左上端)に出ると、陽がようやく沈んだ。墨堤を歩いても河風が寒くなく、外套が重く感ずるほどである。銀座食堂で夕食をとって帰った。

「十二月初五。快晴。風なし。午後庭に出で落ち葉を焚く。夜銀座より吉原に徃き仲之町を撮影してかへる。」

この日(12月5日)、快晴で、風がなかった。午後庭に出で落ち葉を焚いた。夜銀座より吉原に行き仲之町を撮影して帰った。

「十二月七日。快晴。午後土州橋の病院に徃き、それより葛西橋に至る。写真撮影二三葉なり。境川停車場より五ノ橋通にて電車を降り、三ノ輪行のバスに乗りかへ、寺島町二丁目に至り、それより曳舟通の岸を歩む。寺島警察署あり。水を隔てゝ林亭演藝館といふ幟を出したる寄席あり。中村播磨蔵市川某などの幟も立てられたり。迂回したる小径を歩み行く中玉の井四部の裏に出でたり。自働車にて銀座に出で夕餉を食してかへる。」

この日(12月7日)、快晴で、午後土州橋の病院に行き、そこから葛西橋に至り、写真を二三枚撮影した。境川停車場で電車に乗り五ノ橋通で降り、三ノ輪行のバスに乗り換え、寺島町二丁目に至り、そこから曳舟通の岸を歩くと、寺島警察署があった。自動車で銀座に出て夕食をして帰った。

「十二月九日。晴渡りて風なし。年末に至り新聞記者出版商人等の来訪するもの多からむことを虞れ、昼飯を食して後直に写真機を携へ亀戸に至り、大嶋町羅漢寺前大通を歩み、薄暮銀座に出で、不二氷菓店に飰して早く家にかへる。」

昭和16年城東区部分図 この日(12月9日)、晴れ渡り、風がなかった。年末になり、新聞記者や出版商人等の来訪が多くなることをおそれ、昼飯を食べてすぐに写真機を持ち亀戸に至り、大島町羅漢寺前大通(左の昭和16年地図の羅漢通)を歩み、夕暮れに銀座に出て、不二アイスで食して早く家に帰った。

「十二月十日。今日も好く晴れて風なく暖気春のごとし。午前読書春水人情本午後写真機を携へ浅草公園に行く。観音堂すぐ後方噴水の前方に書家百瀬元耕の碑蜀山人撰文の石あるに心づきたり。文化十二年の日附なり。噴水の後方に桜癡居士福地先生の碑芳川顕正撰文あり。いづれも今日まで心づかざりしものなり。晡時土州橋病院に立寄り注射八回目銀座に飰して帰る。」

この日(12月10日)もよく晴れて風がなく暖さが春のようであった。午前読書(春水人情本)で、午後に写真機を持ち浅草公園に行った。夕方に土州橋病院に立寄り、銀座で食して帰った。

「十二月廿六日。隂後に晴。午後散歩。晩間烏森に飰す。藝妓閨中の艶姿を写真に取ること七八葉なり。」

この日(12月26日)、曇りのち晴。午後に散歩し、暮れてから烏森で食した。芸姑の閨中の艶めかしい姿を写真に七八枚撮った。

この日の日乗は、字数が少ないが、これまでの風景と違って、芸姑の艶姿を撮影したことを記している。荷風の撮影対象が風景ばかりでなかったことがわかる。

「十二月三十日。晴。東北の風強し。午後土州橋の病院に徃き注射をなし、乗合バスにて小名木川に抵る。漫歩中川大橋をわたり、其あたりの風景を写真にうつす。小名木川くさやと云ふ汽舩乗場に十七八の田舎娘髪を桃われに結ひ盛装して桟橋に立ち舩[ふね]の来るを待つ。思ふに浦安辺の漁家の娘の東京に出で工場に雇はれたるが、親の病気を見舞はむとするにやあらむ。然らずば大島町あたりの貧家の娘の近在に行きて酌婦とならむとするなるべし。五ノ橋の大通に至りて乗合バスを待つに、若き職工風の男その妻らしき女に子を負はせ、二人とも大なる風呂敷包を携へ三輪行の車の来るを待つ。凡てこのあたりの街上のさま銀座とは異なりて何ともつかず物哀れにて情味深し。燈刻尾張町に至りさくら家にて広瀬女史に逢ふ。宮崎萬本の二氏来りたれば共に鳥屋喜仙に登りて夕餉を食す。帰宅の後春水の三日月お専をよむ。切店の光景を描写したる一章最妙なり。」

昭和16年日本橋区部分図 「放水路」小名木川 この日(12月30日)、晴れで、東北の風が強かった。午後土州橋の病院に行き注射をし、乗合バスにて小名木川に至った。ぶらぶらと歩き中川大橋をわたり、そのあたりの風景を写真にうつした。

荷風のかかりつけの病院が土州橋(一枚目の昭和16年地図参照)の近くにあり、日乗によく登場するが、この日は、病院の後、バスで小名木川(左の地図に中洲の対岸に河口がある)に出て、そこから中川大橋(現代地図)をわたった。

昭和13年(1938)発行の小説随筆集「おもかげ」に所収の随筆『放水路』に何枚かの写真が載っているが、二枚目はその内の小名木川の写真である。この日に撮ったものか不明だが、そのように想像することも一興である。

昭和12年(1937)
「正月八日。晴。午後土州橋に徃く。注射既に一回を余すのみなりといふ。銀座不二氷菓店に飰して再び街上に出れば燈火忽燦然たり。喫茶店さくら屋にていつもの諸子に逢ふ。帰宅の後始めて写真現像を試む。」

年が明けて1月8日、晴れ。午後土州橋の病院に行き、銀座の不二アイスで食した。帰宅の後始めて写真現像を試みたとあるのが目新しい。これまでは写真撮影のことを記すのみで、その後の写真の現像のことなどはなんの記述もなかった。荷風自ら現像を行ったこと(自家現像)にちょっと驚いてしまう。

「一月十五日。晴れて暖なれば写真機を提げ午後小塚原より京水バスに乗りて西新井橋に到る。中千住より橋南に至る新道路既に開通せり。路傍に榎の古木二三株残りたり。橋畔の堤上には蜜柑、川魚、自転車用品、古着等売るものあり。塩鮭の頭と骨とを売るもあり。忽にして日は晡ならむとす。帰路白髯橋をわたり玉の井に少憩して後、夕飯を銀座に喫し終れば夜は早くも初更に近し。さくら屋に立寄るに沢田秋庭二君の来るに会ふ。秋庭氏は二十余年前三田文学の寄稿家なりき。其後多摩河畔に花園をひらき専菊と桜草とをつくると云ふ。又沢田君のはなしに目下好評の活動写真桑港の震災なるものを見たりしに、人物の服装市街の光景悉く震災当時のものに非らず、皆現代の風俗なり。」

「放水路」西新井橋 この日(1月15日)、晴れて暖ったので写真機を持ち、午後、小塚原より京水バスに乗って西新井橋に行った。中千住より橋南に至る新道路がすでに開通していた。路傍に榎の古木が二三株残っていた。橋のたもとの堤上には蜜柑、川魚、自転車用品、古着等売るものがあった。塩鮭の頭と骨とを売るもあった。たちまち夕暮れになった。

左は、同じく『放水路』に載っている西新井橋の写真であるが、これもこの日に撮ったものか不明。

「一月十六日。晴天。朝の中電話の鳴ること二三回なり。家に在らば訪問記者に襲はるゝが如き心地したれば、昼飯を喫して直に写真機を提げて家を出づ。浅草に至るに土曜日と藪入を兼ねたる故にやおびたゞしき人出なり。堀切橋に至り堤防を歩む。微風嫋々たること春日の如し。綾瀬川の水門に夕陽を眺め、銀座に来りてさくらやに憩ふ。安藤歌川の二氏あり。倶に晩餐を不二あいすに喫す。この夜銀座街上酔漢多く、処処に嘔吐するものあり。十一時帰宅。枕上松亭金水作山々亭有人(ありんど)補綴(ほてい)の中本『三人娘手鞠唄』を読む。金水は元治甲子に没したるものゝ如し。芳年の挿絵あり。」

「放水路」堀切橋 この日(1月16日)、晴天。朝に電話が二三回鳴った。家にいると記者が訪ねてくるような気がしたので、昼飯を食べて直に写真機を持って家を出た。浅草に行くと土曜日と藪入が重なったためか多くの人出であった。堀切橋に行き堤防を歩いた。微風がそよそよと吹き春の日のようであった。綾瀬川の水門に夕陽を眺めてから、銀座に来てさくらやで憩った。

左は、『放水路』の堀切橋の写真であるが、これもこの日に撮ったものか不明。

「一月廿一日。同雲暗淡たり。午後執筆。燈刻W生の電話にうながされ、雨中尾張町富士あいす店に徃き、共に晩餐を喫して後玉の井に遊ぶ。奇事あり。十一時過車にてかへる。家に至らんとするころ雨は雪となれり。写真を現像して暁二時に至る。」

この日(1月21日)、灯りを点すころW生の電話でうながされて雨の中尾張町の不二アイスで晩餐をとった後玉の井で遊んだ。奇事があった。11時過ぎ車で帰った。家に着く頃雨が雪になった。写真を現像すると午前2時になった。

昭和12年(1937)になると、荷風は自家現像をはじめているが、当時、カメラを趣味とする人はきわめて少なく、写真現像をサービスする現像店はまだなかったのであろう(参考記事)。

参考文献
「新版 断腸亭日乗」(岩波書店)
秋庭太郎「考証 永井荷風(下)」(岩波現代文庫)
永井荷風「おもかげ(復刻版)」(岩波書店)
「古地図・現代図で歩く戦前昭和東京散歩」(人文社)

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