東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

荷風と写真(5)

2019年06月27日 | 荷風

荷風は、昭和12年(1937)2月、前年10月に購入したばかりなのに新しいカメラを購入した。

「二月一日。隂。午後丸の内に用事あり。又空庵子を築地に訪ふ。名塩君周旋のカメラを購ふ参百拾円也 晡下玉の井に徃き一部伊藤方を訪ふ。帰途雨雪こもごも至る。  [欄外朱書き]旧十二月廿日」

秋庭太郎 考証永井荷風(下)カバー 秋庭太郎 考証永井荷風(下)カバー この日(2月1日)、荷風は、名塩の斡旋により、カメラを購入した。丸の内の用事とは、この代金を銀行から引き出すことであったのかもしれない。名塩とは、非売品の私家版「濹東綺譚」の印刷所である京屋印刷の主人名塩武富である。

このカメラは、前年10月に購入したローライコードよりも高級機のローライフレックスであった(以前の記事)。価格は前回の三倍の310円であった。現在の貨幣価値に換算すると、約80万円程度で、かなりの高額であるが、いまでもライカなどにはこの程度に高価な機種がある。

秋庭は、ローライコードを買って間もないのに、新しく高級機を購入したのは、前回のカメラでは室内や夜間撮影が能くし得なかったからであるとしている。前回の記事のように、この年(1937)1月荷風自らが写真の現像をはじめているが、前年12月5日の吉原仲之町の夜間撮影や12月26日の芸姑の室内撮影などの現像結果がおもわしくなかったのであろうか。

「濹東綺譚の汽車・煙草・本」 佐々木桔梗は、「私家版「濹東綺譚」の寫眞機」で、前回の記事にある、1月21日の日乗の「玉の井に遊ぶ。奇事あり。」、帰宅後の「写真を現像して暁二時に至る。」の記述から、室内で「奇事あり」の撮影をし、その写真を現像したが露出不足かピンボケなどでよくない結果であったと推量し、一台目のローライコードの性能に見切りをつけ、その後、すぐ、「キュウペル」あたりの常連に相談し、明るいレンズの二台目のカメラを入手したとしている。

ところで、荷風が相次いで入手した二台のカメラの機種について日乗には記述がないが、前述のとおりであることは秋庭太郎「考証 荷風荷風(下)」による。しかし、それ以上の具体的説明はない。これについては上記佐々木桔梗の著書が詳しい。

同著によれば、当時ローライコードと名のつくものは四種類、ローライフレックスは細分すると計七種類あって、単にローライコード、ローライフレックスでは意味をなさないとし、当時のカメラ店カタログに記載の価格と荷風の購入額との比較などから荷風の購入した具体的機種を次のように推定している。

一台目が「ローライコード」I型(通称金ピカ)ツアイス・トリオターF4.5(75ミリ)新コンパー付で程度のよい中古品。

二台目が「ローライフレックス」スタンダード型カールツアイス・テッサーF3.5(75ミリ)新ラピッドコンパー付で新品同様の中古品。

二台目は、他にF3.8やF4.5のものもあったが、もっとも明るいレンズの付いた機種を選んだはずとしている。当時荷風は室内撮影を目論んでいたことを考えると、妥当な見方である。

参考文献
「新版 断腸亭日乗」(岩波書店)
秋庭太郎「考証 永井荷風(下)」(岩波現代文庫)
川本三郎「荷風と東京『断腸亭日乗』私註」(都市出版)
佐々木桔梗「私家版「濹東綺譚」の寫眞機」(プレス・ビブリオマーヌ)

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