東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

荷風と写真(2)

2019年02月14日 | 荷風

荷風は、11月になると、さっそく、前回の記事のように入手した写真機(ローライコード)を持ってあちこち撮影に出かけている。

断腸亭日乗を見ると、まず、昭和11年(1936)11月9日に次の記述がある。

「十一月九日。小春の天気限り無く好し。晏起。執筆二三葉。日は忽午なり。写真機を携へ玉の井に赴けば三時に近し。一部に属する路地に入り鎌田花といふ表札出したる家を訪ひ、二階の物干より路地を撮影すること五六回なり。然れども老眼甚機械の目盛を見るに便ならず、果して能く撮影することを得たるや否や。四時過路地を出で、東武線玉之井駅西側なる某氏の廃園の垣に沿ひて歩む。垣の破れ目より庭を窺ふに大なる池あり。蘆荻の葉は枯れ楓樹半ば紅となりたれど見る人もなく、林下の四阿は其屋根も破れ傾きたるさま廃趣言ひ難し。破垣の間に山茶花咲出でたるさま亦捨てがたき眺めなり。門には表札なく傍なる巡査派出所も朽廃するに任かせたり。歩むこと一二町、曹洞宗法泉寺の門前に至る。寺の生垣見事なり。老僧墓地の落葉を掃き居たり。又歩むこと一町ばかり、白髯明神の祠後に出づ。鳥居をくゞり外祖父毅堂先生の碑を見る。大正二三年の頃写真機を弄びし時この碑及び白髯の木橋を撮影せし事ありき。其図今猶家に蔵せり。地蔵阪に至り京成バスの来るを待つ間新に建てられし地蔵尊の碑を見る。浅草雷門に至れば燈火忽燦爛[さんらん]たり。銀座食堂に入りて夕飯を食す。栄螺子の壷焼味佳し。茶店久辺留に立寄りしが千香女史来るのみなれば十時頃出でてかへる。燈下また草稿をつくる。

この上のない好い小春日和で、遅く起き、原稿を二三枚書くと、もう昼であった。写真機を持って玉の井に行くと三時に近かった。一部に属する路地に入り鎌田花という表札を出した家を訪ね、二階の物干より路地を五六回撮影した。しかし老眼のため写真機の目盛を見るのが不便で、はたしてちゃんと撮影できたかどうか心配である。

写真撮影まで流れるような記述で、新しく入手した最新の写真機を持っての外出にちょっと興奮しているように思えてくるが、これは、新しいカメラやレンズを持って撮影に出かけるときに現代の写真愛好家も感じるであろうわくわく感と同じである。老眼云々の心配もそんな気分から来ているようにも思われてくる。

最初の撮影地を玉の井にしたことは、「濹東綺譚」の原稿をちょうど書き終えたときだったことと無関係ではない。荷風は、このちょっと後に「濹東綺譚」の掲載先を朝日新聞に決めているが、それとは別に、私家版の出版も企て、それに玉の井の写真を掲載するつもりだったようである。 

荷風写真 玉の井小路 左の写真は、荷風撮影とされる「ぬけられます」とある玉の井の路地を写したもので、この日に撮影したのではないかと推定されているが、「ぬけられます」にちゃんとピントが合っている。ここは「濹東綺譚」にある次の部分から有名になっている。

「わたくしは脚下の暗くなるまで石の上に腰をかけていたが、土手下の窓々にも灯がついて、むさくるしい二階の内がすっかり見下されるようになったので、草の間に残った人の足跡を辿って土手を降りた。すると意外にも、其処はもう玉の井の盛場を斜に貫く繁華な横町の半程で、ごたごた建て連った商店の間の路地口には「ぬけられます」とか、「安全通路」とか、「京成バス近道」とか、或は「オトメ街」或は「賑本通」など書いた灯がついている。」

荷風筆玉の井画賛 左の二枚目は、荷風作の「ぬけられます」の灯影を描いた絵で、「里の名を人の問ひなば白露の玉の井ふかき底といはまし」という画賛がある。この「ぬけられます」とある光景は、荷風に大きな印象を残したようで、「濹東綺譚」の上述の描写や上記自賛のある絵につながっている。

荷風は、この後、廃園の垣に沿って歩き、破れて傾いた屋根に廃趣を感じ、破垣の間に山茶花が咲いた様子も捨てがたいとしている。次に、曹洞宗法泉寺の門前に至るが、寺の生垣が見事で、老僧が墓地の落葉を掃いていた。さらに、白髯明神の祠後に出て、鳥居をくゞり外祖父毅堂先生の碑を見た(白鬚神社と荷風)。大正二三年の頃写真機を持ってこの碑や白髯の木橋を撮影したことがあるが、その写真はまだ家に所蔵している。地蔵坂に至り京成バスを待つ間に新しく建てられた地蔵尊の碑を見た(東向島の地蔵坂)。

この日はいつもと違って、玉の井からはじめてその付近をかなり歩き回り、日乗の記述もちょっと増えている。このあたりにも荷風のこの日の高揚感が現れている。白鬚神社に至り外祖父毅堂の碑を見て大正二三年(1913~4)の頃の写真撮影を思い出している。

参考文献
「新版 断腸亭日乗」(岩波書店)
秋庭太郎「考証 永井荷風(下)」(岩波現代文庫)

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