東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

関東大震災と荷風(1)

2010年04月16日 | 荷風

大正12年(1923)9月1日関東地方は大地震が発生して大きな災害に見舞われた。いわゆる関東大震災である。

永井荷風は当日の「断腸亭日乗」に次のように記している。

大正12年九月朔「コツ爽雨歇みしが風猶烈し。空折々掻曇りて細雨烟の来るが如し。日将に午ならむとする時天地忽鳴動す。予書架の下に座し嚶鳴館遺草を読みゐたりしが、架上の書帙頭上に落来たるに驚き、立つて窗を開く。門外塵烟濛々殆咫尺を辨せず。児女鷄犬の声頻なり。塵烟は門外人家の瓦の雨下したるが為なり。予も亦徐に逃走の準備をなす。時に大地再び震動す。書巻を手にせしまま表の戸を排いて庭に出でたり。数分間にしてまた震動す。身体の動揺さながら舩上に立つが如し。門に倚りておそるおそる吾家を顧るに、屋瓦少しく滑りしのみにて窗の扉も落ちず。稍安堵の思をなす。昼餉をなさむとて表通なる山形ホテルに至るに、食堂の壁落ちたりとて食卓を道路の上に移し二三の外客椅子に坐したり。食後家に帰りしが震動歇まざるを以て内に入ること能はず。庭上に坐して唯戦々兢々たるのみ。物凄く曇りたる空は夕に至り次第に晴れ、半輪の月出でたり。ホテルにて夕餉をなし、愛宕山に登り市中の火を観望す。十時過江戸見阪を上り家に帰らむとするに、赤阪溜池の火は既に葵橋に及べり。河原崎長十郎一家来りて予の家に露宿す。葵橋の火は霊南阪を上り、大村伯爵家の鄰地にて熄む。吾廬を去ること僅に一町ほどなり。」

「日乗」による地震の記録は次の如くである。
ちょうど昼になろうとしたとき大地が鳴動した。本棚の下に座り嚶鳴館遺草を読んでいたが、本棚から本が頭上に落ち、驚いて窓を開くと、つちぼこりがいっぱいでなにも見えない。女子・鷄・犬の声がひっきりなしに聞こえる。つちぼこりはよその家の瓦が落ちたためである。逃げる準備をする。この時大地が再び揺れた。書巻を手にしたまま表の戸を開いて庭に出る。数分間にしてまた揺れた。船に立っているように揺れる。おそるおそるわが家をかえり見ると、屋根の瓦が少し滑っただけで窓の扉も落ちておらず、ひとまず安心する。

「日乗」によれば、短い時間内に3回大きな地震が起きたことがわかる。
①日将に午ならむとする時天地忽鳴動す。
②時に大地再び震動す。
③数分間にしてまた震動す。

関東大震災を引き起こした関東地震は、実際のところどうだったのであろうか。関東大震災の研究が進んでいるようであり、次の本があったので読んでみた。

 
武村雅之「関東大震災」(鹿島出版会) 
 副題が「大東京圏の揺れを知る」である。

筆者は、全国各地の地震計の記録や様々な人々の体験談などに基づいて関東地震の分析を行っている。

それによると、東京での最初の揺れ(本震)は11時58分44秒つまり59分頃から始まり30~40秒続いた。二回目の揺れは12時1分頃、三回目の揺れは12時3分頃であった。

荷風の「日乗」にある揺れ①~③は、本震、二回目、三回目の揺れに対応しており、本書の分析とあっている。二回目、三回目の揺れは余震であるという。

東京の地震計は本震直後に振り切れており、5分間の揺れの記録がなかったが、著者が調べたところ、岐阜測候所の記録が本震直後の二つの余震を完全に記録していた。これによると、時間差で、二回目は本震の3分後、三回目は本震の4分半後であった。

分析では二回目と三回目との時間間隔は1分半であり、荷風が三回目の揺れを「数分間にしてまた震動す」としているところが興味深い。本震・二回目の揺れが少し収まったころに三回目がきたため本震と二回目との間隔(3分)よりも長く感じたのであろうか。

関東地震のマグニュチュード(M)は、従来、7.9とされていたが、著者による再評価の結果、8.1±0.2(7.9~8.3)であり、従来説は低めであった。

上記のように、本震直後の二回目、三回目の揺れは余震であるが、これらを含めて関東地震には六大余震が記録されている。

下の図は本震の震源断層で大きく滑った部分(斜線で示す)と六大余震の震源位置の関係を示す図(同書の図18)である。

余震A1~A6の発生時刻、震源、マグニュチュード(M)は次のとおり(同書83頁表9)。
A1:23年9月1日12時01分東京湾北部M=7.2
A2:23年9月1日12時03分山梨県東部M=7.3
A3:23年9月1日12時48分東京湾M=7.1
A4:23年9月2日11時46分千葉県勝浦沖M=7.6
A5:23年9月2日18時27分千葉県九十九里沖M=7.1
A6:24年1月15日05時50分丹沢山塊M=7.3

同書によると、▲は本震の震央位置で、小田原の北、松田付近に対応し、ここの地下約25kmで断層すべりが始まり(11時58分32秒)、3~5秒後に小田原付近で第1の大きなすべりに拡大し、その後10~15秒後に三浦半島付近で第2の大きなすべりを発生させた。

六大余震A1~A6の震源位置は、図のように本震で大きくすべった領域を取り囲むように分布しており、著者は、本震の断層面上ですべり残ったところが余震としてすべったのであろう、としている。

関東地震は、最近100年間に太平洋プレートとフィリピン海プレートの潜り込みに伴い日本列島を載せた陸側のプレートとの境界で発生したM8クラスの地震の中では、断層面の広さやすべりの大きさなど、決して最大規模のものではなく、むしろやや小さめの地震であるが、M7クラスの余震が六回も起きており、余震活動は超一級であるという。このため、本震は一級、余震は超一級とされている。
(続く)

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