東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

富士見坂(本郷二丁目)

2012年12月27日 | 坂道

富士見坂下 富士見坂下からお茶の水坂上 富士見坂下 小石川谷中本郷絵図(文久元年(1861)) 前回の建部坂上をちょっと進んで右折し、東へ歩き、次の四差路を右折すると、富士見坂の坂上である(街角地図参照)。

坂下から写真を並べると、一枚目は坂下の外堀通りの歩道から坂上を、二枚目はそこから左側の外堀通りのお茶の水坂の坂上を撮ったものである。三枚目は、坂下のちょっと先から坂上を撮ったものである。

外堀通りからまっすぐに北へ上る坂で、かなり緩やかである。本郷二丁目2番と3番の間で、建部坂の東に平行に延び、このさらに東に油坂があるので、両坂の中間に位置する。坂上が建部坂と同じく本郷台地である。

下四枚目の尾張屋板江戸切絵図 小石川谷中本郷絵図(文久元年(1861))の部分図(右斜め上が北)にも建部坂の東にこの坂が見えるが、坂名はない。近江屋板(嘉永三年(1850))にも同じ道があるが、坂名も坂マークもない。

富士見坂中腹 富士見坂中腹 富士見坂中腹 富士見坂中腹 一枚目の写真は、坂下からちょっと上ったところから坂上を、二枚目はそのあたりから坂下を撮ったものである。三枚目は、さらにちょっと上り坂上を、四枚目は、そのちょっと先から坂下を撮ったものである。

この坂は、となりの建部坂と同じく平凡な小坂で、建部坂よりも勾配がない。坂下がお茶の水坂の坂上のため高低差がないからであろう。

この坂にはいつもの標識はないが、街角地図に坂名が表示されている。

この坂は江戸時代の記録にはないようであるが、『新撰東京名所図会』に次のように記してある(石川、岡崎)。

「富士見坂 油坂の北にありて東に上るを富士見坂といふ。富士山の眺望に適す。」

この坂から富士山は西南の方向であるので、この方向の神田川の向こうに富士が見えたのであろう。『新撰東京名所図会』で「油坂の北」「東に上る」というのがちょっと不明で、油坂の西、北に上る、となるはずであるが。

旧元町一丁目標識 富士見坂上 富士見坂上 富士見坂上 一枚目の写真は、坂上近くに貼り付けてあった旧町名の標識であるが、このあたりは元町一丁目といった。近江屋板(嘉永三年(1850))にもこの近くに元町とある。

二枚目は坂上近くから坂下を、三枚目はそのあたりから坂上を、四枚目は坂上交差点の北側から坂下を撮ったものである。(三枚目の交差点を左折すると、建部坂上で、右折すると、これから行く油坂上である。)

「富士見坂」という坂は、都内にたくさんあるが、ここはすっかりビルに囲まれ、おまけに小坂のせいもあって、かつて富士が見えたということが信じられないほどである(もっとも他の坂も大同小異で、富士が見えない富士見坂がほとんどであるが)。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
デジタル古地図シリーズ第二集【復刻】三都 江戸・京・大坂(人文社)
「東京人 特集 東京は坂の町」④april 2007 no.238(都市出版)
「古地図・現代図で歩く明治大正東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く戦前昭和東京散歩」(人文社)
「江戸から東京へ 明治の東京」(人文社)
「大日本地誌大系御府内備考 第二巻」(雄山閣)

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