東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

神明坂(駒込)

2012年08月21日 | 坂道

今回は、といっても先月の梅雨明け前だが、駒込の神明坂から、稲荷坂、動坂を経由して田端の与楽寺坂方面まで歩いた。

神明坂上 神明坂上 神明坂上 神明坂上 午後山手線駒込駅下車。

南口から本郷通りの歩道に出て左折し南へ歩く。ちょっとすると、右手に六義園の入り口が見えてくる。そのまましばらく歩くと、不忍通りとの交差点に至るが、ここを左折する。次の信号の所でちょっと右に曲がっているが、その先が神明坂の坂上で、坂下が見えてくる。

一枚目の写真は、信号を超えてふり返って坂上側を撮ったもので、二枚目は坂下側を撮ったものである。このあたりはまだ緩やかである。

この坂は、不忍通りにあり、本郷通りとの交差点(上富士前)から東へ延びる途中にある。

三枚目はちょっと進んで坂下側を撮ったもので、四枚目はさらに進んで交差点から坂上側を撮ったものである。このあたりからちょっと急になっている。

神明坂中腹 神明坂中腹 神明坂中腹 神明坂中腹 一、三枚目の写真のように、中腹の信号(二、四枚目の写真)のあたりからちょっと勾配がついてまっすぐに下っている。

坂上は本郷台地の東端(の一部)に位置し、西から東へ向けて下っている。坂下のずっと先で右にやや曲がって東南方向へ進み、動坂下に至り、根津谷へつながっている。動坂下は藍染川の上流であった。

不忍通りには、西からこの坂に至るまで坂がたくさんあり、目白通りから出発して、清戸坂を下り、その坂下の護国寺前を通って、富士見坂に上り、その先、白鷺坂を下り、さらに、猫又坂を上り、そのずっと先に、この坂がある。猫又坂からこの坂までが本郷台地で、不忍通りはこの間で台地を東西に横切っている。

明治地図(明治四十年)を見ると、まだこの坂のある通りはないが、戦前の昭和地図(昭和十六年)にあるので、この間にできた比較的新しい坂である(道路の開設は大正11年(1922))。このためか、横関、石川にはないが、岡崎、山野、「東京23区の坂道」に紹介されている。

神明坂下 神明坂下 神明坂下 東都駒込辺絵図(安政四年(1857)) 一~三枚目の写真は、坂下から坂上側を撮ったもので、中腹の信号のところから比較的短い距離で急に下っていることがわかる。坂下は、根津谷の北端近辺と思われる。

坂中腹の民家の壁にはりつけてあった旧町名案内(上三枚目の写真に小さく写っている)によれば、このあたりの昭和四十一年までの旧町名は、旧駒込神明町で、駒込の総鎮守天祖神社の旧称神明社のあることから名付けられたという。坂名も、これに由来するのであろう。

四枚目は、尾張屋板江戸切絵図 東都駒込辺絵図(安政四年(1857))の部分図であるが、右から吉祥寺、富士神社が見え、その左側が現在の上富士前の交差点付近であるが、この坂に相当する道筋はない。ほぼ中央上側に神明宮があり、これが天祖神社(神明社)で、その上に動坂が見える。近江屋板でもほぼ同様である。

同名の坂が港区三田にある。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
「東京人 特集 東京は坂の町」④april 2007 no.238(都市出版)
「古地図・現代図で歩く明治大正東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く戦前昭和東京散歩」(人文社)

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