東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

荷風生家跡~断腸亭跡~偏奇館跡(6)

2012年01月19日 | 坂道

前回の三分坂から南部坂経由で偏奇館跡を目指し、まず、氷川神社に向かう。ここからは一本道のようであるが、付近の地図を見ると、たとえば、六本木通りを横断してから赤坂一丁目に行き、榎坂を上り、霊南坂を上るか、または、潮見坂を下り江戸見坂を上るコースなどがある。しかし、できるだけ裏道を歩くという原則と私的な好みからいうと、やはり南部坂→道源寺坂のルートは外せない。

尾張屋板江戸切絵図(今井谷六本木赤坂絵図) 本氷川坂下 本氷川坂上 氷川坂上 三分坂下を左折し、次の赤坂通りを横断し、南へ進み二本目を左折し、次を右折すると、本氷川坂の坂下である。ちょっと中に入ったところに、二枚目の写真のように標柱が立っている。この坂は、坂下からかなり屈曲しながら上っており、標柱の先で左折し、次の角を左折し、次を右折すると、かなり急な上りとなって、やや左に曲がり緩やかになってから、坂上に至る。三枚目の写真は坂上から下側を撮ったものである。

坂上から氷川神社の境内を通って反対側の氷川坂に出る。四枚目の写真は坂上まで上って坂下を撮ったものである。

一枚目は、尾張屋板江戸切絵図(今井谷六本木赤坂絵図(文久元年(1861))の部分図であるが、氷川明神の右側(北)に盛徳寺のわきを何回か曲がりながら続く道があるが、これが本氷川坂であろう。坂下に勝麟太郎(海舟)の屋敷が見える。反対側(東)にある道が氷川坂と思われる。

氷川坂下 転坂下 転坂上 福吉坂下 まっすぐな氷川坂を下って、坂上側を撮ったのが一枚目の写真である。二本目を右折すると、二枚目の写真のように転坂の坂下である。まっすぐに上っている。左側のマンションの前に植え込みのスペースなどがあるため左側が広々として、このへんにしてはめずらしく広く感じる坂である。三枚目は坂上から撮ったものである。

坂上を右折して直進すると、南部坂であるが、コンビニに行きたかったので、直進する。しばらく歩いてもなく、氷川公園の先を進むとようやく見つかったが、ここで思わぬ坂に遭遇した。コンビニから出ると、通りの向こう側のビルの間に階段坂が見えたのであるが、これが四枚目の写真の福吉坂である。狭いところでまっすぐに上り、途中何箇所か踊り場がある。

階段を上ると、下一枚目の写真のように上側が見えるが、その左の壁に、赤坂福吉町会・福吉坂改修実行委員会による「福吉坂石段の改修工事について」(平成九年三月)という改修工事のことを記したパネルが張り付けてあるので、ここが福吉坂であることがわかる。

この坂は、山野などには紹介されていないが、「東京23区の坂道」にある。これまでこの近くに何回か来たとき、行ってみようと思ってもつい訪れずにいた坂である。ここには、上記の現代地図をよく見ると、階段マークがある。このへんの旧町名が福吉町であったので、坂名はそれに由来するのであろうが、いつごろできたのか不明である。

福吉坂上側 南部坂上 南部坂下石標 南部坂下 福吉坂上から転坂上までもどり、ここから南部坂に向かう。しばらく南へ歩くと、二枚目の写真のように、坂上である。緩やかに下る狭い坂道と、右側の石垣が風情のある雰囲気をつくっている。人もめったに通らず、これぞ裏道といった感じで好ましい。

三枚目の写真は、坂上から下って右に曲がった先の自販機のそばにある南部坂と刻まれた石標で、坂名のわきに、昭和四十五年十一月八日、下に、永富太道建立、と刻まれている(「東京23区の坂道」参照)。

四枚目の写真は坂下から撮ったもので、上側で左に曲がっている。

尾張屋板を見ると、氷川明神の右上(東)に南部坂と多数の横棒による坂マークがある。坂下は麻布谷町である。このあたりは赤坂・麻布台地とよばれるようであるが、南部坂のあたりが赤坂台地の東端(の一部)で、谷町を挟んで向こう側が麻布台地といってよい感じである。

道源寺坂下 道源寺 道源寺坂上 偏奇館跡 南部坂下から六本木通りの歩道に出て、近くの歩道橋で東へ六本木一丁目側に渡るが、この歩道橋は、六本木通りとそこから枝分かれした広い通りを跨いでいるのでかなり長い。六本木一丁目駅の出入口側に降りて、細い道をちょっと進むと、一枚目の写真のように、標柱と、その向こうに道源寺坂が見えてくる。坂下の右側で工事が続いている。

坂を上ると、二枚目の写真のように、新築された道源寺の本堂が見えてくるが、ちょうど一年前、古い本堂が撤去された後に来て、寺そのものがなくなってしまうのではと心配したが、その後新築の工事であることがわかり安心したことを思い出す。

三枚目の写真の坂上を通って、次を右折して南へちょっと歩くと、右手に偏奇館跡の記念碑が立っている。ここがきょうの最終目的地である。四枚目の写真は進んできた歩道をふり返って撮ったものである。このあたりのことはこれまで何回か記事にしている。

尾張屋板には、麻布谷町からまっすぐに延びる道に面して西光寺と道源寺があるが、この道が道源寺坂であろう。いまでは高層ビルに囲まれた坂道で、めったに人も通らない裏道であるが、江戸から続く名坂である。永井荷風も通った坂で、その断腸亭日乗にたびたび登場する(以前の記事参照)。

御組坂下 御組坂上 スペイン大使館わきの道 道源寺坂上からの風景 偏奇館跡からちょっと進んで、次を左折すると、一枚目の写真のように、御組坂の坂下である。いまでは坂下になっているが、いまのように再開発される前までは坂はずっと下の方に続いており、このあたりは坂の上側といった位置であった。二枚目の写真は坂上から撮ったものであるが、坂の左側も工事がはじまっていて、以前に来たときからさらに変貌しようとしている。このあたりは過去の姿がほとんど消えてしまっている。

坂上を左折し、次を左折し、三枚目の写真のように、スペイン大使館わきの小路を西へ進むが、その先は道源寺坂上で、ここから坂上へもどる。

坂上の近くにある公園に行き、ベンチに座るが、ここで、ようやくきょうの坂巡りが終了した気分となる。先ほどの福吉坂近くのコンビニで買った缶ビールでささやかな乾杯をする。坂上近くから撮った四枚目の写真のように、暮れかかってきたが、北側の空を見上げると、まだ青い。

ここから道源寺坂を下って六本木一丁目駅へ。

出発の礫川公園から道源寺坂上近くの公園まで携帯による総歩行距離は19.3km(安養寺坂下から11.0km)で、所要時間は、昼食休憩25分を含めて、4時間20分である。

通常よりもやや長い坂巡りであったが、金剛寺坂近くの無名坂から赤城坂までの平坦な道、朝日坂から宝竜寺坂までの裏道、銀杏坂から断腸亭跡までの小路など、いつもの坂巡りでは通らない道を歩くことができ、なかなかおもしろい体験であった。これまで訪れたことのある坂がほとんどであったが、そのときと逆方向からアクセスした坂もかなりあり、そのようなことだけでまたひと味違う新鮮な感じがした。

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
東京人「東京は坂の町」april 2007 no.238

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