東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

道源寺坂(1)

2010年07月21日 | 坂道

道源寺坂は、わたしにとって荷風散策と分かちがたく結びついている。この辺りを初めて訪れたとき、まずこの坂を上ったからである(「荷風散策事始め」参照)。

この坂への近道は、地下鉄六本木一丁目駅の改札をでて、3番出口から地上にでるとよい。出口を直進し、道路を右折して進むと、西光寺があり、道源寺坂の坂下である。そこに標柱が立っている。

左の写真(2010年1月撮影)のように、標柱の後ろの蔦の絡む塀に沿って道源寺坂の上りが見える。

東京メトロの六本木一丁目駅の出入口案内図で3をクリックすると、出口付近のパノラマ写真がでるが、その中に道源寺坂方面もでてきて、西光寺の門と標柱が見える。

左の写真は、坂の途中にある大木のわきから坂上を撮ったものである(2008年年末撮影)。

左に見えるのが道源寺の門である。

道源寺坂は、大木のある坂の途中までは、二度ほど緩やかにうねっているが、大木の上からはほぼまっすぐに上っている。

坂上左側にも標柱が立っているが、そこを右に進むと、ちょっと広めの道路がある。ここを進み、突き当たりの階段を下りると六本木一丁目駅の改札の方に至る。突き当たりの手前、左側に古くからと思われる奥ゆかしい民家があり、その後方にアパートらしき建物が建っている。この二軒がこの辺一帯の再開発前の姿を残すものと思われる。

荷風の「断腸亭日乗」大正12年11月11日に次の記述がある。

「十一月十一日。吾家の門前より崖づたいに谷町に至る阪上に道源寺という浄土宗の小寺あり。朝谷町に煙草買ひに行く時、寺僧人足を雇ひ墓地の石垣の崩れたるを修復せしめ居たり。石垣の上には寒竹猗々として繁茂せるを、惜し気なく掘捨て地ならしをなす。予通りかがりに之を見、住職に請ひ人足には銭を与えて、其の一叢を我庭に移し植えさせたり。寒竹は立冬の頃筍を生ずるものにて、其の頃に植れば枯れざる由。曾て種樹家より聞きしことあり。・・・」

上記のように偏奇館から崖づたいに道源寺坂の坂上に至ることができたが、その道の一部が現在の拡幅された道路と思われる。偏奇館跡が跡形もなくなっている現在、改修されたとはいえ荷風が頻繁に通った道と思うと感慨無量である。

裏側に大きな通りができているため、道源寺坂は人通りが少なく、また、訪れる人も少ないようでひっそりとした感じになっている。

西光寺、道源寺、道源寺坂がかろうじてかつての名残りをとどめているように思えるが、このままそっとしておいてほしい。変わらずに残ってほしいと思う。
(続く)

参考文献
永井荷風「新版 断腸亭日乗」(岩波書店)

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