ホワイトシェパード・アリエスの日々 ≪一雲日記≫

いつまでもどこまでも一緒に歩こう!

分かり合うということ

2008-09-11 | 0~1歳
 アリ子母はアリエスの姿を見ながら、「何を考えているんだろうね、今」と問うことがよくある。私もいつも思っていることだ。彼の気持ちがスラスラ分かったらいいのに。私の思いがそのまま伝わったらいいのに。

 テレビでは「動物の心が読める」特殊能力を駆使して、人間と動物の家族間のわだかまりを解消する人が出てくる。インターネットにもドッグスクールにそういう人が海外からやって来たりして、予約して本人や写真で心を見てくれるというのがある。吠えるアリエスを前にしてトホホ状態になると、そんな人に頼りたくもなる。きっと理由があると思うからだ。そして、(確かにそうかもしれないのだが)「飼い主との信頼関係が問題」「主従関係の不確立」という答えしか周りに見当たらないからだ。
 「実はボク、これこれこういうことが嫌なんだ」「カクカクシカジカなのでついね」とか理解でき、「それはね、こんな訳でダメなんだよ」「こういうふうに暮らしたいね」と語ることができたなら。まあ言葉の通じる人間同士でも互いの理解なんて難しいものだし、理由のいかんに関わらず彼には人間社会で生きるためのルールを守ってもらわねばならない。理由は不要であるということを覚えさせるのがしつけであり、ヒトをリーダーと認めさせるということなのだろう。個別の理由を探したい気持ちは結局、逃げなのかもしれない。
 アリエスをアリエスとして個性を受け止めることと、皆と共通した了解のもとに行動させること、そのふたつは親として相棒としてバランスを誤ってはならない、親子の真剣勝負だと思う。誰かの不思議なテレパシーではなく、何とかして直に本心をつかみ伝えたいものだ。

 そもそもさる事情から日記を始めたが、書くのが嫌な日もあり、いいことばっかり記録したかったり、時間がたってから編集して体裁よく書きたい時もある。けれどできるだけ避けたり隠蔽せずにリアルタイムに近い形で、そして「あんなふうに書いたが実は」という裏話の少ないものにしようと常々思っている。後で振り返れば甚だおかしな恥ずかしい記述も山盛りだが、それが迷いながらも進んできた道のようなものだ。必ず薄れる自信のある記憶、アリエス史を、日記が覚えていてくれる。