企業・組織再生現場からの独り言

仕事の中で、覚えていったこと。感じたことなどなどを記していきます。我以外皆我師也。あと、読んでいる本を簡単に紹介。

センター試験の国語で・・・

2005年01月18日 | 過去の不満たらたら記事
教科書に載っている文章が掲載されたとのこと。だからといって、どうするわけでもないらしいが、それのどこが悪いのだろうか。教科書は、全国同じではない。学校ごとに異なるくらいだ。何種類の教科書があるのかはわからないが、それに載っているからといって、その教科書を使って学んだ人がどれくらい得なのか。。と考えてしまう。また、そういうことを言えば、教科書以外のいろいろな文章を用いて、学校で教えている場合はどうするのか。
本当に、国語力があるかどうかを試すならば、どうせなら、この文章から出すよ、ということを公表して準備させてもいいくらいだ。国語、特に現代文については、つまらない問題(たとえば、漢字の読みや慣用句の意味など)で読解力を試してもあまり意味がなかろう。逆に、これは出しますよ、ということになれば、その用語程度は当たり前に理解しようとするだろう。いっそのこと、現代文の出題の範囲を、過去十年間に出版された新聞、雑誌から。。なんてしてしまえば(^^;、誰も、全部を読み切れないか。
まじめな話、今回の事件は、二つの視点で考えないといけない。一つは、センター側が規定していたルールが守られなかった件。自らで、ルールを定めておいて、運用において抜けがありました、これはお粗末な話だ。ルールの運用自体を、しっかり見直さなければならないだろう。もう一つは、そもそも、教科書から出さない、なんていうルールがあった方がいいのかどうか、という点。二つ目の点を、今、私は議論しているのだ。
私は、どんなところから出題されてもいいし、もっと言えば、国語の問題文なんかは、先に公開しておいてもいいと思う。学校の先生や、予備校の先生も、生徒自身も、この文章だったら、こんな問題を作るなぁ、と考えられる。また、センター側も、下手な問題を作れない。練りに練った、測りたいものがなんなのか、が明確な試験問題を作らざるを得なくなる。
試験の内容が、何を測るためのものか、とマッチしていればいいが、どうも、今のセンター試験などは、そういうものではない気がする。なお、今回の事件が大きく騒がれているが、同じく騒がれている試験問題流出の方が、本当の意味での公平性の問題からして、より重要性が高い。それについては、また別の記事で投稿したい。
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