日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
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ふるさとの 龍爪山に 神宿る

2025年02月23日 16時49分20秒 | 日記





道白堂(どうはくどう)。
場所:静岡市葵区北沼上。県道201号線(平山草薙停車場線、通称:竜爪街道)を北上、「平山火の見やぐら公園」のところで左折(西へ)して、則沢(そくさわ)方面へ。則沢林道を約2km登る。駐車場なし。

この「道白堂」がある辺りを「道白平」というが、天文(1532~1555年)の頃、道白笑山(どうはくしょうざん)という曹洞宗の僧が修業・説法していた。高徳の道白禅師の名は広く知れ渡り、後に武田勝頼の二十四将の一人である土屋豊前守貞綱(当時、清水港宰領)の招請により「補陀山 楞厳院(ほださん りょうごんいん)」(現・静岡市清水区有泉)の開山となったという。道白禅師には不思議な話が多く、例えば、来客があると、どこからか小法師たちが大勢現れて、客をもてなした。道白禅師は山神や天狗を使役するといわれたというが、この小法師たちはいわゆる式神だったのだろうか。

この道白禅師には、式内社「白澤神社」の鎮座地である「牛妻」の地名の由来となった伝説もある。道白禅師は一頭の黒い牡牛を飼っていたが、この牛は商家を回って買い物の使いをするなど、禅師の用事をして仕えた。夜になると、龍爪山の西麓にある田野という里にある、小萩という女の家の軒下へ行って寝た。ある人が不思議に思って禅師に問うと、禅師は、「この牛は、元は祖益(そえき)という名の将来有望な弟子だった。しかし、ある時、今川館の近くで托鉢していた折り、今川家の奥女中を見染め、恋焦がれて死んでしまった。僧侶の身でありながら女に焦がれ死にしたとあって、死後には畜生道に落ちて、この牛に生まれ変わった。牛となっても師の用を足しているのだが、夜になると田野の実家に戻った小萩の家に通っているのだ。」と語った。その後、道白禅師は陀羅尼を唱えて、この牛を懺悔させた。牛は、大きな石の上に登り、3日後に人間に生まれ変わって仏教徒になる、と人語で誓い、死んだ。村人は、この牛を悼み、田野を改めて「牛妻」と呼ぶようになった、という。


なお、「道白堂」の近くにある「牛見石」というのは、使いに出した牛が戻ってくるのを見るために禅師が上った石であるという説と、牛が悔悟して死んだときに上った石であるという説がある。画像および解説文の出典は『神が宿るところ』。

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建国日 縄文時代 終ひごろ   

2025年02月23日 11時08分18秒 | 日記


建国日縄文時代終ひごろ     白兎
けんこくびじようもんじだいしまひごろ
建国記念の日(けんこくきねんび)は初春の季語。子季語に、紀元節、梅花節、梅佳節、建国祭。
二月十一日。戦前は「紀元節」といった。明治五年に制定され、昭和二十三年に廃止された。昭和四十一年「建国記念の日」として復活。国民の祝日の一つに加えられた。神武天皇が橿原の宮に即位したとされる神武紀元元年正月一日を陽暦に換算した日。西暦2025年は皇紀2685年である。神武天皇が即位したという辛酉の歳はそのまま西暦に換算すると紀元前660年であり、同時に弥生時代早期又は縄文時代末期に当たる。画像出典:JAPANマガジン。

金鵄飛ぶ建国の日は縄文期    白兎
きんしとぶけんこくのひはじょうもんき
建国記念の日(けんこくきねんび)は、初春の季語。子季語に、紀元節、梅花節、梅佳節、建国祭。
二月十一日。戦前は「紀元節」といった。明治五年に制定され、昭和二十三年に廃止された。昭和四十一年「建国記念の日」として復活。国民の祝日の一つに加えられた。日本書紀に記されていた紀元前660年の神武天皇の即位日である「辛酉年春正月、庚辰朔」を新暦に置き換えたものです。ちなみに、旧暦ではこの日付は1月1日となります。

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バレンタインの日チョコ一片に心癒ゆ

2025年02月22日 11時19分54秒 | 日記



2月14日。
バレンタインの日チョコ一片に心癒ゆ  白兎
ばれんたいんのひちょこひとかけにこころいゆ
バレンタインの日は初春の季語。子季語に、バレンタインデー。
二月十四日。皇帝クラウディウス二世にそむいたバレンタインが、西暦二七〇年に処刑された日。皇帝に結婚を禁じられた兵士たちに同情し、バレンタインは秘密裏に結婚させたという。後にこの日は「愛の日」とされ、恋人たちが贈り物やカードを交換するようになった。日本では、女性が愛の告白をしてもいい日とされ、男性にチョコレートなどを贈る。

辛党に情人節の巧克力       白兎
からたうにヴァレンタインのチョコレート
中国語でヴァレンタインデーは情人節という。「チョコレート」は中国語で「巧克力」と表記される。

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和歌漢詩文武に秀づ道灌忌

2024年08月17日 09時48分03秒 | 日記


和歌漢詩文武に秀づ道灌忌    白兎

わかかんしぶんぶにひいづだうくわんき

道灌忌(だうくわんき)は初秋の季語。
陰暦七月二十六日、太田道灌の忌日。室町時代の関東管領上杉氏の執事太田資清の子で名は持資、入道して道灌。戦略に秀で、江戸築城は有名。歌人としてすぐれ漢詩文の素養もあったが、讒にあい主のために亡ぼされた。文明18年7月26日(1486年8月25日)没。五十五歳。

静岡県静岡市葵区丸山町13に池泉鑑賞式庭園「太田道灌築造嵯峨流名園」がある。以前は割烹旅館「喜久屋」であったが、現在は天麩羅の「成生・なるせ」になっているようだ。画像出典:ウイキペディア&趣味人倶楽部。
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観音を祀る御寺に桔梗咲く  

2024年08月16日 19時54分30秒 | 日記

観音を祀る御寺に桔梗咲く     白兎

くわんおんをまつるみてらにききやうさく

桔梗(ききやう)は初秋の季語。子季語に、きちこう、おかととき、ありのひふきぐさ、一重草。
きりっとした輪郭、折り目ただしい花の姿には凛とした風情がある。紫を主とするが、白桔梗にも捨てがたい魅力があろう。秋の七草のひとつ。
「万葉集」で、山上憶良が詠んだ歌(巻八 1538)「萩の花 尾花 葛花 瞿麦の花 姫部志 また藤袴 朝貌の花」のうちの「朝貌の花」は本種を指す。
花の形から「桔梗紋」が生まれた。美濃の山県氏、土岐氏一族は桔梗紋を紋所にしていた事で知られている。明智光秀も土岐氏一族であり、桔梗紋を用いていた。
安倍晴明が使用した五芒星を桔梗印と呼び、現在の晴明神社では神紋とされている。
静岡県の西部遠州森町は、遠州の小京都と呼ばれている。
ききょう寺(曹洞宗鹿苑山香勝寺)は太田川右岸の里山の開ける小高い丘の上に建立されおり、天分十四年(一五四五年)崇信寺八世仙応全忠大和尚によって開山され、「聖観世音菩薩」を祀っている。遠州三十三観音霊場の32番札所であり、「日本三大ききょう寺」の1つとして有名。画像出典:森町観光協会。

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葛の花酒毒を消すは有難し

2024年08月15日 13時37分01秒 | 日記


葛の花酒毒を消すは有難し    白兎
くずのはなしゆどくをけすはありがたし
葛の花(くずのはな)は初秋の季語。
マメ科クズ属の蔓性多年草。秋の七草の一つ、日当たりのよい山野、荒地に自生する。紅紫色の蝶形花で、上向きについた花穂は下から上へ咲きのぼる。大きな葉に隠れがちだが美しい花である。日本では、根を用いて食材の葛󠄀粉や漢方薬が作られ、万葉の昔から秋の七草の一つに数えられている。和名は、かつて大和国吉野川上流の国栖(くず)が葛󠄀粉の産地であったことに由来する。
葛の花を乾燥させたものは、生薬名で葛花(かっか)と呼ばれている。葛花は「酒毒を解す」という。
中国の『名医別録』には「葛の花は酒を消す」と記され、日本の『救民妙薬』にも「酒毒には、葛の花」と記録されていることから、古くから葛の花が持つ薬効が知られていたことがわかる。画像出典:庭木図鑑植木ペディア。
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鴨瓜の餡かけ煮えて透き徹る

2024年08月11日 12時11分12秒 | 日記

鴨瓜の餡かけ煮えて透き徹る  白兎
かもうりのあんかけにえてすきとほる
冬瓜(とうが)は初秋の季語。子季語に、とうがん、かもうり、冬瓜汁。
冬瓜とは、ウリ科・トウガン属に分類されるつる性一年草。インドが原産国とされ、3世紀頃に中国に伝わったのち、5世紀頃に日本にも渡来した。奈良時代には「冬瓜」「鴨瓜」といわれ、平安時代で「加毛宇利(カモウリ)」といわれるなど、古くから人々に親しまれてきた。
和名トウガンの由来は、夏季が旬の野菜であるが、丸(玉)のまま保存すれば冬まで日持ちすることから「冬瓜」(とうが)の名がつき、それが転訛して「とうがん」とよばれるようになった。
楕円形でとても大きい。熟して淡緑色の外皮が白い蝋質におおわれた頃に収穫する。煮食、葛あんかけ、汁の実などにして食べる。白い果肉は煮ると透きとおって涼しげ。淡泊な味わいで、独特の食感がある。
別名、トウガ、カモウリ(氈瓜・加茂瓜・賀茂瓜)とも呼び、石川県、富山県ではカモリ、沖縄県ではシブイと言う。画像出典:JAとぴあ浜松。
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塩茹での馬鈴薯を喰ひ腹みたす

2024年08月10日 12時14分03秒 | 日記

塩茹での馬鈴薯を喰ひ腹みたす   白兎
しほゆでのじやがいものをくひはらみたす
馬鈴薯(じゃがいも)は初秋の季語。子季語に、じやがたらいも、ばれいしよ、男爵、メークイン。
馬鈴薯は、ナス科ナス属の多年草の植物。
ジャガイモは、南アメリカアンデス中南部、ペルー南部に位置するチチカカ湖畔が発祥とされる。標高3,000~4,000メートルの高地で、西暦500年ごろに栽培されたと考えられている。
世界中で栽培され、デンプンが多く蓄えられる地下茎が芋の一種として食用される。早春に種薯を植え、夏から秋にかけて収穫する。
17世紀初めにオランダ船によってジャワ島のジャガトラ(ジャカルタの旧名)から日本に伝来し、「ジャガタライモ」と呼ばれていたものが転じて「ジャガイモ」になった。日本へ伝来した当初は、観賞用とされていた。ジャガイモの中国植物名である「馬鈴薯」(ばれいしょ)という呼び名もよく用いられる。画像出典:語源由来辞典。
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餓死はせぬ貧乏かづら喰ふて生く 

2024年08月10日 11時43分47秒 | 日記

餓死はせぬ貧乏かづら喰ふて生く  白兎
がしはせぬ びんばうかづら くふていく
藪枯(やぶからし)は初秋の季語。子季語に、貧乏蔓。
ブドウ科ヤブカラシ属の多年生蔓性植物。山野から市街地にいたるまでいたるところに自生する。花は粒状で淡緑色。藪を枯らして繁茂することからこの名がついた。地下茎を伸ばして増える。
藪枯の花盤は蜜が豊富で、蜂や蝶などの昆虫がよく集まる。多くの花が咲くが、他家受粉でしか結実出来ないため、種は少ない。花序は花弁が落ちるとピンク色になる。伸び始めたつる先のやわらかい若芽、葉や巻きひげを取り去った茎の部分は食用にできる。アクが強いのでアク抜きには留意を要す。採取時期は4~7月ごろが適期とされる。漢名は「烏歛苺(ウレンボ)」で、根は利尿・解毒・鎮痛などに薬効のある生薬として利用している。写真はFBフレンド満森傑さん撮影。
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神君の好みし茄子甦る

2024年06月30日 19時23分52秒 | 日記

神君の好みし茄子甦る     白兎
しんくんのこのみしなすびよみがへる
茄子(なすび)は晩夏の季語。子季語に、なす、長茄子、丸茄子、青茄子、初茄子、茄子汁、巾着茄子、白茄子、千生茄子。
茄子(なす)は、ナス科ナス属の植物。また、その果実のこと。別名ナスビともよばれる。インド原産で、淡色野菜として世界中で栽培されている。和名ナスの語源については諸説あり、実の味から「中酸実」(なかすみ)の略であるとする説、夏に実がなるので「夏実」(なつみ)と読んだが、それが訛って「なすび」(奈須比)と呼ばれたとする説がある。室町時代頃に宮廷の女官が女房言葉として「おなす」と呼び、その呼称が定着した。原産地はインドの東部が有力とされ、インドでは有史以前から栽培されていたと考えられている。その後、ビルマを経由して中国へ5世紀ごろに渡ったと考えられており、多くの変異が生じていった。日本には7世紀から8世紀ごろに中国から伝わり、奈良時代から食されていたといわれ、東大寺正倉院の古文書で、「天平勝宝二年(750年)茄子進上」とあるのが日本最古の記録である。平城京の長屋王邸宅跡から出土した木簡に『進物 加須津毛瓜 加須津韓奈須比』との記述があり、高位の者への進物にナスの粕漬けが使われていたことが判明した。また、正倉院文書には「天平六年(734年)茄子十一斛、直一貫三百五十六文」をはじめとして多数の「茄子」の記述がみられる。
折戸なすは静岡市清水区三保の在来種で丸い形と鋭いトゲ、色は深く黒みがかかった茄子紺、濃厚で甘みがあることが特徴である。通常のなすより濃厚な味わいが、田楽などみそを使った料理と相性がよく、好まれている。初夢に見ると縁起がよいとされる「一富士、二鷹、三茄子」の茄子のことだといわれ、徳川家康が好んだとして知られている。明治時代以降、折戸なすの栽培は途絶えてしまっていたが、国の研究所で保存されていた種子を譲り受け、生産者とJAや関係機関の連携により平成17年に復活に成功した。
茄子紺というとおり、光沢のある濃紺の実。広葉に隠れるように実り、つやつやとした皮が雨滴や露をはじく。茄子汁や焼き茄子、茄子の鴫焼、茄子漬など食べ方もさまざまある。初物は「初茄子」という。画像出典:静岡市役所農林水産部農業政策課。

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