日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
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和歌漢詩文武に秀づ道灌忌

2024年08月17日 09時48分03秒 | 日記


和歌漢詩文武に秀づ道灌忌    白兎

わかかんしぶんぶにひいづだうくわんき

道灌忌(だうくわんき)は初秋の季語。
陰暦七月二十六日、太田道灌の忌日。室町時代の関東管領上杉氏の執事太田資清の子で名は持資、入道して道灌。戦略に秀で、江戸築城は有名。歌人としてすぐれ漢詩文の素養もあったが、讒にあい主のために亡ぼされた。文明18年7月26日(1486年8月25日)没。五十五歳。

静岡県静岡市葵区丸山町13に池泉鑑賞式庭園「太田道灌築造嵯峨流名園」がある。以前は割烹旅館「喜久屋」であったが、現在は天麩羅の「成生・なるせ」になっているようだ。画像出典:ウイキペディア&趣味人倶楽部。

観音を祀る御寺に桔梗咲く  

2024年08月16日 19時54分30秒 | 日記

観音を祀る御寺に桔梗咲く     白兎

くわんおんをまつるみてらにききやうさく

桔梗(ききやう)は初秋の季語。子季語に、きちこう、おかととき、ありのひふきぐさ、一重草。
きりっとした輪郭、折り目ただしい花の姿には凛とした風情がある。紫を主とするが、白桔梗にも捨てがたい魅力があろう。秋の七草のひとつ。
「万葉集」で、山上憶良が詠んだ歌(巻八 1538)「萩の花 尾花 葛花 瞿麦の花 姫部志 また藤袴 朝貌の花」のうちの「朝貌の花」は本種を指す。
花の形から「桔梗紋」が生まれた。美濃の山県氏、土岐氏一族は桔梗紋を紋所にしていた事で知られている。明智光秀も土岐氏一族であり、桔梗紋を用いていた。
安倍晴明が使用した五芒星を桔梗印と呼び、現在の晴明神社では神紋とされている。
静岡県の西部遠州森町は、遠州の小京都と呼ばれている。
ききょう寺(曹洞宗鹿苑山香勝寺)は太田川右岸の里山の開ける小高い丘の上に建立されおり、天分十四年(一五四五年)崇信寺八世仙応全忠大和尚によって開山され、「聖観世音菩薩」を祀っている。遠州三十三観音霊場の32番札所であり、「日本三大ききょう寺」の1つとして有名。画像出典:森町観光協会。


葛の花酒毒を消すは有難し

2024年08月15日 13時37分01秒 | 日記


葛の花酒毒を消すは有難し    白兎
くずのはなしゆどくをけすはありがたし
葛の花(くずのはな)は初秋の季語。
マメ科クズ属の蔓性多年草。秋の七草の一つ、日当たりのよい山野、荒地に自生する。紅紫色の蝶形花で、上向きについた花穂は下から上へ咲きのぼる。大きな葉に隠れがちだが美しい花である。日本では、根を用いて食材の葛󠄀粉や漢方薬が作られ、万葉の昔から秋の七草の一つに数えられている。和名は、かつて大和国吉野川上流の国栖(くず)が葛󠄀粉の産地であったことに由来する。
葛の花を乾燥させたものは、生薬名で葛花(かっか)と呼ばれている。葛花は「酒毒を解す」という。
中国の『名医別録』には「葛の花は酒を消す」と記され、日本の『救民妙薬』にも「酒毒には、葛の花」と記録されていることから、古くから葛の花が持つ薬効が知られていたことがわかる。画像出典:庭木図鑑植木ペディア。

鴨瓜の餡かけ煮えて透き徹る

2024年08月11日 12時11分12秒 | 日記

鴨瓜の餡かけ煮えて透き徹る  白兎
かもうりのあんかけにえてすきとほる
冬瓜(とうが)は初秋の季語。子季語に、とうがん、かもうり、冬瓜汁。
冬瓜とは、ウリ科・トウガン属に分類されるつる性一年草。インドが原産国とされ、3世紀頃に中国に伝わったのち、5世紀頃に日本にも渡来した。奈良時代には「冬瓜」「鴨瓜」といわれ、平安時代で「加毛宇利(カモウリ)」といわれるなど、古くから人々に親しまれてきた。
和名トウガンの由来は、夏季が旬の野菜であるが、丸(玉)のまま保存すれば冬まで日持ちすることから「冬瓜」(とうが)の名がつき、それが転訛して「とうがん」とよばれるようになった。
楕円形でとても大きい。熟して淡緑色の外皮が白い蝋質におおわれた頃に収穫する。煮食、葛あんかけ、汁の実などにして食べる。白い果肉は煮ると透きとおって涼しげ。淡泊な味わいで、独特の食感がある。
別名、トウガ、カモウリ(氈瓜・加茂瓜・賀茂瓜)とも呼び、石川県、富山県ではカモリ、沖縄県ではシブイと言う。画像出典:JAとぴあ浜松。

塩茹での馬鈴薯を喰ひ腹みたす

2024年08月10日 12時14分03秒 | 日記

塩茹での馬鈴薯を喰ひ腹みたす   白兎
しほゆでのじやがいものをくひはらみたす
馬鈴薯(じゃがいも)は初秋の季語。子季語に、じやがたらいも、ばれいしよ、男爵、メークイン。
馬鈴薯は、ナス科ナス属の多年草の植物。
ジャガイモは、南アメリカアンデス中南部、ペルー南部に位置するチチカカ湖畔が発祥とされる。標高3,000~4,000メートルの高地で、西暦500年ごろに栽培されたと考えられている。
世界中で栽培され、デンプンが多く蓄えられる地下茎が芋の一種として食用される。早春に種薯を植え、夏から秋にかけて収穫する。
17世紀初めにオランダ船によってジャワ島のジャガトラ(ジャカルタの旧名)から日本に伝来し、「ジャガタライモ」と呼ばれていたものが転じて「ジャガイモ」になった。日本へ伝来した当初は、観賞用とされていた。ジャガイモの中国植物名である「馬鈴薯」(ばれいしょ)という呼び名もよく用いられる。画像出典:語源由来辞典。

餓死はせぬ貧乏かづら喰ふて生く 

2024年08月10日 11時43分47秒 | 日記

餓死はせぬ貧乏かづら喰ふて生く  白兎
がしはせぬ びんばうかづら くふていく
藪枯(やぶからし)は初秋の季語。子季語に、貧乏蔓。
ブドウ科ヤブカラシ属の多年生蔓性植物。山野から市街地にいたるまでいたるところに自生する。花は粒状で淡緑色。藪を枯らして繁茂することからこの名がついた。地下茎を伸ばして増える。
藪枯の花盤は蜜が豊富で、蜂や蝶などの昆虫がよく集まる。多くの花が咲くが、他家受粉でしか結実出来ないため、種は少ない。花序は花弁が落ちるとピンク色になる。伸び始めたつる先のやわらかい若芽、葉や巻きひげを取り去った茎の部分は食用にできる。アクが強いのでアク抜きには留意を要す。採取時期は4~7月ごろが適期とされる。漢名は「烏歛苺(ウレンボ)」で、根は利尿・解毒・鎮痛などに薬効のある生薬として利用している。写真はFBフレンド満森傑さん撮影。

神君の好みし茄子甦る

2024年06月30日 19時23分52秒 | 日記

神君の好みし茄子甦る     白兎
しんくんのこのみしなすびよみがへる
茄子(なすび)は晩夏の季語。子季語に、なす、長茄子、丸茄子、青茄子、初茄子、茄子汁、巾着茄子、白茄子、千生茄子。
茄子(なす)は、ナス科ナス属の植物。また、その果実のこと。別名ナスビともよばれる。インド原産で、淡色野菜として世界中で栽培されている。和名ナスの語源については諸説あり、実の味から「中酸実」(なかすみ)の略であるとする説、夏に実がなるので「夏実」(なつみ)と読んだが、それが訛って「なすび」(奈須比)と呼ばれたとする説がある。室町時代頃に宮廷の女官が女房言葉として「おなす」と呼び、その呼称が定着した。原産地はインドの東部が有力とされ、インドでは有史以前から栽培されていたと考えられている。その後、ビルマを経由して中国へ5世紀ごろに渡ったと考えられており、多くの変異が生じていった。日本には7世紀から8世紀ごろに中国から伝わり、奈良時代から食されていたといわれ、東大寺正倉院の古文書で、「天平勝宝二年(750年)茄子進上」とあるのが日本最古の記録である。平城京の長屋王邸宅跡から出土した木簡に『進物 加須津毛瓜 加須津韓奈須比』との記述があり、高位の者への進物にナスの粕漬けが使われていたことが判明した。また、正倉院文書には「天平六年(734年)茄子十一斛、直一貫三百五十六文」をはじめとして多数の「茄子」の記述がみられる。
折戸なすは静岡市清水区三保の在来種で丸い形と鋭いトゲ、色は深く黒みがかかった茄子紺、濃厚で甘みがあることが特徴である。通常のなすより濃厚な味わいが、田楽などみそを使った料理と相性がよく、好まれている。初夢に見ると縁起がよいとされる「一富士、二鷹、三茄子」の茄子のことだといわれ、徳川家康が好んだとして知られている。明治時代以降、折戸なすの栽培は途絶えてしまっていたが、国の研究所で保存されていた種子を譲り受け、生産者とJAや関係機関の連携により平成17年に復活に成功した。
茄子紺というとおり、光沢のある濃紺の実。広葉に隠れるように実り、つやつやとした皮が雨滴や露をはじく。茄子汁や焼き茄子、茄子の鴫焼、茄子漬など食べ方もさまざまある。初物は「初茄子」という。画像出典:静岡市役所農林水産部農業政策課。


藷爺の甘藷の花が飢ゑ救ふ

2024年06月28日 10時06分46秒 | 日記

藷爺の甘藷の花が飢ゑ救ふ    白兎
いもじいのかんしよのはながうゑすくふ
甘藷の花(さつまいものはな)は晩夏の季語。子季語に、薩摩芋の花、甘藷(かんしょ)の花。
甘藷はヒルガオ科サツマイモ属の一年生作物。原産地は中央アメリカのメキシコ中央部からグアテマラにかけてとする説が有力である。紀元前3000年以前から、メキシコ地域で栽培化されていたとみられている。その後は南米に伝わり、古代ペルーの遺跡からサツマイモの葉や花、根を描いた土器や綿布が発見されていることから、重要作物になっていったと考えられている。
日本へは、17世紀初めに中国から琉球にもたらされ、やがて薩摩へ伝わり、九州南部で栽培されたのが「薩摩の芋」として、全国へ広まり定着した。西日本の大飢饉の折に、鹿児島で餓死者を出さなかったことから、凶作の年でも収穫が見込める救荒作物として重要視されるようになり、江戸時代に飢饉を救う救荒作物として栽培が奨励された。飢饉対策に腐心していた江戸幕府8代将軍・徳川吉宗の命によって、享保20年(1735年)、蘭学者の青木昆陽が薩摩から江戸に種芋を取り寄せて、小石川御薬園(現:小石川植物園)などでサツマイモを試作し、これをきっかけに東日本各地でも栽培が広がった。
この直後、明和3年(1766年)に御前崎で「藷爺さん」が栽培を始めている。「いもじいさん」とは、御前崎でサツマイモの栽培を最初に行い、この地方にサツマイモの栽培を広げた大澤権右衛門のことである。大澤権右衛門は、元禄7年(1694年)に御前崎の内浜の一角、遠江国榛原郡地頭方村二ツ家の組頭の家に生まれた。明和3年の春、海岸で1隻の難破船を見つけた。この船は、九州の薩摩藩の「豊徳丸・とよとくまる」という船で、薩摩藩の用物を運ぶ途中であったという。権右衛門親子らは村人を集め、船員24名を助けた。そして、彼らに衣類や食事を与え、手厚く介抱した。その際、薩摩藩はお礼に金20両を差し出そうとしたが、難破した船を助けるのは村の慣わしだと言って断り、その代わりに難破していた「豊徳丸」が積んでいたサツマイモを貰い受け、その栽培方法を教えてもらった。以来、御前崎にサツマイモの栽培が広がった。

大澤権右衛門は安永7年(1778年)に亡くなったが、この地方にサツマイモの栽培を広めた功績は大きく、村人達は百年忌に当たる明治11年(1878年)、大澤山海福寺に「宝篋印塔(供養塔)」を建立し、その後、明治41年(1908年)にサツマイモ伝来の経緯を記した「いもじいさんの碑」を建て心から感謝の気持ちを表した。画像出典:石川県立大学&御前崎市。

居酒屋の女将紅さす虎が雨

2024年06月27日 10時57分27秒 | 日記

居酒屋の女将紅さす虎が雨   白兎
ゐざかやのおかみべにさすとらがあめ
虎が雨(とらがあめ)は仲夏の季語。子季語に、虎が涙、虎が涙雨、曾我の雨。
陰暦の五月二十八日に降る雨のこと。曾我兄弟の兄、十郎が新田忠常に切り殺されことを、愛人の虎御前が悲しみ、その涙が雨になったという言伝えに由来する。
建久4年5月28日(1193年6月28日)、源頼朝が行った富士の巻狩りの際に曾我祐成と曾我時致の兄弟が父親の仇である工藤祐経を富士野にて討った事件。「一に富士、二に鷹の羽の打ち違い、三に名を成す伊賀の仇討」といった言葉にあるように赤穂浪士の討ち入りと伊賀越えの仇討ちに並ぶ、日本三大仇討ちの一つである。
事件は同28日に起きた。『吾妻鑑』28日条には「曽我十郎祐成・同五郎時致、富士野の神野の御旅館に推參致し工藤左衛門尉祐経を殺戮す」とあり、曽我兄弟は富士野の神野の御旅館におしかけて工藤祐経を討った。仇討ちの翌日である29日に頼朝は五郎(弟)の尋問を行い、有力御家人らがそれに同席し、その他多くの者も群参した。尋問を終えた頼朝は五郎の勇姿から宥免を提案するが、祐経の子である犬房丸の訴えにより同日梟首された。十郎の恋人であった虎御前も尋問を受けるが無罪。
虎は兄弟の母を曾我の里に訪ねたあと箱根に登り箱根権現社の別当の手により出家する。熊野や諸国の霊場を巡りながら兄弟の菩提を弔い、兄弟の一周忌を曾我の里で営んだ。その後、兄弟の供養のため信州の善光寺に参り、首にかけた二人の遺骨を奉納した。大磯にもどった後、高麗寺山の北側の山下に庵を結び菩薩地蔵を安置し夫の供養に明け暮れる日々を過ごした事が山下(現、平塚市)に現存する高麗寺の末寺であった荘巌寺に伝わる「荘巌寺虎御前縁起」に記されている。虎女は兄弟の供養を片時も忘れることなく、その小庵で63年と言われるその生涯を閉じる。
私の父祖の菩提寺は亀谷山結成禅寺(静岡市葵区内牧)。結成禅寺は天文廿一年相州鎌倉で創建。曾我兄弟に討たれた工藤左衛門尉祐経を葬る。境内に歌人・川田 順の歌碑がある。「狩野介の菩提寺の山蟲鳴きて首山堡に死にし兵の墓あり」。
嶋田宿の文人・桑原藤泰著の『安倍紀行』に次のように記載されているそうだ。
内牧の里、亀谷山結成寺、済家法幢地なり。朱符寺田五石。府の臨濟寺の末なり。むかしは鎌倉派なり。本尊地蔵、運慶作。開山、南寂豊公元始と云う。慶長元年遷化の僧なり。当寺鎮守八幡宮、山門の前にあり。神体唐金円鏡の如し。左右に鐶あり。正中に阿弥陀の像を鋳揚げたり。裏に正応五年二月十九日と記し、片仮名にて書彫り付けあれど、文字詳らかに読みがたし。こゝに寺僧の伝に云う。当寺はむかし開基、天徳寺法輪大禅定門にて、工藤左衛門尉祐経なり。既に寺後の山に祐経が五輪の塔ありと云う。閻王堂、鐘楼、山門あり。また、一徳寺、観法院とて、当寺の末院あり。画像出典:刀剣ワールド。


石楠花を観に天城山縦走す

2024年05月30日 09時18分29秒 | 日記


石楠花を観に天城山縦走す    白兎
しゃくなげみにあまぎさんじゅうそうす
石楠花(しゃくなげ)は初夏の季語。子季語に、石南花、しゃくなぎ、せきなん。
ツツジ科の常緑低木。原産地は北半球。茎の先端に優雅で柔らかな花をつける。ヒマラヤから中国南部の高山地帯で多種が分布し、たくましい生命力にあふれている。
東石楠花(アズマシャクナゲ)は、ツツジ科ツツジ属シャクナゲ亜属の常緑低木。深山に生える。別名シャクナゲ。和名は、日本の関東地方の山地に多く自生し、東国の意味のアズマの名がある。日本の本州のうち、東北地方の岩手県・宮城県・山形県以南、関東地方、中部地方の長野県・静岡県までの範囲に分布し、亜高山帯の林内、稜線上などに自生する。花期は5~6月で、枝先に総状花序を伸ばし、淡紅色の花を5~10個つける。画像出典:ウイキペディア。