日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
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野蒜喰う土方渡世の冥利かな

2011年11月09日 19時38分01秒 | グルメ
 春まだ浅いある午後のことであった。若い現場監督が運転する安全パトロール車の助手席でうつらうつらしていると、運転席の若者が何かぶつぶつと呟きだした。不明瞭な言葉の意味を訝しく思ったので、問い質してみると、突如として野蒜が食いたくなったのだという。
 何故、斯くも唐突に野蒜が食いたくなったのかという私の問いかけには、しどろもどろと曖昧に答える若者であった。人間という動物は何かの加減で突拍子もないことを考えることがままある。しかし、それにしてもこの若者の言動は珍妙で私は理解に苦しんだ。そして、私が導き出した答は、野蒜を酒肴にして一杯やりたい、つまり小言ばかり言っていないで偶には一杯奢れよという催促なんだと結論付けた。
 若い現場監督も普段から口煩い上司である私に話すからには、どうしても野蒜が食いたかったのであろうし、酒も飲みたかったのに違いない。どんなに他愛のない事柄でも頼りにされれば嬉しいものである。
 私は自慢の記憶装置を逆回転させた。野蒜・のびる・ノビルと記憶の抽斗を検索してゆく。静岡方言ではノンビルと訛って呼ぶ、と、いうあたりで脳味噌の底でチーンと微かに音がして記憶装置が確かな反応を示した。
 安倍川の支流、藁科川のそのまた支流の飯間谷川の護岸工事をやったとき、山裾の茶畑で立小便をした。その折に股間の一つ目小僧が確かに野蒜を目撃していたのである。
 若者の運転する安全パトロール車は直ちに飯間谷川の工事箇所へ向かった。見覚えのある風景の中に確かに野蒜はあった。早速、鶴嘴で掘り採って土を振るい落とす。私の小便が肥やしに効いた所為もあってか球根も立派な野蒜に育っていた。その日の夕刻、行きつけの居酒屋で野蒜の玉子炒めを肴に一杯やったのは言うまでもない。
 野蒜は葱などと同じユリ科の植物で、古い時代に朝鮮あたりから渡来した帰化植物だという説もあるが、現在では人里に近い畦道や野原や土手などに多く野生の状態で分布している。晩春から初夏にかけて小さな擬宝珠をつけるのであるが、葱などのように種子を結ぶことは稀である。擬宝珠の中には小さな珠芽つまり「むかご」がたくさん着いていて塊状に肥大する。所謂、野蒜の花とよばれる紫褐色の塊がそれである。野蒜の地上部は初夏のころに枯れて球根は夏眠する。「むかご」は枯れて倒れた茎から地表に散布されて繁殖する。だから、野蒜は一箇所に太いのから細いのまで幾世代かが群生しているのが普通である。
 野蒜の食し方について掻い摘んで書いて置こう。
先ずは、生食である。これは太くて球根も大きな野蒜の表皮と髭根を取り除いてエシャレットと同じ要領で味噌などをつけて生のまま食べるのである。エシャレットつまり辣韮に比べると野蒜は少し辛さに勝る。
 旬の野蒜は刻んで葱と同じように味噌汁の実にしても美味い。因みに野蒜の旬は晩冬から早春にかけてである。野蒜は韮のように玉子やベーコンと炒めるのも良い。軽く茹でてから烏賊などの魚介と「ぬた」に和えれば申し分ない。桜海老などと掻揚げにしても美味い。
 野天で働く我々土方の流儀では、束のまま焚き火の灰に埋めて焼き、灰を掃って味噌や醤油で食うのが普通である。これは蛇足だが、タラの芽でもフキノトウでも焚き火で炙って食うときに必ず味噌や醤油を使うのは山菜に多く含まれるカリウムを塩のナトリウムで中和するためである。土方流といえば、酒の肴にと土方仲間の韓国人から塩昆布と一緒に漬けた野蒜の松前漬を貰ったことがある。これも結構美味かった。概して韓国人は山菜の食い方が日本人よりもはるかに上手で学ぶべき点が多い。
 その他にもいろいろな食べ方があると思うが、要は葱や韮や浅葱や辣韮の仲間であるから、それらの食べ方に従えば概ね間違いはなかろう。