陽だまりのねごと

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死者の歳は数えない

2012-08-18 23:01:39 | Weblog
姑のケアハウスの面会者名簿に名前と日付を書き込んでいて、思い出した。
今日は生きていれば66歳の亡夫の誕生日だった。
最後の誕生日は忘れられない。

もう末期癌。
大腿骨と胆管へ転移が告知されていた。

55歳の誕生日。
本人のリクエストで鮨を取った。
夫はひと口しか口に出来なかった。
残りはその当時家に居た娘と私に『食べなさい』と言った。

   家に居るのはもう怖い。病院へ行く。

とも言った。
在宅緩和ケア医など見当たらない時代だった。
翌朝、手を引かれて家を出る時、
自分の力で建てた自分の家を振り返って

   もう帰れない

それが本当になった。

姑のケアハウスの帰り道に気まぐれに二軒、
亡夫の飲み友だちで家族ぐるみのお付き合いのあったお宅へ寄った。
一軒はケアハウスもすぐ近く。
偶然に自転車で家へ入る姿を車窓に認めて、家へ寄ったら招き上げられた。
家はとても賑やか。
夏休みの孫を預かってて、育ジジをやっていた。

一軒はそこから少し自宅方向へ走ったところ。
今年5月に原因不明62歳で急死。初盆だった。
同じ境遇になった奥さんがずっと気になっていた。
今日は何も予定がない。在宅は確かめないまま
お供えを用意して寄れば、在宅だった。

どちらも妻子連れで行ったり来たり。
夫たち酒盛りに付き合わされて、妻同士も仲良くなっていた。
でも、夫亡き後はずっと疎遠になってしまった。
ひとり身になって、
夫婦揃っているだけで出会う事が、苦痛だった時代が私にあった。

今日、日付を書き込む事がなければ、
亡夫の誕生日だったと気がついただろうか?
11年とはそういう時間なのか?

忘れなければ前に歩いては行けない。
初盆の奥さんが息子さんから言われたそうだ。

    死んだ人の事より
    残されて生きて行く人の方が大事だ。

確かに大黒柱を失って、
これからの先の生活を思えば悲しんでばかりは居られない。
人ひとり亡くなると
実に雑多な生きるために必要な書類や知っておかないといけない制度が目の前に積まれている。
悲しみにくれてばかりはいられない。
目の前の事をひとつづつ、助けだった頼りだった夫に、頼らないでこなして行かねばならない。
悲しでばかりは居られない構造に上手くなっているのかもしれない。

国はそこんとこ親切だ。

故人名義の固定資産税は
故人のご家族様宛に『払ってね』と速やかに届いたが、
9月22日に亡くなって遺族年金が振り込まれたのは
待ちに待って忘れもしない年明けて2月15日だった。

今日の事、新しい寡婦に聞かれたのだ。
5月のゴールデンウィークに亡くなって8月15日に年金がはいらなかったけど、
手続きに不備があったんだろうかと。

   取るのは早いが出すのは遅い

ありがたいこと。

寡婦は元気だとの通説をよく耳にするが、当事者は怒っている。
すき好んで、元気をやっているわけじゃござんせん!

66歳の夫はどんなだったろうと考えたところで何になる。
死者の歳は数えないとはそういう意味か?

   耐え得るだけの苦労を神は与える

などと、
残酷な事を平気で当人に向かって言う人まで居る。





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