妻を看取る日 国立がんセンター名誉総長の喪失と再生の記録 | |
垣添 忠生 | |
新潮社 |
この手の本は気分的に遠避けてきた。
闘病記も闘病映画もテレビドラマも皆嫌い。
おそらく妹も病気をしてからたぶんダメなんだと思う。
「図書館に返すのなら一緒に返して」
人が良いと言って勧めたこの本が図書館にあったから
借りる数冊に混ぜて借りてはみたものの読む気が起こらなかったらしい。
「ねぇちゃんなら読めるんじゃない?」
立場が一緒って事らしいが、傷口を開くようなものだとちょっとイヤな気がしたけど、
返せばいいだけならと手にして持ち帰った。
ものの弾みで読んだ。おまけに完読^^;
著者が国立がんセンター名誉総長だったから、
医療従事者が患者家族になった時の本音が知りたい好奇心からぺージをめくった。
日本のがん最新医療のある病院というのも興味がそそられた。
プロローグから最後の日が書かれてあった。
それからなんのことはない自分の生い立ちから医学部を目指すに至るまで
さらに亡くなった妻との出会いの波乱万丈と続く。
12歳年上バツイチの女性との結婚がしかも40年前とあっては闘病のうんぬんを超えて興味がわく。
全身転移のいよいよ万策尽きるまでの治療と副作用の辛さが一番私の関心事。
夫が国立がんセンターのトップである事から無駄と知りつつ耐えたのだろうと言うくだりには考えさせられた。
辛い辛すぎる抗がん治療の副作用も『治る』という光を見るから耐えられるのだ。
亡夫もきっぱり言った。
「治る痛みなら耐えられる」
緩和ケアを選択するに至るまでの地獄はまだ封印しておきたかった。
がんの骨転移の痛みにも触れたあった。
激痛…本人にしか分からない痛み。傍にいて代われない痛み…
妻亡き後のボロボロは、私も経験済み。
私には母というお手本が居た。
強き妻、猛母のまるっきり軟弱ぶりを、若き時に支えなければならない立場が
好むと好まざるにかかわらず長女の私に降りかかった。
母は三回忌までぼろぼろ泣いた。七回忌には泣かなかった。
伴侶を亡くした悲しみとはそういう物だと、先輩実母から刷り込まれていたのが、私には幸いした。
エピローグに記されていた。
「もし、私が先に死んで妻が残されたら…」
考えるとゾッとする。逆でなくて本当によかった。
あの苦しみを、妻には味わって欲しくないからだ。
悲嘆からの再生を著者は1年で済ませた。8年かかる人もあるとあった。
個人差はあれど残って生きて行かねばならない現状が必ず再生させる。
私も最近、冷静な時が戻ってきて、ようやくあの人でなく私が残って良かったと感じる。
これから先?私が動けなくなったら?病になったら?
まぁ~先取り心配はしない事。何があるか一寸先は誰も等しく闇なのだ。
さっ、鬼門な本はさっさと図書館へお返ししましょ~♪
しかし、医者に文章の手慣れが多いのはなぜだろう?