2020年の読書は、三島由紀夫の「豊饒の海」(全4巻)を読破し、現在は、長編ものとしては「カラマーゾフの兄弟」を読んでいます。もともとどちらかというと乱読タイプなので、三島由紀夫の「英霊の聲」など、短編もいろいろ読んでいます。
「カラマーゾフの兄弟」を読み始めたのは、世界の歴史に残る小説を読みたい、という単純なミーハーな気持ちが一番でした。研究、教養などにおいても、やはり古典、名作の力はすごく、すぐにすたれるような最先端の話よりも、本質に触れたい、本質をつかみ切りたい、という気持ちが自分には強くなってきています。それも、読み始めた大きな理由の一つかと思います。
哲学者ウィトゲンシュタインは、カラマーゾフの兄弟を少なくとも50回は精読した、と言われていますが、それだけの名作であればやはり読んでみたくなります。
ただ、難しくて読み切るのも大変、という噂は聞いていたので、5月8日のブログにも書きましたが、以下のように読書を開始しました。
「さて、私個人は、1年以上前に第1巻だけ読み終わっていた、三島由紀夫の「豊饒の海」を最終巻の第4巻まで読破し、その次はドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を読み始めています。読み切ることも難しい、とのことだったので、まずは講談社の漫画で読み、NHKの100分de名著で理解を深め、さらに「100分de名著」の4回の番組をオンデマンドで見て、それから亀山郁夫(100分de名著、の解説者)訳の小説を読み始めました。」
さて、本日は在宅勤務ですが、朝の10分間読書の時間(今朝は実際には20分)に、カラマーゾフの兄弟の2巻の終盤に出てきた二つの表現。
第2部、第6編「ロシアの修行僧」、2 神に召された修道苦行司祭ゾシマ長老の一代記より
伝記的資料 (b) ゾシマ長老の生涯における聖書の意味について
より引用。
「必要なのは、ごく小さな、一粒の種なのだ。民衆の魂のなかにその種を投げ入れてみなさい。すると種は死なず、民衆の魂でずっと生きつづけ、闇や罪の悪臭のなかにあってわずかに灯る光のように、偉大ないましめとして一生息をひそめつづけるだろう。だから、あれこれと説明する必要も、教えてやる必要もないのだ。民衆はじつにあっさりと、すべてを理解してしまうのだから。」
「どんな草も、甲虫も蟻も、金色の蜜蜂も、生きとし生けるものが、およそ知恵などというものを持たず、驚くばかりに自分の道をわきまえ、神の奥義を証明し、倦むことなくその成就につとめている。・・・・」
人間とは何か、についても改めて考えさせられるフレーズが随所に散りばめられています。
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