人間とは本当に余計な心配をしてしまうものです。以前の私は、
・大学に赴任したころ、委員会活動というものに所属しておらず(赴任前には複数所属していた)、漠然とした不安を感じていた。所属しているからいいとは決して思わないけど、自分にはそういう組織からお声がかからないのかなあ、とは感じていました。結局、今は全く逆の心配で、もうあまりお声をかけていただきたくない?とまでは思いませんが、回らなくなってきています。幸い、魅力的な、実質的な委員会に声をかけていただいております。
・赴任後、土木学会論文集に投稿できるような研究をできない、と思っていた。
・ドクターの留学生を指導するのは、研究力がないために厳しいだろうと思っていた。
・海外出張があんまりないので、「かっこわるい」、と思っていた。
・まともな受賞経験がないので、「かっこわるい」、と思っていた。
・研究費をかせいで、研究室の運営をしっかりとやっていけるのだろうか?
(これはくだらなくはないですね)
もっともっとくだらない心配もたくさんしていたように思います。
すべて「余計な心配」であって、そんな心配をして縮こまっているようであれば、自分でアクションを起こすことが大事だ、と今は分かっています。周囲の評価を気にするよりは、自分の力をつけることに頭と時間を使った方がよい。
今でも余計な心配をする癖は少し残っていますが、かなりpositive thinkingできるようになってきました。
・大学に赴任したころ、委員会活動というものに所属しておらず(赴任前には複数所属していた)、漠然とした不安を感じていた。所属しているからいいとは決して思わないけど、自分にはそういう組織からお声がかからないのかなあ、とは感じていました。結局、今は全く逆の心配で、もうあまりお声をかけていただきたくない?とまでは思いませんが、回らなくなってきています。幸い、魅力的な、実質的な委員会に声をかけていただいております。
・赴任後、土木学会論文集に投稿できるような研究をできない、と思っていた。
・ドクターの留学生を指導するのは、研究力がないために厳しいだろうと思っていた。
・海外出張があんまりないので、「かっこわるい」、と思っていた。
・まともな受賞経験がないので、「かっこわるい」、と思っていた。
・研究費をかせいで、研究室の運営をしっかりとやっていけるのだろうか?
(これはくだらなくはないですね)
もっともっとくだらない心配もたくさんしていたように思います。
すべて「余計な心配」であって、そんな心配をして縮こまっているようであれば、自分でアクションを起こすことが大事だ、と今は分かっています。周囲の評価を気にするよりは、自分の力をつけることに頭と時間を使った方がよい。
今でも余計な心配をする癖は少し残っていますが、かなりpositive thinkingできるようになってきました。
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