9月13日は、鞆の浦(とものうら)を出発して、西へ向かいました。土砂災害について実地で学んだ一日となりました。前日の12日には、鞆の浦塾の防災学習で、鞆町の土砂災害のリスクを塾生たちと一緒に勉強していたのですが、13日の西への移動中にはかなり偶然にも引き寄せられ、土砂災害について現地で体験的に学ぶ一日となりました。もっと土砂災害について勉強しなさい、という天の声なのだと理解します。
福山でレンタカーをして、西へ向かいました。当初は、この日は移動日の予定で、宮島で弥山をできれば健康のためにも登山し、錦帯橋にたどり着けばいいや、くらいの軽い気持ちでした。
高速道路で西へ向かう途中、これまで何度か車の中から見たことのある、H26年8月の広島市の土砂災害の現場が見えました。一瞬の判断で、高速道路を降り、現地へ向かいました。日曜日ということもあり、閑静でしたが、恐ろしい土砂災害の爪痕が色濃く残っており、1時間ほど、言葉を失いながら視察しました。報道等でもすでに多く報じられているので、あまり多くは書きませんが、まさにリスクと隣り合わせで日々の生活を営む日本人の難しさと、そうは言ってもその現実に対して少しでも対策を打とうとする土木行政の重要性、を肌で感じながら歩いていました。
一路、宮島へ。秋の日曜日、ということで渋滞も懸念されましたが、運よくフェリー乗り場のすぐ近くの駐車場に入れることができました。
宮島へは十数年ぶりに来ました。大変な観光客の数に驚きましたが、いろいろと迷ったあげく、紅葉谷川ルートで弥山を登ることにしました。これが偶然、土砂災害の勉強になりました。何かの縁を感じずにはいられませんでした。
以下の説明の通りですが、終戦直後の枕崎台風で甚大な土砂災害が発生し、その復旧・復興工事において、庭園風の砂防工事が行われた、とのことです。ウィーン大学の砂防専門家も絶賛したそうです。とても有名な事業のようですが、私は知りませんでした。
堰堤の上でたたずむ親子の姿もありました。
写真は十三号堰堤。この辺りまで登ると、川もかなり小さくなっています。堰堤の中にはかなり土砂が溜まっている箇所もありました。また相当な巨石があちこちに転がっており、この川のリスクの高さが容易に想像できます。10を超える砂防堰堤が厳島神社を含む下流の重要なエリアを護っている、ことをどれだけの人が知っているでしょうか。もっともっと知られるべき事実だと思いました。
山頂へ近づいたところにも、H17年の台風による土石流の痕跡が残っていました。
久しぶりの山登りでしたが、順調に登り切り、有名なお堂も見学。
枕崎台風による土砂災害の歴史も知り、非常に高邁な精神で庭園風の砂防工事に取組んだ先人たちのご努力も知った上での、厳島神社の大鳥居は、さらに壮観に見えました。