ランニングおやじの野望!

50歳を目前に突然走り始めた鈍足おやじランナーのトレーニング雑記です。

誤 植

2006-01-28 21:00:34 | ことば・歌
今週は、大物校正が集中して、きょうも朝から夕方までひたすら文字を見て読んで眺めたオヤジであった。

校正を主たる業としていながら、このブログにも時おり誤字脱字があり忸怩たるものがある。自分の書いた文章はどうしても読んでしまうので見落としやすい。
もう30年近く前だが、最初の出版社の研修で校正の基本を教えてもらった時、
「校正は読んではいけない。あくまでも文字を見ること」と言われたのが鮮明に記憶に残っている。
まずざっと眺める。次に一字一字見ていく。その後で、意味が通じないところがないかどうか読む。で、最低3回は目通しするよう指導されたものだ。

校正は因果な仕事でもある。100の誤植のうち99見つけたとしても、その結果は目に見える成果としては残らない。あとあとまで残るのは、見落としミスだけ。
ワシもこれまで何度も苦汁を飲む思いをあじわってきた。

とくに怖いのが固有名詞、なかでも人名である。完全に誤植を排除できても、たった1カ所、人名が違っていたらすべてはパアとなりかねない。

有名な誤植事件のひとつに、印刷物ではないが「周恩来首相記念詩碑」の誤植がある。
京都・嵐山にある、日中友好のシンボル、周恩来・中国元首相の記念碑に刻まれている肝心の名が「周思来」となっていたのだ。(恩でなく、思うの思)
似た字なので建立されてから9年間誰にも気づかれることなく、昭和63年にようやく「発見」され新聞をにぎわせた。

重大な実害につながることも、しばしばある。昭和61年の衆参同日選挙の際、選挙公報といっしょに配るよう準備中だった最高裁判所裁判官の「国民審査公報」に誤植が見つかり、当時の自治省はあわてて印刷を中止。だがすでに刷ってしまった280万枚を廃棄せざるをえなかった。
「大法廷」とあるべきところが「大決廷」となっていたそうだ。たった1字だが、「公報」では許されず、とんだ税金のムダ遣いに……。

まことに「校正畏るべし」。現在は、以前の活字時代とはまた違う注意(文字化けなど)も要求されており、自動校正システムが進化したとしても誤植との闘いは今後も続くんだろうなあ、とやっと一息つきながら思いをいたすオヤジであった。

きょうの記事は大丈夫か?


というわけで、本日走休。ナンバ体操とつま先跳び500回のみ、心拍99。
コメント
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