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流血の華を咲かせた呪術師・ブッチャー

2015-05-29 09:30:03 | 日記
<覚悟と頭脳で勝負>

  昭和の時代、日本で一番有名な外人レスラーはアブドーラ・ザ・ブッチャー
だったのではないでしょうか。

 毎週金曜日は「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」と題してお届けして
いますが今週は ブッチャー です。

 1970年に初来日した当時は全くの無名だったブッチャーが、その後の
長きにわたり人気を保持したのは、「強い覚悟」と「頭の良さ」にあったと
私は思います。
  ブッチャーが語った「相手が流した倍の血を流す覚悟が無ければ務まらない」
は悪役レスラーの心構えとして有名です。
  又飽きっぽいファンを相手に、どうしたら注目を集める事ができるか、
を常に考え続けるレスラーでもありました。

  プロレスには相手の腕を取って四隅のコーナーマットに叩き着ける定番の
動きがあります。
通常の場合、投げられた相手はコーナーの一歩手前で器用に回転し背中から
マットにぶつかります。
 ところがブッチャーはこれをせずに胸からコーナーに激突してみせたのです。
こんな動きをするレスラーは他にいません。
面白い、もう一度見たい、この動きひとつでファンにそう思わせてしまったのです。

  他の悪役との違いを印象付ける為に凶器に一工夫もしました。
1977年のオープンタッグ選手権で人気者テリー・ファンクへの攻撃の場面。
それまでは栓抜きやボールペンが凶器として使われてきましたがその時ブッチャー
が取り出したのは一本のフォーク。
まさかそれを使いはしないだろうとのファンの思いを嘲笑い、テリーの右腕に
突き刺したのです。

 流血にひるまない強い覚悟と差別化を図る明晰な頭脳を持ってブッチャーは
人気を掴んでいきました。
 1980年にはサントリーの飲料のテレビコマーシャルにも起用される程人気も
全国区になっていました。

<人気者の道を蹴る> 

 恐らくこの時期にブッチャーはひとつの決断をしたのではないでしょうか。
このままコミカルな味を加えてお茶の間の人気者になるか、はたまた凶悪ファイト
に磨きを掛けて悪役レスラー一筋で行くか。

 そして出した結論がこの凄まじい試合をさせたのでしょう。
1980年5月、相手は因縁のテリー・ファンクです。
ふたりを映していた日本テレビの中継で突然それは起こりました。
 狂気を眼に宿したブッチャーがビール瓶を鉄柱で割り、ギザギザな断面を
テリーの胸板に突き立てたのです。
その瞬間画面はストップ、しばらく静止画面が続きました。
数分して動きが戻った画面には、マット上をのたうち回るテリーの姿と
静まり返る場内が映されました。

 テレビを見ていた日本中のファンに戦慄は一瞬で伝わりました。
本人が望んだ通りに、ブッチャーは恐怖のレスラーとして揺るぎない存在に
なったのでした。

 度胸と頭脳で無名レスラーからのし上がり富と名声を勝ちとったブッチャーの
生きざまを振り返り、覚悟を持った男の凄まじい生き方に驚嘆するばかりです。
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