あるく あかるく

健康長寿 めざしましょう

昭和のプロレス:痛くなかった怪我

2018-07-27 06:38:15 | 日記
ふたりのイギリス人

 プロレスは記憶のスポーツと言われます。
記録を争う他の競技と違って、見る者に如何に記憶させるかを競う側面が
あるからです。
 日本ではほとんど無名だったイギリスのレスラーが半世紀も前に行った試合が、
今でも多くのプロレスファンに記憶されています。
これは当人にとっては最高の名誉でしょう。

 毎週金曜日は「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」です。
当時世界各地に存在したチャンピオンの活躍を振り返っていますが、今回
登場するのは「大英帝国ヘビー級王者のアルバート・ウォール」です。

 初来日は1968年5月の国際プロレス、翌年春に再来日を果たしました。
今から49年前に行われた記憶に残る試合は、この年に行われました。
 185cm110kgのウォールに対したのは、同じくイギリス出身
185cm113kgのビル・ロビンソン。
当時のロビンソンは国プロの絶対的なスター選手、日本人選手を差し置いて
最高の人気を誇っていました。
 人間風車を決め技にするロビンソンに対してウォールが得意としたのは
フライング・ヘッドバット。
助走を付けて大きくジャンプし頭から相手の顔面目掛けて突っ込む壮絶な技でした。
 当時のプロレスには今ほど派手な空中殺法は存在しません。
連発式のドロップキックを繰り出せば観衆が驚嘆する時代です。
勢いを付けて空中で爆発させるヘッドバットは、正に戦慄の技でした。

想定外の結末

 問題の試合は4月23日に行われました。
1本目をウォールが得意技を炸裂させて先取、2本目はロビンソンが人間
風車で取り返し、いよいよ雌雄を決する3本目です。
 ロビンソンを攻め込んだウォールがロープの反動を利用して大きくジャンプ、
必殺のフライング・ヘッドバットの体勢です。
勝負が決まったかと思われたその瞬間、ロビンソンが思いも掛けぬ反撃に出ました。
勢い良く飛び掛かる相手の肩めがけて肘打ちを叩き込んだのです。
 迎撃されたウォールは肩を抑えてマットを転げ回ります。
それを非情にも引きずり起こして腕を捻っての拷問技。
苦悶の表情で耐えるものの最後はギブアップです。
 技の応酬で始まった試合は壮絶な幕切れとなりました。
予想を覆す試合展開に、テレビの前の私は唖然としつつ戦慄を覚えました。

 一般的にはロビンソンと比べれば、知名度は無いに等しいウォールです。
半世紀も前に行った一戦は忘れられてしまって当然です。
ところが今でもこの試合はファンに語り継がれています。
 試合後肩を脱臼したウォールは緊急帰国してしまいました。
それも含めてプロレスファンは記憶をしています。
本人にとっては大きな痛手となった怪我でしたが、きっとそれ程痛くはない筈。
正に「怪我の功名」になったのですから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする