脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

満1ヶ月

2006年09月08日 | 日記

今日はくもりです。
昨夜は久しぶりに蒸し暑い夜でした。
体は今日も鈍痛とだるさで思うようには動きません。

今日でブログをはじめて1ヶ月経ちました。
早かったような、長かったような・・・。

はじめはビクビクしながら「練習」のつもりで打っていました。

自分の過去や体験や、日常を書くという、
自己開示の行為に、
非常に抵抗を感じながらも、不安や恐怖と戦いながら

なんとか、いくつか「心に秘めていた思い」を書くことができました。

治療効果による回復もあったからとは思いますが
何より、
私の孤独で傷ついた心を支え、励まし
  ここまで支えて、勇気をくださった皆様に心から感謝申し上げます。

昨年の今ごろは、パソコンに向かうことさえ、5分と持ちませんでした。

それでも、時々、パソコンのいすに這い上がるようにして
すわったこともありました。

そういった経験から、
パソコンを見ることができ、
ブログを書ける患者の方がたは、私を含めて
気力も体力も、生活環境も、ある程度恵まれているように感じています。

本当に重症で動けない人もいます。
思考も混乱して、読めない、書けない状態の方もいることでしょう。
私も以前はそうでした。

座っている体位すら保てず、働けず、パソコンもなく、新聞もなく、
情報もなく、「脳脊髄液減少症」という言葉の存在すら知らない方も、
まだまだたくさんいることでしょう。

数多くの症状に苦しみながらも
多くの医師に、真の原因とは違った病名を診療科ごとにつけられ、
対症療法の薬づけになり、
何が症状で、何が薬の副作用かわからなくなり、
検討違いの治療をうけてもいっこうに治らず、

いらだった家族に白い目で見られ、職場に見捨てられ、
生活も追い詰められている方もいるでしょう。

自力で事態を打開するだけの、気力も思考力もなく、

次第に自分ひとりでは病院にいくことさえできなくなり、
家の中ですら起きて行動できなくなり、
次第に
ただただ、絶望して寝ていることしかできない状態になっている人たち。

死してこの肉体から抜け出たいと思って
ひとり涙している患者さんたち。

私は自分の悪化の体験から、
そういった状況の患者の方がたが日本にも世界にも大勢存在すると考えています。
長年放置され、動けないほどの悪化を体験したのは
けっして私ひとりではないはずです。

多くの原因不明とされる症状で苦しむ方がたのためにも、
せめて、自分の実体験した「脳脊髄液減少症」の症状だけは、
すべて、ここに書けたらと思っています。

その方がたの目には直接ふれなくても、
その方がたの周囲の人たち、医師の
何人かでいいから、この苦しみを知ってもらいたい。

私のエネルギーは限られているので
なるべく、この病気のことを中心に書いていこうと思います。

病気の体験など、読者はつまらないかもしれませんが
私は、多くの人に偽りのない、真実の体験を伝えたいと思っています。

少しでも、社会全体がこの「脳脊髄液減少症」という病の過酷さを理解して、
あたたかな支援の手を差し伸べていただきたいとの願い・・・。



それが、私が勇気を振り絞ってブログをはじめた動機ですから、
初心を忘れずに細々とでも書いていけたらと思っています。

(この記事は2006年9月の昼間に書いたものです。2020年12月22日に過去記事の文字を大きくしたら、日付が2010年1月1日になってしまうなど、いくつかの記事の日付がズレて表示されてしまいました。いくつかの古い記事が2010年に移動してしまいました。順次治しますが、ご了承ください。)

コメント (4)
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